〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 15

2017-09-10 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
まとめ  このように四象限の枠組みから、人間集団の内面が歴史にとって不可欠の半面であったことが見えてくる。単純に「心を抜きに歴史が存在しうるか」と思考実験してみれば、それは事実だとしか言いようがない。歴史的事象は内面と外面で一体であるというこの原点に立ち返るならば、見失われた左下象限・集団的内面の領域を補完する歴史観が、意味も展望もある真にリアルなものとして今後正統性を持つであろうと当然に予見 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 14

2017-09-09 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 著者はその執筆意図を「歴史を学ぶのは、現代をよりよく知るため」であると述べ、また現代の生態学的な危機を超えるため、現代日本が江戸時代の持続可能な社会に学ぶことを期待していると言う。実際、閉鎖環境下の狭隘な国土で、農業をベースに三千万を超える人口が長期にわたり生活水準を維持・増進しつつ、生態学的な均衡をも実現していたという驚異的な事実は、真に文明の名にふさわしく、私たち日本人はかかる先祖たちの達成 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 13

2017-09-06 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 これを幻影にとどめず、対応する外面の経済・社会的な証拠によって現実世界に繋ぎ止めうるのが、鬼頭氏が提示している江戸システムだと言いたい。鬼頭氏は本書によって、いみじくも渡辺氏が述べている「彼らの第一印象の網にかかった…高度で豊かな農業と手工業の文明、外国との接触を制限することによって独特な仕上げぶりに到達した一つの前工業化社会の性格と特質」を、「国民、生産物、商業、法律等々についての正確な情報 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 12

2017-09-05 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
本書と『逝きし世の面影』との関連について  ところで、本書冒頭でも言及されている渡辺京二氏の『逝きし世の面影』は、幕末・明治初期に訪日した外国人の記録を文化人類学的観察として読み解くという、本書とは全く異なるアプローチによって「文明としての江戸」を描き出した、真に画期的な業績であった。それは異文化ギャップが浮き彫りにした文明の心性を再生する試みであり、その意図は次のような一節に端的に表現されて . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 11

2017-09-04 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 こうして「文明としての江戸システム」は、いわゆる「文明開化」で単に滅び去ったのでなく、その後の歴史の展開に連続し、近代国家成立を可能ならしめた遺産でもあったことが、ますます明らかになりつつあるとしている。  数百年にわたって浸透し、江戸時代後半の百五十年に緊密に全国を結合し、高度に洗練された市場経済のシステムは、それまで現実の変化を抑制していた種々の規制を撤廃することによって、短期間の内に資 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 10

2017-09-01 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 一方で「それは、少なくとも平常年にあてはまることであって、凶作によって供給量が減少すればただちに問題が生じる危険水域」だった。さらに栄養バランスにも地域によって極端な偏りが見られるなど、農業社会としての限界をも指摘する。先に見た人口増加率の顕著な地域差からすれば、栄養状態に同様の傾向があっただろうことは想像に難くない。しかしそうだとしても、全体に関する基本的事実を認識することがまず重要である。 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 9

2017-08-30 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
生活としての徳川文明  江戸時代中期以降に一般化した小家族による農業経営は、農民自らの責任のもと、狭小な耕地で不断の労働と改良により生産性向上を実現する「勤勉革命」をもたらし、このことはプロト工業化による非農業的生産の進展と結びつき、農民が富を獲得するチャンスを広げた。こうした状況のもと、庶民の生活の質が着実に改善されたことは、平均寿命の延伸や幼児死亡率の顕著な低下等のデータに示されている。本 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 8

2017-08-30 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 さて、以上のような歴史研究の到達を踏まえ、著者は「庶民は富を、武士は権力を、朝廷は権威を、それぞれ分担して受け持ったのが江戸時代の社会であった」と端的に結論している。これまで「江戸時代の庶民は常に食うや食わずの貧窮状態に置かれていた」とされてきたのとは、文字通り正反対の評価である。そして、そのような「貧農史観=江戸時代暗黒史観」の文脈に沿って、飢えたる民衆の蜂起行動として長らく語られてきた象徴 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 7

2017-08-27 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
生活を支えた経済システム  続いて本書は、江戸時代を通じて市場経済が洗練され高度化し、流通の循環構造により全国が統合されていく様子を明らかにする。  そもそも幕藩体制自体が、米納年貢の販売などのために貨幣と市場経済を前提としていたのであり、よく知られているように、江戸時代前期までには、畿内先進地域を背景とした中央市場・大阪を中心に、大消費地の江戸をはじめ各領国が結びついた、海運業による物資の大 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 6

2017-08-23 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 本書のキー・コンセプトは、こうして特に農村において成立した「プロト工業化」にある。市場経済の全国的浸透に伴うプロト工業による生産は、江戸時代後期までに各地で額面上で農業生産に比肩し、さらに凌駕するまでになっていただろうと本書は推測している。例えば、藩の調査に基づく研究で産業各分野の生産価額が確認できる、天保期(十九世紀中頃)の長州藩の状況は次のようであった。  これらのデータからは「藩民総生 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 5

2017-08-23 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 さて、江戸時代前半の人口急増期に、江戸を始めとする都市も急成長を遂げ、全国の都市人口比率は十八世紀半ばまでに平均一三~一四パーセントに達し、その後都市人口も停滞したと本書では推計されている。都市では大規模な用水が順次整備され、ゴミ投棄の取締やゴミ処分も政策的に進められるなど、都市環境の改善が図られ、この結果江戸時代の都市は同時代としては世界的にも清潔な環境な環境が維持されたという。そこには、と . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 4

2017-08-21 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 このように、本書のテーマである江戸時代を通じての持続的な経済成長と、特に中後期の「豊かな成熟社会」の実現とは、何より生存環境の改善を示す人口動態面の明らかな指標によって基礎的に裏付けられているのである。  また、「明治十九年(一八六六年)に初めて作られた一歳ごとの人口統計(日本帝国民籍戸口表)によって出生数を遡及推計してみると、出生率は明治になってから急に上昇したのではなく、一八二〇年代以降、 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 3

2017-08-19 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
  人口に見る江戸システム  一方マクロで見ると、江戸時代前半の百年間で、全国の総人口は当初の千二百万人程度(著者推計)から三千万人超に達する急成長を遂げた。この人口増加率はエリザベス朝時代のイングランドを格段に上回り(人口規模では数倍も上回る)、前近代としては世界的にも異例の人口急増であり、かつ市場経済の浸透と経済発展、大規模な国土開発を通じた生産増大と相互に呼応するものであった。  しかし、 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 2

2017-08-18 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
江戸時代に生きた人々  本書は、日本が強力な人口記録が緻密に整備され史料として多数が残存する世界的に稀有な「人口史料の宝島」であることを紹介し、特に第二章と第三章でその近年の研究成果をもとに、各村々から全国に至るミクロとマクロの人口動態と、そこから浮き彫りになる社会の実態を明らかにしている。  ミクロな面では、特にある村の複数の農民家族の人生を長期にわたり追っているのが興味深い。後で見るように . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 1

2017-08-17 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
(以下、サングラハ教育・心理研究所会報『サングラハ』148~150号より転載) はじめに  本書は経済史・歴史人口学を専門とする歴史学者の、江戸時代の経済社会的な達成を主題に学術的な研究成果を俯瞰した緻密な著作であり、戦後長く主流を占めた史観から自由になった歴史学の到達水準を示しているものと思われる(初版刊行は二〇〇二年)。ここには初期的な近代化というべき市場経済化と経済発展を通じて、農業社会 . . . 本文を読む