7月3日に東京で見たNHK夕方ニュース、大地震と津波で多くの犠牲者を出した北海道・奥尻島からのレポートでした。
大災害から立ち上がり今元気に暮らす食堂の女主人が、若い女性レポーターから「幸せですか」と尋ねられ、笑顔で「幸せです」と答えていました。
スタジオでそのレポートを見ながらその女性レポーターが「私が幸せですかと尋ねられたら何と言うんだろうかと、ハッとさせられました」という風なことを話していました。
それを聞いていた私より年配の男性キャスター、
「一日一日を大事に生きるってことですかね」
さらに続けて、
「一所(生)懸命生きることでしょうか」
と。
その講評に彼女が返事に困って、一瞬詰まった後、
「いろんなものを求めすぎているんでしょうか」
と、返しました。
私には彼より、彼女の方がまともに思えます、良く分かっていると。
「一日一日を大事に生きること」や「一所(生)懸命生きること」と、「幸せ」は別問題だと思います。もっと言うと「一日一日を大事に生きる」や「一所(生)懸命生きる」という「欲」をほっぽらかす、つまりは「一日一日を大事に生きる」や「一所(生)懸命生きる」ことを「求める」のをやめることから、幸せが始まることもある、そんな風に思うのです。
彼女は奥尻で、毎日毎日魚をとったり、食堂で町の人や旅行者においしい食事を提供する、そんな日常の中で幸せを感じている人をみて、「いろんなものを求めない」ことから幸せになれると思ったんじゃないでしょうか。
頑張れなくったって、一生懸命できなくても、希望が低くても、そんなことは幸せとは関係ないことと思うのです。
大災害から立ち上がり今元気に暮らす食堂の女主人が、若い女性レポーターから「幸せですか」と尋ねられ、笑顔で「幸せです」と答えていました。
スタジオでそのレポートを見ながらその女性レポーターが「私が幸せですかと尋ねられたら何と言うんだろうかと、ハッとさせられました」という風なことを話していました。
それを聞いていた私より年配の男性キャスター、
「一日一日を大事に生きるってことですかね」
さらに続けて、
「一所(生)懸命生きることでしょうか」
と。
その講評に彼女が返事に困って、一瞬詰まった後、
「いろんなものを求めすぎているんでしょうか」
と、返しました。
私には彼より、彼女の方がまともに思えます、良く分かっていると。
「一日一日を大事に生きること」や「一所(生)懸命生きること」と、「幸せ」は別問題だと思います。もっと言うと「一日一日を大事に生きる」や「一所(生)懸命生きる」という「欲」をほっぽらかす、つまりは「一日一日を大事に生きる」や「一所(生)懸命生きる」ことを「求める」のをやめることから、幸せが始まることもある、そんな風に思うのです。
彼女は奥尻で、毎日毎日魚をとったり、食堂で町の人や旅行者においしい食事を提供する、そんな日常の中で幸せを感じている人をみて、「いろんなものを求めない」ことから幸せになれると思ったんじゃないでしょうか。
頑張れなくったって、一生懸命できなくても、希望が低くても、そんなことは幸せとは関係ないことと思うのです。