東大寺といえば、大仏殿であり、仁王門であり、正倉院が浮かんできます。
さてこの門は、東大寺の西の門になります。名は「転害(てがい)門」と言い、東大寺創建当時に立てられた門です。しかも、東大寺が戦火に見舞われたときでも、生き残ったと言う門です。
当時のままの柱であり、梁であり、軒です。天井部分は一部格天井に改修されている。
約1260年間ここに立って東大寺の様を見ていました。鑑真和上も行基上人も聖武天皇も、通り抜けた門ですね。
以来、柱は年代を重ね、柔らかい材質は風化しかけており、固い木の節が残っています。
まるで修行の後、悟りを開いた釈迦の腕のように、肉が落ち逞しさすら感じます。
大屋根の切妻に張り出した梁もかなり風化しているが、両端が上に跳ね上がった蟇股が楽しい。
鉄輪を巻いた、この柱は部分を補修して、新しい材が嵌め込んであります。
この柱こそは、頑張っています。
平城京の一条通に面していて、門の正面は佐保路といわれ、少し屈折するが、大極殿に直結する道路です。
さてこの門は、東大寺の西の門になります。名は「転害(てがい)門」と言い、東大寺創建当時に立てられた門です。しかも、東大寺が戦火に見舞われたときでも、生き残ったと言う門です。
当時のままの柱であり、梁であり、軒です。天井部分は一部格天井に改修されている。
約1260年間ここに立って東大寺の様を見ていました。鑑真和上も行基上人も聖武天皇も、通り抜けた門ですね。
以来、柱は年代を重ね、柔らかい材質は風化しかけており、固い木の節が残っています。
まるで修行の後、悟りを開いた釈迦の腕のように、肉が落ち逞しさすら感じます。
大屋根の切妻に張り出した梁もかなり風化しているが、両端が上に跳ね上がった蟇股が楽しい。
鉄輪を巻いた、この柱は部分を補修して、新しい材が嵌め込んであります。
この柱こそは、頑張っています。
平城京の一条通に面していて、門の正面は佐保路といわれ、少し屈折するが、大極殿に直結する道路です。