私が読む本は日本人の著者より、圧倒的に外国人のものが多い。
何と関わりがあるのか分からないけれど
理解しやすいし馴染みやすい気がするのが理由。
輪廻転生を信じている私としては
そんなことも関係しているのかもしれないと思ったりします。
全く意識していないのに
日本的な趣向、純日本的な感覚の両親のもと育ったのに
小さなときから感覚が西洋よりだったかもしれません。
でも、英語はまるっきりダメですが・・・
前のブログに書いたように日本人としてのアイデンティティが
気になるのもそんなことからかもしれないし・・・
ずっと日本にしか住んだことがないけれど
性格が外人っぽくて白黒はっきりしている・・・(良いことばかりではない)
と言われることもある。自分では優柔不断だと思うけど?
そう思うと、それぞれの取り組み方は違うということになる。
吸収するには自分に合った方向性で取り組まなくてはいけないのかも?
結局は同じことを示していても、そこへたどり着くための道は違う。
その目的がなんであろうと・・・
無作為に取り組むよりも同じ方向から取り組んだ方が
無駄が少ないかもしれませんしね。
今の自分として物事を見ることだけが、
私は大事だと思ってはいます。
無意識の中に既に今あるためのものを持っているから
それを掘り起こす必要はないと思う気もするのです。
今の自分・・・
そこからの位置が必要なもの。
そこから、それぞれに必要なもの
それぞれに必要な道を進むだけ。