昔、奈良県興福寺の貞慶という鎌倉時代の有名なお坊さんが、“成否を顧みることなく、深く別願を起こす”という言葉を残している。その意味は、「自分が、仏の世界に至りえるのかどうか。その成否がどうしても気になるのだが、そんな成否なぞ敢えて顧みず、むしろ、ただひたすらに深く仏の世界を志すのだ」ということである。私たちも世界を広げようとすれば、こうした心意気こそが求められるのではないだろうか。
話は変わるが、先日、地元にある帯広畜産大学を卒業し、国際協力機構( JICA)に長らく勤めていた方と情報交換する機会があった。JICAは、外務省が所管し政府開発援助(ODA)の実施機関の一つで、開発途上国の経済及び社会の発展に寄与することを目的としている。
彼は80歳であるが、パラグアイ、モンゴル、タイなどの海外経験が長く、今年1月、家族がいる帯広に帰国した国際人である。パラグアイは、日本の面積とほぼ同じで牛を飼っている人が多くて、人口は北海道の1.5倍の約7百万人。ほとんどが草原で、国土の3分の2が森林でおおわれている日本とは全く違うそうだ。
世界の三大瀑布のひとつである“イグアスの滝”が、70キロ先に遭ったらしい。そのイグアスの滝も地球温暖化で、今年、水量が10分の1に減っているそうである。イグアスの滝とは、南米大陸のアルゼンチンとブラジルの二国にまたがる世界最大の滝で、あとふたつは、カナダにあるナイアガラの滝とアフリカのジンバブエとザンビアの2国にまたがるビクトリアの滝である。
モンゴルの面積は日本の約4倍、人口約3百万人の羊の多い国であるので、彼は羊の肉も好きらしい。モンゴルは名だたる遊牧国家で、「遊牧民の国」というイメージが強い。ただ、遊牧だけを生業にして暮らしている遊牧民の割合は、全人口の1割程度といわれている。
モンゴルの大草原は緑豊かで素晴らしい環境に見えるが、実際のところその環境は苛烈である。夏場は30度を超える日がある一方で、冬はマイナス40度になることもある。空気は乾燥しており、雨が降ることはまれである。
モンゴルは1年のうち250日が晴天といわれる乾燥した国で、1年間の平均降水量は50~250ミリ程度しかない。日本の年間平均降水量が1,500ミリ程度であることを考えれば、その少なさが分かるだろう。このような過酷な自然の中で生き抜く遊牧民の暮らしは、シンプルで無駄がなく合理的である。なお、焼き肉にミノという牛の部位があるが、胃のことらしい。
彼が日本に帰国して思うことは、生水などが飲めて綺麗な国だという。ただ、いまの日本人はハングリー精神がなく、モノを大切にしない国民だという。彼のような国際人は視野が広く、既述のお坊さんの言葉が、何か気になるのである。
これからの日本は少子高齢化で人口が減る一方なので、GDPが減少するのは仕方ないが、地球温暖化に無関心であってはならないと思う。大切なことは、「我々がいかなる社会を目指すのか」ということである。
「十勝の活性化を考える会」会員