十勝の活性化を考える会

     
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NHKスペシャル「街道をゆく第1回」  

2022-12-19 05:00:00 | 投稿

 

NHKスペシャ「街道をゆく第1回」をビデオでみた。このビデオは、作家 司馬遼太郎氏が、「日本人とは何者か」「日本とはどういう国か」を問うために、25年にわたって週間朝日に連載した長編小説を解説したビデオである。なお、彼が歩いた街道は外国を含めて72カ所にものぼっている。

彼は1923年に大阪で生まれで、1996年に動脈りゅうのため72歳で急逝している。学徒出陣で戦車隊に配属され満州に行っているので、一度は死を覚悟したと思う。それが、彼の長編小説43巻“街道をゆく”の底辺に流れているものである。このビデオでは、1994年(平成6)に青森市で見つかった縄文文化の定説を覆すことになった“三内丸山遺跡”のことも放映していた。

三内丸山遺跡は、約4500年前の縄文時代の大規模集落跡。その結果、この遺跡が大規模な集落跡であることが分かった。1994年には、直径約1メートルのの柱が6本見つかり大型建物の跡とも考えられている。

三内丸山遺跡は、日本百名山の八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20メートル。遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。三内丸山の人たちは、自然の恵みの採取活動のみに依存せず、集落の周辺に樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性も考えられている。

この遺跡の居住者数は、このことを通して数百人と考えることができ、それらは縄文時代の文化が、従来考えられていたものよりも進んだものであることを示すものであった。ただ遺跡は、他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、未だに全容は把握しきれていない。

この遺跡発掘の2年後、私は青森市に住むことになったので、たびたび見にいった。当時、これほど重要なものとは思わなかったが、三内丸山遺跡は当時の縄文人の生活のことが分かるので、大変貴重のものである。現在は、近くに東北新幹線が走っており、遺跡の全容が車窓から見えるらしい。

 「街道をゆく」第41巻は、北のまほろばという題名で書かれている。まほろばとは、素晴らしい場所とか住みやすい場所という意味である。司馬遼太郎にとって、青森県は北のまほろばであったらしいが、4,500年前にも縄文人はそのように思って住んでいたのだろうか・・・。多くの人が住んでいたと見られる三内丸山遺跡は、その証拠である。

ところで日本列島は、昔から朝鮮半島と深い関係があった。西暦663年、白村江の戦いは、朝鮮半島の白村江で行われた日本百済連合軍と新羅連合軍とのいで、日本連合軍は負けている。

日本には“百済”姓の方がいるが、その人は朝鮮半島の百済から来た人で、強引に連れてこられたかもわからない。また佐賀県には、有田焼や伊万里焼があるが、朝鮮半島にいた陶工が連れられてきて作り始めたものである。言い換えれば、北朝鮮に拉致された“横田めぐみさん”と同じように拉致されてきたものであろう。

ところで、豊臣秀吉は朝鮮半島に出兵している。出兵は、文禄・慶長の役といい、1592年に始まり、1598年豊臣秀吉の死による日本軍の撤退で終わった。朝鮮の国による全兵船の3分の1以上を動員したと言われている、対馬を侵略した“応永の外寇”以来の戦争であった。この戦争は、16世紀における世界最大の戦争であったらしい。

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CAP大人ワークショップ

2022-12-18 05:00:00 | 投稿

 

先日、「十勝プラザ」というイベント会場で行なった、“CAP大人ワークショップ”に参加してきた。参加者は約25人で、女性教師が多かったようだ。

CAPは、Child(こども)へのAssault(暴力)、Prevention(防止)の頭文字を取ったもので、子供たちから虐待・いじめ・誘惑・痴漢などあらゆる暴力から、自分を守るための人権教育プログラムで、主催は「十勝CAPそらの駅」であった。

子供への暴力は、親の虐待や子供同士のイジメなどたくさんある。一方、大人の世界にも、セクハラやパワハラ、ヘイトスピーチなどがある。これらはすべて、人間の持つ弱肉強食の本性に関係しているのではないだろうか。現代は生きづらい社会になっていることは確かで、競争社会の進展が子供同士のイジメにもつながっているような気がしてならない。

人間は本能的に、強いものが弱いものをイジメたり困らせたりする動物だと思っている。これは、アフリカなどの動物を見れば分かるだろう。なお、ワークショップでは性被害に対する護身術のこともやっていた。私は学生時代に空手をやっていたので、“金蹴り”も男性には有効な技のような気がした。

