“強いということ”を考えてみました。強いということは数限りなくあると思いますが、以下のとおり具体例を挙げてみました。
「体が強い、心が強い、飲むのが強い(呑み助)、クイズが強い、囲碁が強い、セックスが強い、勝負が強い、寒暖に強い、英語に強い、コロナウイルスに強い」など。
この強いということですが、強すぎることが相手にとって嫌われることがあります。例えば、囲碁が強すぎるとか、将棋が強すぎることとか、セックスが強すぎるとかです。
しかし、一般的に強いということは、弱いということよりも良い場合の方が多いと思います。私は70歳になり9年前の脳出血の後遺症で右手などが不自由になりましたが、先日、「企図振戦」が少しだけなくなっているのに気づきました。自分では「治らない」「できない」と思っていたことが出来るようになってきているのです。今さらながら、人間の治癒力や蘇生力に驚いています。
このことは、冒頭に書いた“体が強い”ということに関係していると思います。体が強いということは、ガンになりにくかったり、一方でガンになっても治りやすかったりします。この治るということは自分の内部要因になりますが、外部要因によっても左右されます。
例えば、総合病院で体のキズを治すことを考えてみましょう。総合病院では、専門医がキズの治療に当たりますが、町医者の方が良い場合があります。私の知人が総合病院にキズの治療に行きました。しかし、キズが治らないため町医者にいくと異なる薬を付けてすぐに治ったそうです。
これから言えることは、医者も専門分野があり万能でないということです。私たちは、ともすれば医者を万能だと思いがちですが、決してそうではありません。自分の体は、自分の判断で最終的に守らなくてはいけないと思います。
私の知人のお兄さんが今、肺炎で生死をさまよっていますが、このことにも同じことが言えると思います。新型コロナを含めて、世の中には危険が一杯ですので、お互いに気をつけましょう。地震、交通事故、火事、様々な病気など・・・。
「十勝の活性化を考える会」会長