『 猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」を読んだ。暑い夏と言えば、8月15日の終戦記念日が頭に浮かぶ。今年で77回目を迎え、いま行なわれているロシア・ウクライナ戦争の不条理が、大いに叫ばれている。
著者の猪瀬直樹氏は、元東京都知事であった。この本は日米開戦前の昭和16年夏にアメリカと開戦した場合、日本が負ける予想を行なった震撼すべき内容で、久しぶりに一気に読んだ。
テーマである課題を研究する総理大臣の直轄研究所である「総力戦研究所」が、昭和15年9月に開設された。この研究所は、各省庁等(陸軍・海軍・民間人を含む)から選抜された30歳前後のエリート35名の研究生で組織され、模擬内閣を作り出身省庁等からの資料に基づき侃々諤々(かんかんがくがく)の論議をして開戦の4ケ月前に、「日本は必ず負ける」との判断に至った。
その内容は、緒戦は優勢ながら徐々に米国との産業力・物資の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が負けるとなっており、原爆投下以外の予想がすべて当たっていた。
結論内容は、開戦前の8月下旬に近衛内閣に報告された。時の東条英機陸軍大臣から、「これはあくまで机上の演習であって、実際の戦争は、君達が考えているようにはならない」と発言された。結局は葬り去られ、日の目を見ることはなかった。
その後、10月に東条英機内閣が成立し、12月8日の真珠湾攻撃を契機に日米開戦が勃発する。 統計資料で軍事費を調べると、昭和に入り国家予算の3割程度で推移した。昭和10年からは5割程度。昭和12年度からは一気に5割を超える予算が軍事費に使用され、昭和19年には8割強が使用されていた。
昭和16年当時、このように軍拡路線一直線の最中であり、敗戦報告のシュミュレーションを真に受けて、時の政権・御前会議は、戦争方針からハンドルを切り得たであろうか。当時の国情からは、疑問である。
この本は、知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争"に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示している。
最後に一言。この本は国家が方針を決め、推進中での方針の変更が極めて困難であることを示唆している。現在、日本は文民統制(シビリアンコントロール)が機能している。戦前のように為政者の判断が、戦争への道を歩まないよう注視していくのが、戦後を生きる者の責務であると最近の世界の政情を見て痛感している。』
「十勝の活性化を考える会」ブログ読者M