既述のCAPに関連して、「権利」と「義務」について思うことがあった。それは、今の社会は権利ばかりを主張して義務というものを果たしていないのではないだろうか。無理が通れば道理が引っ込むように・・・・。

日本では、個人の権利を主張する人が増え、相手に対する思いやりや感謝の気持ちが薄らいでいるような事件が頻発している。我が子への虐待やイジメなども同じ理由と思うが、自由が高まれば高まるほど人間は、“個人中心主義”になるのではないだろうか。

個人の人権が憲法12条で保障されているが、一方で公共の福祉というものがあるので忘れてはならないと思う。個人を大切にしたばかりに、公共の福祉が失われるような社会では困るのである。

なお憲法学者が、障害者の「権利」と義務」について次のように言っているので、参考までにその抜粋を載せよう。

『 今回は社会福祉の観点から、日本国憲法第25条に関し、権利と義務の関係を説明させていただきます。憲法25条は、社会権の一つである生存権(権利)と国の社会的使命(責務)のふたつを定めています。

旧日本社会党議員だった森戸辰男、鈴木義男らが、ワイマール憲法を参考に起案しました。当初、GHQ草案には、第1項にある『健康で文化的な最低限の生活』という条文は、含まれていませんでした。

社会福祉の根幹である「基本的人権」の重要な構成部分になっておりますが、この条文には、「こうあるべき」という理念規定に留まり、人により法解釈が違ういびつな形で展開されてきました。

そもそも戦後の障害者福祉は、二次大戦で負傷した傷痍軍人の保護が急務でした。つまり、国民の生存を国が確保すべき政治的、道徳目標を定めたに過ぎず、具体的に権利を定めたものでないという学説が主流です。

言い換えると、生存権は「国民の生存を国が責任をもって確保しなければならない」という規定となり、主体は「国民」ではなく、あくまでも「国」になります。このことを「国家責任主義」といいます。国は社会生活を営む上で、権利と義務を表裏一体と考えています。

しかし日本国憲法では、権利と義務を比例するような条文は、どこにもありません。とりわけ障害者福祉では、当事者ゆえに義務と権利を強く感じ、「義務」を果たすべき役割と考えています。

「障害者」という属人的カテゴリは、法の定めにも定義でも「特別扱い」(権利)を想像する言葉がありません。自分は障害があるから権利があると考えている当事者や支援者が何と多いことを感じてしまいます。

ではどうしてそのように感じてしまうのでしょうか。わが国の制度(法律)の捉え方は、医学モデルに沿って区分を設けて、それに収まった人を「障害者」としています。人権で大切な『尊厳』では、「全ての個人が互いに人として尊重」することであり、年齢や心身状態で分けるのではなく、すくなからず、「患者」や「障害者」、また「高齢者」と考えるのではなく、一人の生活者であるべきだと思います。そのためには、一人ひとり相応の努力や果たすべき役割が必要だと思います。』

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農地改革

2022-12-17 05:00:00 | 投稿

 戦後、GHQ(連合国軍最高司令部により“農地改革”され、最高司令官は、マッカーサーであった。農地改革はGHQの指揮の下、1947年昭和22年)、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指している。

元々、官僚の間には農村の疲弊を打開するために地主制度を解体する案はあったが、財界人や皇族・華族といった地主層の抵抗が強く実施できなかったものを、GHQの威を借りて実現したといえる。

この結果、戦前の日本の農村を特徴づけていた地主制度は完全に崩壊し、戦後の農村は自作農がほとんどとなった。そのため農地改革は、GHQによる戦後改革のうち最も成功した改革といわれることがある。この改革で、私の叔父は農地を安く手に入れることができた。しかも、アイヌの人たちと違って肥沃な音幌農場の一角で収量も良かったようだ。

音幌農場は、音更一号から九号まであり(約五キロ)、東西では基線一号から四号まで(約三キロ)の範囲で、約300ヘクタール。

音幌農場は元首相であった斉藤実(まこと)が所有し、首相を辞めたあと、音幌農場管理事務所のそばの屋敷に住み晴耕雨読の生活をすることにしていたが、二・二六事件で殺されたために、この屋敷に一度も住むことはなかった。なお、近代日本資本主義の父と言われる渋沢栄一が農場主であった十勝開墾合資会社の農場は、20倍の約6,000ヘクタールであった。

