昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

道明寺天満宮梅苑②

2012-03-21 | 動植物
本殿の裏庭が、梅苑になっています。

かなり成熟した梅の木が一面の広がりを見せる。





梅花の色は植栽当時のコントラストの工夫が見える。






見事なしだれ梅。






しだれ梅の傘の中にカメラが入る。







左:こちらは白のしだれ梅の若木である。    右:足元には水仙が満開。一本の花梗に8個の花冠が付くのは珍しい。
 






これも白梅と言うのだろうか。緑ですね。






薄いふわーっとした紅梅ですね。この色に和菓子の色を連想させるのは、自分だけだろうか。






蕾が珠の様に丸く付き、茶碗のような姿が可愛いですよ。







左:梅苑の中央に石造りの橋が懸っていて見晴らし台になる。   右:高所からの景色はまた違って見える。
 






梅の花の海ですね。






遠望が利きますね。いいアイディアです。







天満宮の本殿の裏が見えます。







裏から参拝する拝壇が見える。






四色そろい踏みです。






この梅苑は、前方に見える入口から出て行きます。





ところでここの境内には、古墳時代に使用されたという岩石を運搬する古代の橇、「修羅」が保存されている。

修羅の復元模型は、「近つ飛鳥博物館」で身近に見ることが出来る。


道明寺天満宮梅苑①

2012-03-20 | 動植物
 梅と言えば、早春の淡雪の中に、ほんのりとよい香りが漂ってくるというイメージですが、桜ほどには刹那的でなく、次々と咲き続けるのがいいのかも…。
 
道明寺は明治の神仏分離令で、尼寺の道明寺と天満宮が別れました。

 ここ羽曳野の地に、神話に出てくる野見宿祢、その後土師(はじ)氏の名を与えられ、菅原氏の住まいする地方だった。道真のほかに叔母も祭神となってここに祀られていると言う。

