いつの間にか、どこかで他人と自分という対象がいる中で
物事を考えている部分があるのだと思うのです。
いくら、「私はそうじゃない」と思っても
やはりどこかの部分では無意識に他人を意識している。
「自分流」なんてかっこよく言えば聞こえはいいけれど
やはり「自分流」なんてほとんどできてない気がします。
多くの人は、心の中では自分は特別でありたいと思っている。
何かに対して特別になりたい・・・
それは人よりも何か勝っているものが欲しいからではないでしょうか?
他人の賞賛を欲しいと思うのではないでしょうか?
それだけ意識しなくてもエゴは強くあるのだと思います。
全く自分しか存在しなければ
全く特別の意味も無くなる。
それでも、今と同じように考え同じように何かをするだろうか?
しないと思います。
その中で自分には何が無駄で何が必要か見つめていくこともできます。
他人との関わりは大事なことです。
でもそれは、エゴを発揮するためにあるのではなくて
エゴを取り除くために使われるものではないかと思うのです。
思いやりも慈しむ心も全ての愛は自分以外の人や
全ての自然が創りだす世界があるおかげで気づかせてもらえるのです。
何をどのように生かし、どのように関わるのかは
私たち自身で決めていける・・・
だからこそ、自分を苦しめるために使う必要は無いと思うのです。