叔父は農家をしていたが農耕馬が死んだため、ふたたび馬を飼うことができず離農を余儀なくされている。当時の馬は貴重で、1頭30万円以上もしていたと思う。帯広駅から音更市街までのバス料金が大人25円であったことを考慮すると、約500万円になる。当時の馬は今の高級車並みの価格で、手に入らなかったのである。

元音幌農場管理事務所兼自分が住んでいた家は、叔父の家に近かったこともあり家族で草取りなどの援農に出かけたこともあるが、離農で水の泡に終わってしまったのである。

また、叔父は俳句をやっており、「音更町100年史」に“白露”の俳号で載っていたが、きっと奥深い俳句を作っていたのだろう。なお、白露とは秋の季語である。

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女性パワーと政治

2022-12-16 05:00:00 | 投稿

先日、地域包括支援センターの高齢者いきいきふれあい館「まちなか」の体操教室にいってきた。柔軟・ストレッチから始まり、“どさんこ体操”などの体操で、参加者は約25人程度。平均年齢75歳の女性が主体で、その女性パワーに圧倒された。女性の健康に対する意識の高さや長生きの秘訣が、ここにもあったのである。

ただ、国会議員の女性割合では、日本と人口がほぼ同じのメキシコとエチオピアで比較すると、メキシコでは約5倍エチオピアでも4.4も高いという。数値で分かるとおり、日本の女性国会議員の数が極端に低い。

国名

総人口

女性の国会議席数の割合

メキシコ

1億3千万人

約50%

日本

1億2千万人

約10%

エチオピア

1億2千万人

約43%

過去を振り返れば,英国のサッチャー首相やインドのガンジー首相など、社会に大きな影響を与えた数多くの女性首相たちが、歴史に名を残している。現職では、フランス・イタリア・デンマーク・フィンランド・ニュージーランドの首相が女性で、大統領では、アメリカのクリントン女氏やドイツのメルケル女氏がいる。

それに比べて、男尊女卑の日本では、まだ首相が出ていない。また、国会議員の衆参両院の女性比率は約15%で、G7の中で最も低い。日本の政治が三流と言われる理由のひとつであると思っている。

男女共同参画社会とは、1999年平成11年)施行の「男女共同参画社会基本法」を基本法として、日本における社会政策の一つである。その狙いは、男性も女性も意欲に応じて、あらゆる分野で活躍できる社会の創出である。政府を始め全国の市町村に至るまで男女共同参画部署が設けられ、専任担当者が複数存在し男女共同参画を奨励している。

 私の属する町内会では、会長は女性で副会長は男性である。女性が町内会、十勝、そして北海道を変えると思っている。女性はまずいと思ったら、男性がフォローすれば良いのである。女性のいけないところは局部だけに注目して、時に着眼対局できないところであると思っている。それが、男性と女性の違いであろう。

ただ女性は、環境にやさしく戦争に対して厳しい目で見ていることは確かであり、これからの地球を男性より守っていく存在だと思っている。そのことは、温暖化対策を訴えるスウェーデン環境活動家“グレタ・トゥンベリさん”が証明している。

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ドラセナの花

2022-12-15 05:00:00 | 投稿

私の趣味はガーデニングで宿根草が好きである。観葉植物も好きで、自宅にあるドラセナの花が3本も咲いた。今まで咲いたのは2本だけであったので、写真に撮ったのが別添の写真である。

ガーデニングをやっていて思うのであるが、宿根草といえども5~6年に一度は植え替えが必要である。そうしないと、いつの間にか消えてなくなるのを経験しているからである。

庭には、約120種類の宿根草や木を植えていたが、今は80種類ぐらいに減っている。その原因を「花とみどりのセンター」の専門家に聞くと、土壌の酸性度が年々変わっていくらしい。そのためにアルカリ性の石灰を土壌に書けるようにしているが、うまくいかない。

数年にわたってラベンダー系の宿根草が繁茂していたが、1年で消えてしまった。土壌の酸性度が変わったと思っている。実兄が“アツモリソウ“に凝っており、土壌をアルカリ性にするためにホタテ貝の貝殻を周囲に蒔いてくれた。来年は、綺麗な花が咲いてくれると良いと思っている。

  •  ドラセナの花

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