昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

ほぼ1300年前

2010-05-21 | 歴史・文化遺産
東大寺といえば、大仏殿であり、仁王門であり、正倉院が浮かんできます。

 さてこの門は、東大寺の西の門になります。名は「転害(てがい)門」と言い、東大寺創建当時に立てられた門です。しかも、東大寺が戦火に見舞われたときでも、生き残ったと言う門です。

当時のままの柱であり、梁であり、軒です。天井部分は一部格天井に改修されている。





 約1260年間ここに立って東大寺の様を見ていました。鑑真和上も行基上人も聖武天皇も、通り抜けた門ですね。

 以来、柱は年代を重ね、柔らかい材質は風化しかけており、固い木の節が残っています。
まるで修行の後、悟りを開いた釈迦の腕のように、肉が落ち逞しさすら感じます。




大屋根の切妻に張り出した梁もかなり風化しているが、両端が上に跳ね上がった蟇股が楽しい。




鉄輪を巻いた、この柱は部分を補修して、新しい材が嵌め込んであります。




この柱こそは、頑張っています。




平城京の一条通に面していて、門の正面は佐保路といわれ、少し屈折するが、大極殿に直結する道路です。

平城遷都1300年祭(東院庭園)

2010-05-20 | 歴史・文化遺産
 平城宮の貴族たちは、執務のあいた時に、別荘で休養したとも言われます。その別荘が、この東院庭園とも言われている。又、ここは藤原不比等の邸宅跡とも、また、皇太子の住む皇居を東宮と言う由縁だとも。 

 庭園も、役所に勤めている人の住宅のように、築地塀で囲まれています。

庭園(別荘)の入口です。



 これが実物大の築地塀です。50cmくらい粘土を積み上げて、10人くらいが粘土をつき固めて高さをすこしずつ、高くしたそうで、かなりの年月を費やしたそうです。

塀の切れ目から見えるのは、長屋王の邸宅跡に建設されたデパートです。今はスーパーになっている。



築地塀沿いに、かがり火のように花籠が並べてある。



庭園の配置図です。



州浜式の池の岸辺になっており、入江も岬もある池があり、回遊式庭園です。




隣りの神社の森を借景にして、緑の映える庭は、書院造の原点でしょう。



東南のコーナーに立てられた隅櫓は、鳳凰を頂上に乗せ、高台から庭を観賞した古人が偲ばれます。



回廊から、釣り糸でも垂らすと楽しいかも…。





東院は平城宮の四角の敷地から、飛び出して繋がる部分です。

 大極殿から歩くと10分ほどかかります。そこにハートフルカートがピストン運転しています。進むのは歩くよりも遅い。待合所にあった絵画に万葉集の和歌があった。
 

平城遷都1300年祭(第2次大極殿)

2010-05-19 | 歴史・文化遺産
  今回のイベントでは第1次平城宮跡の復原が進みました。そして第2次平城宮跡も、遅々とした歩みであるが発掘調査されてはいます。

 大仏殿を建立した聖武天皇は、、しばしば遷都を繰り返しました。恭仁京・難波京・信楽宮と、点々と都を移しました。その都度、宮殿を初め役人の官舎、町並みまで移動していかねばならなかった。第一次大極殿を取り壊し、次の都に持って行きます。

従って最終的に、再び奈良に帰ってきた時に、第2次大極殿が生まれました。

右のほうの地図で、赤い長方形の東隣りで、緑の長方形が縦に並んでいる地域がそれです。



左:復元模型です。右:発掘調査で、大極殿の土台になる丘が発見されました。



かなり判明してきました。



土のひとかけらでも、過去の歴史を刻む物があるかもしれませんね。



見つけましたヤマトタンポポ。西洋タンポポの逞しさは感じられませんね。



第二次大極殿のほうから見る第一次大極殿の風景。空にはピーツクパーツクと雲雀が高く昇っています。賑やかで、長閑です。


平城遷都1300年祭(近鉄電車)

2010-05-18 | 旅の風物
奈良西大寺の駅のホームで、反対車線に停車中の電車が、面白い。

「大和は国のまほろば」とある。万葉集の歌。鉄で出来た車両の箱に潤いを持たせてくれるアイディアですね。遷都1300年祭に協力ているのかも…。


 さて、「まほろば」ですが、古事記によれば、ヤマトタケルが、伊吹山から難渋しながら、伊勢に向う途中に、歌を詠みました。最古の和歌と言われています。
 
 その歌でよく知られているものに、

 倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭し うるはし

 ヤマトの国はいいところだ。周囲の素晴らしい山々が玉垣のように取り囲み、麗しい国だ、と歌います。

「まほろば」の「ま」は美しい言葉を表わす接頭語です。
       「ほ」は秀という字の読み
       「ろ」「ば」は秀という言葉の接尾語です。
 つまり、「まほろば」の「ま」だけが意味がある。すべては秀で「ほ」と言う言葉を強調しています。  


