長明が目撃した悲惨な現状として
「その中に、ある武者のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが
築地のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなるあどなしごとをして
遊び侍りしが、にはかにくづれ埋められて、跡形なく、平にうちひさがれて
二つの目など一寸ばかりづつうちい出されたるを、父母かかへて、
声を惜しまず悲しみあいて侍りしこそ、
あはれに悲しく見侍りしか。子の悲しみには、たけき者も
恥を忘れけりとおぼえて、いとほしく、
ことわりかなとぞ見侍りし。」
激震のさなか、土塀のわきで 小さい家などを作って遊んでいた子が
崩れてきた土塀の下敷きになったのを父母が掘り起こしたが
ぺしゃんこにつぶれて目玉も飛び出した変わり果てた姿となっていた。
その子をかかえて 両親が大声を張り上げて泣き悲しむ現場を見てしまった。
勇猛と言われる武士でも 愛する子を失い、恥も外聞もなく取りみだすのを
心から気の毒に思った。
というもの。
それからも余震は不気味につづくが
3か月ほどもたつと ようやく落ち着いた。
しかし、こんな大きな地震でも、人びとはすに忘れてしまうと述べている。
いわく
「地震直後のしばらくは、誰もかれも、天災に対していかに人間が無力で
あるかを語り合い、少しは欲望や邪念と言った心のにごりも薄らいだように
みえた。だが、月日が経ち、何年か過ぎてしまうと
震災から得た無常の体験などすっかり忘れて、
話題に取り上げる人さえいなくなった。」
う~~んとうなりたくなるような・・・
まさに 人間って・・・・です
こういうのを 楽天的っていうのかなぁ・・・