信仰とは何だろう?と思うことがある。
例えば何かの宗教を信仰している、
何かの信仰に関わる仕事をしている。
宗教という枠ではなくても。。。
彼らは教えに沿った生き方、言動を
自分自身がおこなっているのだろうか?
教えに沿って生き、
心からの豊かさや幸せを日々実感しているのだろうか?
教えを解く側にいて我欲がとても強く
さらに我を強く出す人たちも多いのは何故だろう?
学び、それを自分の中で消化し身につくことは難しいのだ。
「頭の中だけで解ったフリをする」
また人に押し付けることは実行するより容易い。
身に染み付くというより、
自分にも強いて「そうあるべき」と
頭で表面的な行動を考えて行うことをする。
そうすると、湧き出る感情や抑圧された思考もより強くなり
ネガティブなものが強くなるように見える。
信じる力は大きなエネルギーを生み出すと私は感じているけれど
それがエネルギーのために信じようという
逆の動機では何か弱いままに見える。
不足から何かを信仰したいというより
単に信仰したいだけから得られていくというものがある。
自分の中の不足、弱さを
「何かにすがりたい」
「何かで納得したい」
と頼ってしまうのかもしれない。
何に頼るにしても、納得させようとするにしても
自分の中からの答えと、
一つづつ身につけ、自分を根本から
変化させていくこともしなくてはいけない。
全ては他力ではなく自力で行って
初めて、自分のものになっていくのではないかと思うのだ。