 近鉄南大阪線で羽曳野駅の一つ手前の駅「道明寺」で降り、徒歩10分です。この日の時点で駅前にあった沿線「梅だより」の表示では、現在満開はここだけでした。





お祭りの時の人出が想像できる広い門ですね。





境内の庭には赤、白、桃色、などが並べて植栽されている。





左:この結界を抜けて、天満宮らしくなってくる。  右:参道沿いにある「撫で牛」、こちらは目が赤くないですね。




石像の牛は。撫でられないように、格子の小屋の中に入っている。




これは活き活きした牛たちですね。





本殿は、大勢の参拝者たちの流れを想像できますね。




境内の一角では土地の人による盆梅展があった。

紅白の枝を持つものは珍しい。不思議にすだれが似合いますね。





この年月を経た紅梅はどうだ。





白を通り抜けて、透き通った緑色さえ感じられます。




この色は定番の優しい色ですね。




北野天満宮梅林③end

2012-03-19 | 動植物
菅原道真ら当時の知識人の集まりの中では、紅梅の木を庭に植えることがステイタスだったと聞きました。

 東風吹かば…の歌も、むべなるかな。

赤いお宮の前で、紅梅が咲く。





紅梅も紅梅、まさに赤い紅梅です。





大屋根に千鳥破風と唐破風とある贅沢な門は「三光門」と言われ、太陽と月と星の光が彫り込まれる門です。







天井の縁の裏側に、赤と白の丸い太陽と黄色の月が見えます。もう一つの光がどこかにある筈ですが、まだ見つけたことがありません。






左:酒の菰かぶりの樽が積み重なる本殿、おみくじを引く善男善女。
右:摂社のお賽銭を回収している。







境内の一隅に石灯籠がある。「渡辺の綱」が妖怪の鬼婆の腕を切って、それを妖怪が母に化けて取り返しに来ると言う伝説があります。

「渡辺の綱」が馬から落ちた場所が此処だったそうです。一条戻り橋の伝説の一つですね。

この話(2007.3/18)でアップしています。こちらは鬼女の腕が落ちたになっています。





夕刻、境内に燈が入りました。





参拝客の姿が絶えませんね。





明かりもけばけばしくなくて良い風情です。




赤い目をした神の使いの牛です。「撫で牛」と言って自分の体の不調なところを、牛の体でも撫でると治癒するそうです。

道真は丑年丑月丑日丑の刻に生まれたそうです。牛には生涯たびたび助けられたと言います。

北野天満宮梅林②

2012-03-18 | 動植物


梅園の庭の隅っこに、不思議な木がありました。ナンテンの変種と思いますが…。







都を守護する防護の土塁と堀がありました。「御土居(おどい)」として史蹟になっています。
 





堀のように長い土塁が水路と一緒に並行しています。






梅の木が植栽されて、その続きに表の山門の梅林と連結しています。梅もこの大きさになると桜か桃の感じですね。






豪華な紅梅ですね。万葉の頃には赤い梅の花はなかったそうで、平安時代になってから生まれたそうです。





蝋梅と紅梅。





桜並木ならぬ梅並木です。よい逍遥路がついていますね。









ここは梅もよいが、むしろモミジが美しいそうです。
 



土塁の上に上がってみると馬酔木が頑張って咲いていました。


北野天満宮梅林①

2012-03-17 | 動植物
菅原道真と言えば、梅ですね。北野天満宮の梅林を訪ねました。例年よりも早く咲いた気がします。

大鳥居から入って参道の石畳沿いに梅林の入口がある。生垣越しに梅の香りが届きます。
 




八分咲きと言うところでしょうか。






低い梅の灌木と黒い土で出来ている梅林の広場の草も十分でない季節ですね。梅は天下の魁ですね。






ぱらぱらと入園者もあり、静かな賑わいでした。






昆布茶と菅公梅と言う干菓子の接待がある。
 






梅には和服が似合うような気がする。御土居と言うのは、秀吉が京都の守護の為に市街地を囲む防塁の土手を作ったものが、

今も残っています。






この女性の着物のガラは梅ですねえ。自らも梅林の気分ですよ、きっと。






こちらは茶の宗匠の気分ですね。秀吉の大茶会の雰囲気です。





紅梅





白梅





やや赤みがある。





深紅梅とでも…。




紅梅越しに見る北野天満宮の総門。


お水取り(修二会)④end

2012-03-16 | 歴史・文化遺産
奥から出てきた「お松明」はここで一休みです。8mの竹竿の半分以上を欄干から突き出しています。火の粉が舞います。




火の粉が、筋になって落下しています。右側の松明が先へ進むのが遅れたようです。





次の松明が、階段の廊下を上がってきています。何しろ80kgを担いで、登ります。






伽藍の大屋根にまで火の粉が届こうかというほど、大きな炎になりました。






やがて、松明を回転させたり上下に揺すったりして、火がシャワーのようになって落ちる。下にいる善男善女にもろに降りかかります。






また次の松明が上がってきた。






しっかり、十分によく燃やすほど、「お松明」の重さは軽くなるというものですね。





11本の最後の「お松明」は欄干の上で、しばらく止まっていたが、最期の一瞬は、激しく回転させ振り回しました。

火の滝が生まれますね。「わーっ」と歓声が上がる。





「お松明」の式が終わった8時半ごろ、回廊から、まほろばの奈良盆地を望みます。