窓ガラスもすべてペインテイングされています。


これも綺麗ですね。


ばしゃら大将は、勢至菩薩の生まれ変わりと言われていますね。丑年の神将とも言われる。


快速急行、大阪ー奈良の急行ですね。萌黄色と言うのでしょうか。



電車は直ぐにホームから出て行ったので全部は撮れませんでした。以下は近鉄のHPからお借りしました。


シカもいる。萩も咲く。


秋のモミジ。かなあ。こちらは三輪山かなあ。


奈良各地の風景ですね。先頭車両だけのようです。薬師寺の塔・大仏殿などなど。


平城遷都1300年祭(大極殿)

2010-05-17 | 歴史・文化遺産
 何と(AD710)綺麗な平城京から始まって、鳴くよ(AD794)ウグイス平安京まで続く平城京の時代。

 途中聖武天皇の御世に、遷都すること4回、第二次平城京、そして長岡京もあった時代に、目が覚めたように、イメージが湧いてきますね。

 当昆布ブログも時々アップしてきましたが、今回の1300年祭は、この静かな古都に賑わいを持ってきましたね。

 地下にまだまだ眠る古代人たちの遺構は、今後もどんどん新発見が続きそうですね。


約1km前後に、四方を囲う平城京跡の、中央北の端に位置する宮城の広場、広くて何も飾り気のない広場が、国家の行事のたびに整然と利用されました。




正面44m、側面20m、地面から27m。直径70cmの朱塗りの柱44本、屋根瓦97,000枚。木材はすべて吉野など国内で集められた。





耐震構造です。五位の位の人の服装をレンタルしています。平城京跡を歩くと似合いますね。
 




高御座(たかみくら)は実物大の模型です。ああ!首が痛い!





中の椅子の華奢なこと!




内壁に描かれた、四神の南・朱雀。




北の方向には玄武。カメがヘビに巻かれています。




2階の廻廊から東方を見ると、大仏殿や若草山が見えます。欄干の上の玉が豪華ですね。





左:交流広場で満開のムギナデシコが満開です。朱雀門が見えます。
右:コーヒーを頼むと、せんとくんが付いてきました。キモカワと言うそうです。
 



平城遷都1300年祭(平城宮)

