〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

こだわりではある、が

2007-08-30 | 「特攻」論
ここのところ、ほとんどこだわりのように「特攻」というテーマで書いている。いや、まさにこだわりそのものなのだろう。 さきの戦争をどう評価するかについては左右に内外にさまざまな見方がありえ、そしてそれらすべてが大体において正しいというのが総体としての歴史なのではないか、とすら思える。 しかし当面ここではそれは問題ではない。 明らかにしたいのはなぜ若い彼らには「国のために死ぬ」ということができたのか . . . 本文を読む

大和魂ある者の  6

2007-08-25 | 「特攻」論
表示の画像は戦史関係の著述家である原勝洋氏が、昨年以来鳴り物入りといった感じで著作や雑誌記事で紹介している資料である。 これは「Observed Suicide Attacks by Japanese Against Allied Ships」(「観察された日本軍の連合国艦船への自殺攻撃」、米海軍情報部航空諜報課作成)と題された資料の一部で、航空特攻が開始された1944年10月から沖縄戦直前の1 . . . 本文を読む

62年という時間

2007-08-17 | Weblog
私たち日本人にとって大切な慰霊の時期が来ました。 この時期ふつうにいわれる「終戦」という言葉からは、まるであたかも台風か何かの、自然災害が終了したかのような受動的・他動的な印象を受けないでしょうか。 これが作為的な言い換えなのかは知りません。 が、こう表現することで慰霊ということに関わる重要なことがぼやかされてしまっているのではないかと思われます。 「あれはしょうがなかったことだよ」「もう終わ . . . 本文を読む

忘れたこと・忘れさせられたこと、今もなお

2007-08-02 | 「特攻」論
二つ前の特攻隊に関する連載の記事に、「無条件降伏を迫るポツダム宣言受諾」云々と書きましたが、軽率なことにこれは不正確な、というよりもある種はっきりと偏向した認識だったようです。 当のポツダム宣言が意図したところを考えれば、それは文章自体がまるで矛盾したものとなってしまうほどの錯誤だったようです。 自覚したようでありながら、教育で、メディアで、教えられたように、刷り込まれたままを書いていたわけです . . . 本文を読む