昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

挿絵杉本健吉

2007-03-24 | 話題
 先日、当blogにアップした水車のモニュメントから約200mほど西に行くと、香雪美術館がある。阪急御影駅から東へ約200mにある。
 ここで現在特別展が開かれている。吉川英治の新・平家物語が週刊朝日に連載された時、その挿絵を書いた杉本健吉の世界である。
 昭和25年(1950年)から昭和32年(1957年)まで連載は続いた。
 挿絵の原画120枚を中心に展示されている。


明治12年村山龍平(号は香雪)の手によって、初めて朝日新聞が創刊された。香雪は美術にも関心を持ち、美術品の蒐集に務め、香雪(こうせつ)美術館を建設した。
 蒐集品は重要文化財に指定されたものが多く含まれている。
 自分の広大な屋敷の中に大きな美術館を建設している。

 特別展として杉本健吉の挿絵による「新・平家物語」の世界が展開される。
 

平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は、東国を目指して落ちていた。雪の深い関が原のあたりで、後方から付いていた少年頼朝は馬上で寝てしまった。
 馬はそのままはぐれ、家族とはなれて捕えられてしまう。


南都の僧兵による平家への狼藉は、古都へ平家の軍勢を呼び込むことになった。奈良の民家の焼打ちの火は大仏殿にも飛び火した。


平家の少年13歳の資盛(すけもり)の一行は、時の関白藤原基房(もとふさ)の宮中からの出仕の帰りの一行と、都大路で出くわす。
 新三位の中将であった資盛は礼を失して咎められる。後日、その腹いせに資盛は関白殿の牛車を襲う。


左:重盛は清盛の嫡男であった。しかし、父清盛の天下を恐れぬ行いを、辞めさせようと悩むが、遂に早世してしまう。
 礼に篤く、深く神仏に帰依をしていた。
右:右京大夫といえば、建礼門院を指すが、通い婚の風潮がある中で、男は女のもとへ忍んで通うのである。吉川英治の新・平家物語ではどんな扱いになっているのだったか、ちと失念している。