1月31日、しばた100選を見てみよう!船岡(2)コースを行ないました。
地域資源に「南光通り」が選ばれています。
船岡南1丁目から角田市との境(山田沢浄水場)までの道です。
山田沢浄水場の南光通りを挟んで向かい側に車両センターがあります。
ここに今は亡き、奥州街道名残りの松があると、聞いていたので町担当者との調整を
行ない、100選ツアーの際、見学コースに入れました。
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【町車両センター】
昭和63年5月竣工。
役場庁舎敷地内の駐車場用地がせまくなり、来庁者に不便をかけていたため、駐車場の
確保を目的に行なわれたもの。管理棟の他車庫棟には建設車両等が格納されています。
敷地内には各種資材置場、緊急災害防止用土砂置場などがあります。
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車両センター敷地内に奥州街道名残りの松がありました。
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町担当者が平成2年1月4日撮影の航空写真に奥州街道名残りの松が写っているものを
参加者に配布し、その説明をしてくれました。
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切り倒された松は、屋根のかかったところに保管されていました。
直径約1m、幹は松食い虫にやられた穴が多数ありました。
【奥州街道名残りの松】
柴田町町制施行30周年を記念して、昭和63年4月、町内の名木・古木31本が選ばれた。
奥州街道名残りの松は、目通り3.2m、高さ14m、樹種クロマツ。
江戸時代、奥州街道が整備され、街道の両側に松が植えられた。船迫と白幡との間の
松並木は大変見事なものであったが、太平洋戦争末期に伐採された。
切り株はのちに掘り起され松根油が採取された。この一本だけが川面に傾いていたため伐採後
の引き上げが困難だとの判断で幸い難をのがれたもので、往事を偲ばせる貴重な木であった。
平成に入り、松くい虫の被害が現れ、手当の甲斐もなく枯れた。
平成5年6月15日には供養祭が行なわれ、18日にやむなく切り倒された。
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広報しばた1993年7月号
河北美術展招待作家の太田厚さんが、せめてこの名木の優美な姿をとどめて置こうと
油絵を描き、町に寄贈してくれました。槻木生涯学習センターに飾っています。
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柴田町槻木文化センター(現、槻木生涯学習センター)のホールの緞帳原図
ここにも奥州街道名残りの松が描かれています。
切り倒された松の根元はしばたの郷土館、幹は車両センターに保管されている。
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奥州街道名残りの松の年輪(直径、92cm~97cm)
年輪の内側から
・250年前(宝暦4年)
・200年前(文化元年)
・天保の飢饉(寒冷)
・日露戦争
奥州街道名残りの松は、樹齢260年程の大木でした。