2010-05-16 | 歴史・文化遺産
すべてのシャトルバスは、朱雀門の隣りの駐車場に集まります。

朱雀門から北を見ると、完成した大極殿が、近鉄の線路越しに見えています。約1km先です。左の端に踏切があります。



中の塀に囲まれた空間が宮城になります。広いので、さしもの大極殿も小さく見えます。



大極殿に着きました。二階の廻廊から、南を見晴らします。遠くに朱雀門が見えます。この広場で、国賓とか地方の客とかを迎える儀式が行われました。



その様子の絵がありました。奥に見えるのが朱雀門です。左右には国家の要人が整列し、礼を尽くして客を迎えます。

7本の旗(幡)が立て並べられます。三本足のヤタガラスも見えます。中央は金の鳶でしょうか。左右の4本には、四神の絵があります。



旗は幟のような姿です。幡(ばん)と言われ、四神を描くことで、周囲の国土の安定を願うものです。



左:朱雀で南方を司ります。  右:白虎で、西の方角を司ります。
 

左:玄武でカメにヘビが巻き付いています。北方を治めます。右:青龍:青い龍です。東です。

四神相応の地として、平安京に遷都するときには、都の位置決定に、大いに活用されました。



幡に描かれたのが、仏像の台座などでも見られますが、ここの大極殿の天井の欄間の絵は、少しアレンジしています。




 再び、廻廊から南の方角を見て、天子の気分を思いやります。大和の国の威厳を周辺諸国に見せ付けることで、国を大切に育てていくことに努力したと思います。

24倍ズームで、朱雀門を見ています。電車の踏み切りも見えます。約1kmの距離がこんなに近く見えるとは嬉しいですね。




白山連峰

2010-05-15 | 自然界
 車で北陸道を走ると、遠くに真っ白な白山の山並みが見えていました。

 今年は春が遅いので、その真っ白な白山を見に行くことにしたのが、5/8のことでした。
ところが何と斑らの白山でした。



斑であっても堂々とした勇姿ですね。谷筋の一本一本が見えます。



ハンノキの仲間でしょうか、だらりとした花が咲いています。早春の風物詩ですね。




これが全景でしょうね。海抜2700mくらいですか。




 昔から人の手のはいっていた、この山の雑木林に咲く花二題です。

シャクナゲとコブシです。
 



数字が見えます。1・2・3




手前の低い台地が、パノラマ台です。駐車場においてから、すこし歩きます。




この林道は、今年になってからは、全く人手が入っていないので、確認しながらの走りでした。


男山酒造と剣菱

2010-05-14 | 国内旅行
  まだ少し感動のカタクリを引きずっています。

斜面に咲いていると、立体的に見える花たちでした。白い花はイチリンソウでしょうか。




バックにエゾエンゴサクがあって、色を添えました。




やや黒の感じの花か、葉か。何でしょうね。




男山自然園をサポートしている男山酒造を見学に来ました。それが男山自然園で甘酒を売っていた店員が、ここの酒造り記念館にぜひとも行けといったものです。




 確か兵庫県のわが町伊丹にこの銘柄を見たのだと、この時点で気付きました。

そして男山は、京都の石清水八幡宮に由来する名で、別名で男山八幡宮と呼ばれます。



天下一の酒造りの伊丹の町には、酒造所が目白押しで、大部分を江戸に船で送っていたと言います。



男山、と言う銘柄は、伊丹の酒と思っていたのでした。それがそっくり、ここに受け継がれ、再興されていました。




当時の全国の酒のブランドだったようですね。現在は小西酒造が「白雪」を作っています。西の前頭筆頭ですね。西の大関「老松」も伊丹でよく見かけます。

この辺りから、灘の字が並びますね。灘五郷と言われる以前の天下の酒どころは伊丹・池田ですね。






石清水八幡宮の放生会は有名で、山の麓の橋も、近年美しくなり、多くの参列者があります。



 剣菱もやや辛口でしたが、伊丹の酒だったのが最近見かけなくなっていました。伊丹に居れば時々、酒造所だったが今は止めたと言う人に出会います。酒造所は百軒以上あったと聞きました。今は白雪が一軒残っています。

浮世絵の歌麿のラベルも粋ですね。


男山自然公園(突硝山)

2010-05-13 | 国内旅行
 次は、さらに北へ上がって旭川市と比布(ぴっぷ)町との境界線上にある突硝山の先端にある男山自然公園に向います。

ここのカタクリは山全体がそうではないかと思うほど野草の群落に覆われている潅木林がある。










カタクリ園の入口の斜面に咲いていたカタクリです。




鮮やかな青色のエゾエンゴサクも見られます。




山道をぐるっと回ってやく1km程だったでしょうか、圧倒的にカタクリが多い野草園です。




フクジュソウもちらほらと、咲いています。




エゾエンゴサクの集団開花。



雑木林に一面の広がりです。天気さえよければ開花するだろうに…。





太陽も顔を出さない曇り空、元気に花開いてこそ、春が訪れるというもの。




峠の向こうには、比布町の景色が見える。




落葉樹林の林床は明るい、寒さに適応した変動が見られることでしょう。




ザゼンソウも満開で、手前のコバイケイソウの新芽は、これからですね。



落葉の積もるふかふかの地面から、春だぞーっと叫んでいる草花たちでした。福寿草です。




春光台(ミズバショウ)

2010-05-12 | 国内旅行
今回の旭川の訪問は、早春のエンゴサクなどの探訪でした。雪の山に囲まれる旭川の景観も目的の一つでした。

大きな赤い字で、地図に地名を書きましたが、なかなか旭川も見るところが多いですね。 



嵐山の北邦野草園の次に春光台を訪ねました。ここはミズバショウです。一本のせせらぎ沿いに群生するミズバショウでした。







ここの環境学習広場の小屋です。右はその室内に掲示してあった写真のミズバショウです。







逍遥路からせせらぎの近くまで、展望所がせり出しています。






これは、湿地になっている川沿いに見事な群生です。



傍によって見ると、結構咲いていました。早春のこととて、花はまだ小さいようです。花の下方の筒の長さが長い。エゾミズバショウと名前を付けたくなります。



さらに、下流に歩いて、ぬかるみの中を川の流れの中央で踏ん張りました。

そこには雌雄のカモがいました。






盛んに水中で餌を取っています。彼らは北に帰らないのだろうか。





いい毛並みです。



下流のほうを見てみると、



霜にやられなかったのか、花弁の先端まで真っ白です。




花は小さいが、ザゼンソウもちらほらと。



落葉樹の林間は、大変明るい。




カンカンと木の幹を叩く音がする。探すと木の幹にいたケラの仲間でした。キツツキでした。アカゲラのようです。