きのうはサングラハ心理学研究所の公開講座、カウンセリング入門「聴くこと」に参加してきた。
テーマは文字通り“聴くこと”。
ロジャーズ派のカウンセリングは一から十までとにかくいかに相手の気持ちに沿って聴くことができるかどうかがカギであり、簡単なようでいて難しく奥深い、積極的傾聴の理論と実践を学ぶことのできる貴重な機会で、またリラックスした雰囲気で実習できて楽しかった。
意外なのは、こういうカウン . . . 本文を読む
結局何が語られていたのか
さて、著者・鶴見済氏自身の視座のレベルが明らかになることによって、社会不適応者たちの自殺を扱う書物を執筆した、彼自身の隠れた動機がはっきりしてきたように思う。
この著者はたぶん間違いなく、彼自身半分は自覚しているのであろう自らの心の弱さ=内向性・非社交性を、社会に適応できず「生きるのに適さない」自殺者に投影している。
そして彼らの死を弱さから来る当然の結末であ . . . 本文を読む
論理療法の論駁のポイントの第二、「現実と一致しているか」について。
これは心の半分無自覚なところで巡っている理に合わない思い込みが、いろんな意味で現実と一致しているかを徹底的に追及する、反論の大きなポイントだと思う。
「そんなこと分かり切ってるじゃん」という気にもなろうというところだが、しかしそれは「言われてみればそうだ」というアタマの先のレベルの受動的な記憶にすぎず、現にそういう自動思考が巡 . . . 本文を読む
睡眠が多少少なくともだいじょうぶと思っていたが、これはさすがに眠い。このごろは朝早くがとても寒いので、フトンから離れがたい。
きょうも自分を惨めにさせるような、落ち込ませるような、混乱させるようなセルフトークをどれだけやったことだろう。気づいても、なかなかその場でよくできるものではない。やはり日々の練習がぜひとも必要なようだ。しかも道のりは長そうだ!
論理療法はその根底にある哲学として、まず自己本 . . . 本文を読む
言葉の発せられているレベル
さて、こんなふうに自他を人間として評価する尺度のレベルが限りなく低下しつつある文化と心の平板化状態にあっては、深み/高みを目指す本質的な人間成長などという面倒くさいものは、単純に記憶量のアウトプットにすぎない「成績」だとか、表面的な人間関係を拡大し取り繕うための「明るさ」に還元されてしまい、結局それだけが残されているという地点まで突き詰めれば行き着いてしまうだろう。 . . . 本文を読む
いろいろなイラショナル・ビリーフ(理に合わない思い込み)があるのをここのところとみに実感させられることが多い。
これまで言葉には心にはたらく強力な作用がある(意識的な心とはとりわけ言葉によって構築されているのだから考えてみれば当然のことなのだった)と方法的に信頼して、いわゆる自己暗示的な取り組みはしてきて実際かなりの効果はあったけれども、こういう根強い思い込みに対処するためにはそれではきわめて不 . . . 本文を読む
こんな本が生まれてしまう時代とは何なのか
さきに述べたとおり、いじめとは心理的に未成熟な人間の集団で、同調-排除の圧力を原因として起こるものだ。それは競争主義的な文化における人格養成の場である、学校という特殊な閉鎖的環境を温床にした、社会現象であると思う。
競争主義とは何もビジネスの世界に限られたものではない。それはこの社会にどこまでも広く深く根付いてしまっている自明化された常識的価値基準だ . . . 本文を読む
なんなのだかよくわからないのだが、いろんな巡り合わせが最近いちどきに訪れている感じで、身辺がとてもあわただしく、とにかく時間の足りなさが強く意識されるような状況にある。
なにより仕事上の変化が大きい。福祉畑からまったく雰囲気も仕事も異なるバス営業所に配属となり、ちょっと慣れたと思ったら配置と仕事が大きく変わり、しかも配車を担当しているもう一人が不祥事をやらかしたために、ここ当分は休日も取れそうに . . . 本文を読む
たとえば、そんな彼のペットテーマであるらしいいじめ自殺の記述が、冷笑的な、すなわち文字通り冷たい笑いをバックにしたものであることに注目しよう。
以下引用すると:
「さてこの事例は少年自殺の定番、“いじめモノ”である。」
「どこへいってもいじめられるヤツはいじめられる」
「いじめられるヤツはなにをしてもいじめられる。」
「まあ、クラブ活動に限らず世の中といったものは大体こういったものだ。」
「む . . . 本文を読む
〔これまで前のブログで、ベストセラー『完全自殺マニュアル』(鶴見済著、太田出版、1993)と批判を繰り広げてきた。
この本はいまの社会の裏にある通俗的なニヒリズムをあまりにもわかりやすく露骨に語ってみせており、これを撃墜することでそんなニヒリズムがじつは幻想であることを示せると思ったからだ。
ようするに自分も、この本をダシに言いたいメッセージを語っているにすぎないのだろう。そういう意味ではこの本は . . . 本文を読む
さいきんほとんどテレビも新聞も読まなくなりつつあるが、それでも話題の事件は昼の食堂のテレビなどでちょっと見聞きする。
なんだか心の底の方から冷え冷えとしてくる事件が続発しているようだ。母親の毒殺、一方的な怨恨での女子高生殺人、等々…。ごく若い世代による、理解しかねるような犯罪。これはいったいどうしたことなのだろう。
共感も同情も入り込む余地のない、しかしたんに衝動的といってしまうには済まされな . . . 本文を読む
引き続き論理療法の話。
論理療法で自分の心の混乱を修正しなければならない(いや、なるべくしたい!)という環境的な必然性の只中にあり、この場を使わせていただこうと思う。よろしければちょっとおつき合い&ご笑覧を…
論理療法とはアメリカ生まれのひじょうに汎用性の高い心理療法として知る人は知っているものだ(知らない人も、たぶんネットで検索すれば溢れるほどの情報に出会うことができると思います)。弱腰矯正の . . . 本文を読む
人生の大先輩に教わって、とりあえずなにをするのが望ましいかの指針をいただいた。
とにかく無意識にやっている自動思考=セルフトークの修正を図ること。
そのためには、これまで何度も勉強してきたことだが、やはり論理療法が決定的。自動的にやっている理に合わない「must」等を発見し、家に帰ったら修正するためのトレーニングを重ねること。
そのさい、普通の人間ならアタマでやっているだけでは思考は逃げていっ . . . 本文を読む
まえにもブログをやっていたが、なんだか違うような気がしてきたので新しいのを立ち上げてみた。時間がなく飾っているヒマはあまりないので、思った通り書くしかない。文章でカッコつけるのはすごく好きなのだが、それもある程度だ。
書くという行為はふつうに考えれば自己表現であり、人に読んでもらって承認してもらいたいからということが、一般には主要な動機となると思う。もちろん、自分もそういう願望が濃厚にあるのを書 . . . 本文を読む