京都晴明神社の近くに、「一条戻り橋」がある。旧の戻橋の石材の断片が晴明神社で保管されている。
いろいろと曰くのある橋で、鬼の腕を切った話、死亡した父を呼び戻した話など、おどろおどろしている。
青森の「ねぶた」の中に「戻橋」のテーマの山車がある。
東北にまで都の話が伝わっているのは、江戸時代に庶民の娯楽であった歌舞伎・芝居の全国興行によるもの。勇壮な「ねぶた」に今も残る数々の芝居・歌舞伎のテーマの一つである。
歌舞伎に「戻橋・・」と言う河竹黙阿弥作の演目がある。
渡辺の綱が鬼女の腕を斬る話は各地で見られる。
腕が斬られて飛んでいって、北野天満宮の境内に落ちたと言う。今も北野神社の三光門の東側にはこの時に腕が落ちた地点があり、伝渡辺綱石灯籠として残っている。
これらの話の後、鬼女が、綱の母に化けて腕を取り返しに来たりする。
新しく堀川にかけられた立派な石の橋の袂である。時代劇に出てくるおどろおどろの戻橋からは想像もつかない。しっかり枝垂れヤナギも植えられているのだが。
自動車がつぎつぎと走る一条通である。
立札が立っている。
平安時代に文章(もんじょう)博士であった三善清行が都で亡くなり、それを聞いた息子が熊野から大急ぎで帰ってくる。
すでに葬列は戻橋に差し掛かっており、息子は父の棺にしきりに呼びかけた。神仏に願いが届いたのか、父が蘇生して暫く親子で話をしたという。
以来この橋は死者の甦る橋とされて「戻橋」と言うそうである。
いろいろと曰くのある橋で、鬼の腕を切った話、死亡した父を呼び戻した話など、おどろおどろしている。
青森の「ねぶた」の中に「戻橋」のテーマの山車がある。
東北にまで都の話が伝わっているのは、江戸時代に庶民の娯楽であった歌舞伎・芝居の全国興行によるもの。勇壮な「ねぶた」に今も残る数々の芝居・歌舞伎のテーマの一つである。
歌舞伎に「戻橋・・」と言う河竹黙阿弥作の演目がある。
渡辺の綱が鬼女の腕を斬る話は各地で見られる。
腕が斬られて飛んでいって、北野天満宮の境内に落ちたと言う。今も北野神社の三光門の東側にはこの時に腕が落ちた地点があり、伝渡辺綱石灯籠として残っている。
これらの話の後、鬼女が、綱の母に化けて腕を取り返しに来たりする。
新しく堀川にかけられた立派な石の橋の袂である。時代劇に出てくるおどろおどろの戻橋からは想像もつかない。しっかり枝垂れヤナギも植えられているのだが。
自動車がつぎつぎと走る一条通である。
立札が立っている。
平安時代に文章(もんじょう)博士であった三善清行が都で亡くなり、それを聞いた息子が熊野から大急ぎで帰ってくる。
すでに葬列は戻橋に差し掛かっており、息子は父の棺にしきりに呼びかけた。神仏に願いが届いたのか、父が蘇生して暫く親子で話をしたという。
以来この橋は死者の甦る橋とされて「戻橋」と言うそうである。