三角形の大仏殿の屋根・奈良の市街地の灯り、遠く生駒の山々と少し上空に惑星「金星」・「木星」の光が並んでブレて見えます。


お水取り(修二会)③

2012-03-15 | 歴史・文化遺産
 午後7時30分から始まるお松明の焚きあげを待って、4時ごろから人は集まってくる。

梅が満開になっている境内を散策したり、講中の人は座敷で布団にもぐったりしてその時を待ちます。

二月堂の横の軒に続く、屋根つきの石段を「お松明」は上がってきます。明るい昼間に見る軒下です。すでに一般の参詣客は途絶えています。

左手からお松明が上がってきてUターンして、表の回廊に出ていく場所です。




いよいよ始まりました。もともとは「お松明」は僧が参籠に向かう足元を照らす明かりであったと言う。

始めに先導する小さなお松明が3本が次々と階段を上がってきた。

松明を先導にしていた僧が入り口で「「案内を頼もう」と声を上げている。






小さなお松明も、そのまま本堂の中に入って行った(右)。
 






いよいよ、本番の大きな「お松明」が、階段を上がってきた。







籠松明は大きくて重そうである。火の粉が散る中で素足ですね、これは修行ですね。







ここで「お松明」はUターンします。火の粉を踏まないように…。






時計回りですね。








本堂の回廊の方に向きました。







長い竹の棒ですね。火の塊が落ちました。これだけ火に近いと熱さもかなりなものでしょう。








表の回廊に向かって勢いをつけて走り始めます。すると、火勢が一段と強くなります。







少し年配の人のようです。大きな火が熱いのも修業と頑張っているのかも知れませんね。

左:階段を上がってきたところ。            右:立ち止まって息をついているような気配です。
 


お水取り(修二会)②

2012-03-14 | 歴史・文化遺産
 昨夜12日のお水取りが最大の催しになったのでした。お松明が11本、それも籠松明でかなり大きなものです。




午後3時には境内の奥の建物にいる必要があった。


盛りと燃え上がる松明。




「お水取り」と言うのは、この閼伽屋(あかや)の中の井戸から、本堂の仏たちに香水(こうずい)をくみ出す行事です。

 この井戸は、若狭の国の遠敷(おにゅう)川から地下を通って、一か月かかってここまで来ると言います。お水送りの行事があります。
 
 昔、奈良であった仏様の全国集会に若狭の仏さまが、魚釣りをしていて遅刻をしました。その償いに毎年若狭の水を献上すると言う約束が出来ました。以来続くと言います。



こちらの回廊は、お松明が登ってくる階段です。





二月堂の奥の宿坊のような建物は、講の人たちの休憩所です。室内のふすま額です。
 




西に面した廊下に出る障子です。写る人影が面白いです。夕陽が見られそう。
 






障子を開けて出てみます。大仏殿と、遠くは大阪奈良の県境、生駒山系です。しだれ桜はまだ新芽が堅い。





夕陽に浮かび上がる二月堂。





左が三月堂、右端が4月堂、中央は茶店です。手前の大屋根の陰からちらっと見えるのが閼伽屋で、井戸のある建物です。





よそ見をしているうちに太陽が生駒山頂に沈みかけました。見事な茜色です。

 生駒から左に下がった鞍部が、暗(くらがり)峠で難波と奈良を結ぶ国道の峠道です。遣唐使や難波に向かう人たちの通った道です。万葉集にも出てきます。





山頂のアンテナ群が浮かび上がります。



お水取り(修二会)①

2012-03-13 | 歴史・文化遺産
 昨年に続き、東大寺の行事の一つ二月堂の「お水取り」の行事を拝観してきました。





講に所属されている方の配慮で、昨年の感動を再び。




1-15日の期間中、特に12日の大松明は籠松明と言って60kgもある松明が焚かれます。今夜の籠松明が並んでいます。

関西では「お水取りが済まないと、気候は暖かくならない」と言うのが、あいさつになっています。

雪一杯の象潟(20)end

2012-03-12 | 国内旅行
 蚶満寺山門の阿吽の仁王様です。素朴な可愛いお顔のお二方です。
 




参道を奥へ進み左に曲がると本堂が見える。







左:今日は法事があったようで、花輪が出ています。    右:鐘撞き堂から裏の前栽に回ります。






裏の庭からの八十八島の一部が見えます。




東の鳥海山は、層雲に霞んでいます。





山門を出て、再び庭園が見えます。芭蕉と西施の像が、氷の張った池の向こうに見えます。






駅前広場に帰ってきました。

駅前の喫茶店のマスターは、楽しい人で、30分ばかりの、電車の時間待ちのひと時を過ごしました。

「いぶりがっこ」が出ています。
 






駅のホームに出ます。





電車の連結部を見ていて、こんなに雪が付着しても走ってくれることに感謝。






秋田駅に帰ってきました。






駅構内の風景です。美人となまはげ。
 







久し振りの長距離列車の旅で、あらためて楽しさを見つけました。車で気侭に走り回る旅もいいし、ツアーでの旅も楽でいいけれども、国内旅行の良さを思い出しました。


10:31発日本海です。大阪まで雪の中を健気に走ってくれることでしょう。
 


ところで…
 昨日のTVの震災報道は、心打たれました。人の生きる原点は健在だったと再認識でした。

 建前ばかりで、自分の意地やメンツで暮らす人たちは、その自覚もないままに、欲望のままに、これからも生きていくのでしょうかね。
 
 本音の性善説は無くなったのかなあ。   合掌