夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

田中一村 展

2024年10月01日 20時36分20秒 | 美術鑑賞



東京2日目は
11時から始まるデイセッションのまえに
東京都美術館

奄美の光 魂の絵画
田中一村 展 に行ってみました。


9時30分からの開館でしたが
行列ができていたので、早めに開館しました。








入場料2,000円のところ
65歳以上を証明する健康保険証を提示したら
1,500円になりました。

例によって写真撮影は禁止でしたので
作品は「もっと知りたい 田中一村」から
抜粋させて頂きました。

田中一村は明治41年(1908)年に
栃木県に生まれ、7歳の頃から南画を描き
天才ともてはやされました。



これが7歳の時の作品
蛤の質感が見事ですね。
たった7歳です。


田中一村の父は彫刻家だった。
上の絵も7歳の頃の作品で、この年に児童画展で
「天皇賞」を受賞したのを期に、父親から
米邨(べいそん)という雅号をもらう。

18歳、東京美術学校日本画科に入学
同級生に東山魁夷がいた。
だが2か月後に退学する。


一目見て、富岡鉄斎風?
実際に鉄斎には画賛や色使いの上で
大きな影響を受けたとされている。



この富貴図の色彩は伊藤若冲ぽいですね。

23歳の時に、南画と訣別する。



秋色
昭和13年に千葉寺(現千葉市中央区)に移り住む。
そこで自宅の裏山を描いた一作。
この絵を見た時、着物の柄にしたら素晴らしい
だろうなと思いました。
実際に帯に絵を描いたりもしています。



秋晴
この作品も私のお気に入り
枝にぶら下げられた白い大根が眩しい。

この頃、米邨から一村と改名する。



私のお気に入りのケイトウの作品では
ありませんが、ケイトウを描いた作品も好きです。

昭和33年に、一村は住み慣れた千葉から
新天地奄美に移住する。



枇榔樹の森

墨色の濃淡で表現したビロウの葉が
すだれのように重なって
そのテクニックに凄みをただ感じる。
隅に描かれた蝶も印象的。









海老と熱帯魚
70歳の古稀を前に描いた作品。


古稀を迎えることなく69歳で
心不全で亡くなる。


約300点の作品からなる
田中一村展

なかなか見ごたえのある作品群でした。

生前は脚光を浴びることなく
貧しく染色工として働きながら
絵を描く島暮らしであった。



それではまた明日


今日も来てくださってありがとうございます。








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