全てが繋がっているという。
普段は自分という隔離した感覚の中に閉じこもって
物事を見るので繋がりを感じにくい。
もっと、繋がりを感じることができたら物事の見方、
とらえ方も考え方も感じ方も全てを違ったものとなる気がする。
違ったものにならざるを得ない。
それぞれがそれぞれの役割を果たしながら影響しあっているのでしょう。
そう考えると自分の役割に気づき、その役割を果たしたいと思う。
でも、まずその役割に気づくことが難しい・・・
選択肢がありすぎる私たちの生活の中では難しさも逆に増すと思う。
どんな選択も正解。
その中で、最大限に人生をいかせる選択。
今朝もお散歩へ...
天気が良いので気持ち良いですね~
何だか最近周りを見ても、全体的にエネルギーが不安定なようです。
そんな時は無理に何かしようとせずに流れに流され流だけで良いのでは無いでしょうか。
行動するより感じて知るための時間。
センタリングして静かに耳を傾ける・・・
私が読む本は日本人の著者より、圧倒的に外国人のものが多い。
何と関わりがあるのか分からないけれど
理解しやすいし馴染みやすい気がするのが理由。
輪廻転生を信じている私としては
そんなことも関係しているのかもしれないと思ったりします。
全く意識していないのに
日本的な趣向、純日本的な感覚の両親のもと育ったのに
小さなときから感覚が西洋よりだったかもしれません。
でも、英語はまるっきりダメですが・・・
前のブログに書いたように日本人としてのアイデンティティが
気になるのもそんなことからかもしれないし・・・
ずっと日本にしか住んだことがないけれど
性格が外人っぽくて白黒はっきりしている・・・(良いことばかりではない)
と言われることもある。自分では優柔不断だと思うけど?
そう思うと、それぞれの取り組み方は違うということになる。
吸収するには自分に合った方向性で取り組まなくてはいけないのかも?
結局は同じことを示していても、そこへたどり着くための道は違う。
その目的がなんであろうと・・・
無作為に取り組むよりも同じ方向から取り組んだ方が
無駄が少ないかもしれませんしね。
今の自分として物事を見ることだけが、
私は大事だと思ってはいます。
無意識の中に既に今あるためのものを持っているから
それを掘り起こす必要はないと思う気もするのです。
今の自分・・・
そこからの位置が必要なもの。
そこから、それぞれに必要なもの
それぞれに必要な道を進むだけ。
ここのところ、何だか調子が悪くてのんびりしている。
病気が原因なのかわからないけれど、何しろ調子が悪い。
仕事はしているけれど・・・
少しゆっくり進む時期なのかもしれない。
それならそれで、仕事のことも考えていかなくちゃいけない。
人生の変換期でもあるようだし・・・
そんなときは、同じようにはいかなくなるもの。
流れに委ねて、受け入れていくしかない時もあるのだろ・・・
いつでも自分がコントロールできるとは限らない。
今日仕事の合間に本屋さんへ行った。
直ぐに用が済んで時間もあったのでブラブラとしながら本を見ていて
久しぶりにスピリチュアル系の本が並ぶ棚にいくと
男性が数人棚の前にいました。
こういった棚の前に男性だけだったので
今は男性が多いのだなぁ~と思いながら見ていました。
そうは言っても、私が行くとだいたい男性がいることが多いのですが・・・
今に始まったことでもないか。
この不景気のせいなのか、何なのか分かりませんが
やたらここ数年「引き寄せ~」が多いですね。
私はあまりそういった流行ものに興味が無いので見ませんが
女性が好きそうなフワフワ?キラキラ?した感じの
タイトルのものが多くなった気がします。
そのほうが素敵に感じますしね。
窓口が広がったと言うほうが良いのかな。
自分に合う本を見つけやすくなったのかもしれません。
書くほうも出版するほうも世に出しやすくなったのでしょうね。
個人的には欲望とスピリチュアルが混合してしまっている気がしますが・・・
まぁ、人間の「欲」も必要なものです。
「欲」が汚いものではなく、それをどう生かすかによる気がします。
生かし、どう使うか・・・
「貪欲」なのにそれを甘いオブラードでラッピングして見せる必要もなく
そのまま「貪欲」で見せるほうがシンプルで分かりやすい気がしますが・・・
「貪欲」なら貪欲で良いと思うけれど。
わからないもの、分からない世界は
自分でしか分かることができないし自分の世界でしかない。
どれが今の自分にとって求めているものであり
理解しやすく入ってくるならそれが合っているわけで・・・
分からないからこそ、誰かの考えやヒントが欲しいわけです。
新しく並べられた本などを見ると
いま人の興味があることを垣間見ることが出来ますね。
昔の人たちが行ったような「祈り」への思いは現代のものとは違うのかもしれない。
もっとどん欲にいろいろなものを求め、もっと個人的な欲望がそこにはある。
「祈り」の意味や思いが何か違うのではないかとフッと感じた・・・
何かが間違っているような・・・
もっとシンプルで神聖なものなのかもしれない。
だから、その思いは美しい・・・
本来はそういうものなんじゃないかとフッと思ったのです。
大人から好かれる大人
大人から嫌われる大人
子供から好かれる大人
子供から嫌われる大人
子供から好かれる子供
子供から嫌われる子供
大人から好かれる子供
大人から嫌われる子供
何が違ってくるのでしょう?
