家族、会社、それぞれの集団の中で同じことをしても
人によって扱われ方が違うのは何故だろう?
例えば、皆んなが快適に過ごせると思い
雑用を進んで毎日やっているのに
何だかそれは当たり前に見られ、
逆に珍しい人が少しやると凄いことになったりする…
そんなことってありますね。
損な役割の人もいるのかもしれない。
それを損と思うか思わないかは人によると思うけれど
気にしないでいても
目に余ると流石に不愉快にもなるだろう。
自分がやりたくてやっていることでしょう?
確かにそうだ。
だから一瞬、不愉快な気分が沸き起こっても
「機嫌が悪くなるなら、やらない方がいいんだから」
と自分に言い聞かせ、反省して気を取り直す。
それでも、時々は相当不愉快な状況にもなる。
そうなったら、止めることだ。
きっと、それは自己満足で行っているに過ぎず
周りはあなたが行うことを何とも思ってはいない。
そこに空気があるのと変わらないのかもしれない。
もしくは、あなたが嫌な思いをしてまでやらなくても
それが必要なら、誰か代わりの人が行うだろう。
自分がやらなくてはと思うこと、
または誰かに良かれとやること、
自分が気分よくできないことは止めることだ。
もし、やめたときに何だか罪悪感があるなら
気分よく行えばいい。
気分よくできないものは、単に押し付けがましく
周りをも良い気分にはさせない。
考えてみれば、
その、良かれと思う行為に周りを慣れさせてしまう程
あなたは良い人なんだ。
良い人だから、周りも当然のように
当てにして甘えているのだろう。
だいたい、良い人は損な役割になることが多いものだ。
何故なら…
良い人だから言いやすい。
でも、自分でストレスに感じるときは
良い人であり続ける必要もなく
一旦、放棄してみよう。
それでいい。
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