どうして違ってくるのでしょう?
子供から大人になるにしたがってその時の社会に適応している大人が
自分にとっての常識や社会の適応法を子供に教えていくから、
だんだん求めに応じて同じようになっていくのか?
生まれた時から社会での立ち居振る舞いを知っているわけではない。
生まれたときは本能的に生きようとする力しかない。
でも、あっという間にどう振る舞うのが自分にとっていいのか身についていく子もいる。
逆に大人になって、社会での適応が上手くできない人もいる。
常識、思いやり、正しいこと・・・
それとはまた少し違うところに社会での適応法がある。
常識や思いやりだけで社会で良いポジションや仕事をとれるとは限らない。
いわゆる勝ち組となるわけではない。
あまり好きでない上司がいたとしても、
一見仲良く冗談など言い合って飲んだりできるのも大人だから。-@
女性同士ではよく見かけるけれど
嫌っているのに一緒にご飯食べにいったりでかけたり。
これも仕事などの利害関係がからむものならば
大人はにこやかにできたほうが社会人らしい。
この世は複雑にできているようだ・・・
生まれて単純だった感情、思考が複雑になっていく。
嫌いだけど好きなふりをした方が得。
本当につまらないけれど楽しそうにしていたほうが得。
心の中では馬鹿にしているけれど尊敬している様子にした方が得。
本心とは違う言動にともなって、自分の中の思考も感情も複雑化させてしまう。
押さえつけられた本心は歪んでしまうのだろうか・・・
シンプルに思考することがいかに平和で安全な世の中をつくるのかもしれない。
えええ
昨日は変な夢をみた。
仲間で話をしているうちに、最近心身ともに不調だという人がいて
その人のことを私がタロットで占うことになった。
カードを引いて直ぐに、このままでいたら良くないとすぐにわかった。
私も説明が上手くできずにいると、
それぞれカードを読み、さらに本人が解釈してくれた。
このままいくと、体調を崩すのが目に見えていたけれど
私も遠回しに上手に説明ができないので
単刀直入に話して終わってしまうのは良くないと思って言いづらかった。
オブラードに包んでどううまく言えばいいのか分からなかった。
でも、本人に私の引いたカードを読ませてよかった。
本当に今のままでいくと危険なのが分かっていたから・・・
そこで目が覚めた。
ちょっと、心配になった。
前から、なんとなく生活スタイルを変えないと
体を崩すような気がする人だから・・・
でも、もう一つ最近思うものもある。
どんなに変えるチャンスがあったとしても
どんなに助言があったとしても
それを選ぶのも選ばないのも本人次第で誰も教養はできない。
もしも、それが寿命でなくてもその人が選ぶタイムライン上に
体を壊す道が来てしまうのかもしれない。
その結果寿命より短い生命になってしまうというような・・・
それを寿命と呼ぶのかはわからないけれど。
素直に聞く耳を持つことが人生にはとても大事なことだろう。
意外と常に自分への助言は投げかけられているのかもしれない。
人は自分と人の優劣をつけて態度を変えることが多い。
劣とみなされたとき、人々がとる言動は興味深いものがある。
どちらも経験すると面白いものが見えると思う。
人間とは面白いものです。
それが良いものでも悪いものです。
昔は私も失礼な態度を取られたときはムカッとしていたけれど
人間の本質を見るのも勉強になるものだ。
その中で、性質は自分らしさを貫いていきたいもの。
自分の基準は自分で作ればいい。
そんな風にしていくことで自分らしい流れができていくのかもしれない。
きっと、それが自分らしい生き方につながる。
昨日、サッと目を通した本の一説に
「人は何かをするときに1つのことしかできない。
だからその1つのことを創造的なことに使いなさい」
こんな感じのことが書いてあった。
何だか、心に響いたのです・・・
油断をすると、人はすぐにあれもこれも欲しいから同時に行う。
1つ大事なことがあって手に入ったら気持ちは直ぐにまた新しいほうへいく。
するとあっという間に物事が創造的だったはずが、心が乱され始める。
手に入ったことが終わりではなく、それを大事にしなくてはいけないはずなのに。
実際に人は何も手にすることなんてできない気がするけれど・・・
私も同じように大事に思っていたものへの気持ちが
いつのまにか当たり前のように忘れてしまったりして心がザワついたりする。
手に入っていると勘違いしたときから、自分の想いを忘れてしまうのかもしれない。
日常に追われてしまうと、そんな大事なことも忘れてしまう。
くだらないことでもいいから、自分が夢中になれるものは何だったか?
目的なんて持たなくても何かに夢中になって自分の思考を休めてみることも必要。
夢中になってたもの。
夢中になれるもの。
そうはいっても、「夢中になれるものがない」と言う人も多いいのでは?
それを探すのも大変かもしれない・・・
それなら、今あるものから一つ一つ動機を思い出してみる。
もしかしたら、あの時の思いを思い返してみることができる。
思い出した時に、大事な動機がそこにあるのなら
再び大事にしてみることから始めてみる。
何かを見失ったとき、そうやって思い出してみることがヒントになるかもしれない。
そして、そんな利害なく単純に夢中になれるものだから
創造性のあることができるのだろう。
心の豊かさとはいくらでも身近にあるものでしょう。