それにしても、著者がそれらのコメントにおいて強調する、自殺が必然に思われてしまうような、自殺者の「どうにもならない不幸」とは、いったいどれほどの不幸だというのだろうか?
そもそもこの地球上には六〇億以上の人間が生活している。で、それらのエピソードがこの世界で何番目に不幸だというのだろうか?
この日本にいて、普通に生きていればとりあえず日々の食事に困ることはなく、ちょっと怪しくなってきたものの生 . . . 本文を読む
結局何が語られていたのか
さて、著者・鶴見済氏自身の視座のレベルが明らかになることによって、社会不適応者たちの自殺を扱う書物を執筆した、彼自身の隠れた動機がはっきりしてきたように思う。
この著者はたぶん間違いなく、彼自身半分は自覚しているのであろう自らの心の弱さ=内向性・非社交性を、社会に適応できず「生きるのに適さない」自殺者に投影している。
そして彼らの死を弱さから来る当然の結末であ . . . 本文を読む
言葉の発せられているレベル
さて、こんなふうに自他を人間として評価する尺度のレベルが限りなく低下しつつある文化と心の平板化状態にあっては、深み/高みを目指す本質的な人間成長などという面倒くさいものは、単純に記憶量のアウトプットにすぎない「成績」だとか、表面的な人間関係を拡大し取り繕うための「明るさ」に還元されてしまい、結局それだけが残されているという地点まで突き詰めれば行き着いてしまうだろう。 . . . 本文を読む
こんな本が生まれてしまう時代とは何なのか
さきに述べたとおり、いじめとは心理的に未成熟な人間の集団で、同調-排除の圧力を原因として起こるものだ。それは競争主義的な文化における人格養成の場である、学校という特殊な閉鎖的環境を温床にした、社会現象であると思う。
競争主義とは何もビジネスの世界に限られたものではない。それはこの社会にどこまでも広く深く根付いてしまっている自明化された常識的価値基準だ . . . 本文を読む
たとえば、そんな彼のペットテーマであるらしいいじめ自殺の記述が、冷笑的な、すなわち文字通り冷たい笑いをバックにしたものであることに注目しよう。
以下引用すると:
「さてこの事例は少年自殺の定番、“いじめモノ”である。」
「どこへいってもいじめられるヤツはいじめられる」
「いじめられるヤツはなにをしてもいじめられる。」
「まあ、クラブ活動に限らず世の中といったものは大体こういったものだ。」
「む . . . 本文を読む
〔これまで前のブログで、ベストセラー『完全自殺マニュアル』(鶴見済著、太田出版、1993)と批判を繰り広げてきた。
この本はいまの社会の裏にある通俗的なニヒリズムをあまりにもわかりやすく露骨に語ってみせており、これを撃墜することでそんなニヒリズムがじつは幻想であることを示せると思ったからだ。
ようするに自分も、この本をダシに言いたいメッセージを語っているにすぎないのだろう。そういう意味ではこの本は . . . 本文を読む
『完全自殺マニュアル』完全批判12
いじめの構造
『完全自殺マニュアル』が暗に発している、“いじめる側からのメッセージ”を暴き出すにあたり、少し長くなるが、ここで“いじめる側”の心理を考えてみたい。
柔軟な自信とそれに裏付けられた謙虚さをもって自然に振舞うことができる人間がいじめに走ることは、たぶんけっしてない。
そういう立場に立った方や、いじめの状況に居合わせた方はよくご存知と思う . . . 本文を読む
『完全自殺マニュアル』完全批判(10)
死にゆく者への目線
ここでは、自殺を刺激的な情報として語っている本書が、自殺した人間をどのように語っているかを見ていこう。
見てきたように、この本は自殺の方法論については多くの紙幅を割きながら、それを実行した人間の内面にはほとんど踏み込んでいないのだった。
しかしその中で、著者が人生観めいた感想と自殺者に対する共感らしきことを述べている異例 . . . 本文を読む
『完全自殺マニュアル』完全批判(8)
「あとはもう“あのこと”をやってしまうしかないんだ」
さて、世の中に絶望し(またはしたふりをし)、生きることなんてくだらない(ただし、たぶん他人が)と宣言してみせた著者は、ではなぜさっそく『マニュアル』の方法を実行して、早々にこの世に見切りをつけなかったのだろうか?
なぜ著者はこんな本を書いていながら、自分自身は自殺しないで生きているのか?
こ . . . 本文を読む
『完全自殺マニュアル』完全批判(5)
これまで行なってきた『完全自殺マニュアル』を言葉で撃破し葬り去る試みの、本論に移りたいと思う。
ようやく手に入った1999年発行の本書は、その時点で第82刷を記録している。
書き始めるまで知らなかったことだが、これは隠れた超ベストセラーといって過言ではないだろう。
現在どのくらいの版を重ねているのかは知らないし、正直言って知りたくもないが、 . . . 本文を読む
『完全自殺マニュアル』完全批判(3)
『完全自殺マニュアル』を批判する意図で書き始めたが、同書が手には入っていない状態であるためしばらく擱き、ここでは予備的に、古本屋で購入することができた同じ著者による『人格改造マニュアル』を取り上げてみたい。
それは、著者・鶴見氏が「しょせん人間てのはこんなもんで、変われっこない」と、常識的・通俗的ニヒリズムに安易に乗っかるかたちでひどく矮小な人間 . . . 本文を読む
〔前ブログで書いていた、鶴見済著『完全自殺マニュアル』の分析・批判記事の全文を再掲しました。末尾の第12回のあとが、本ブログの当該記事に続きます。〕
『完全自殺マニュアル』完全批判(1)
かつて『完全自殺マニュアル』(鶴見済著)という本が世間を騒がせた。
その自殺を奨励するようなミもフタもない内容は、当時オウム事件で社会倫理的な「底が抜けた」脱力感をいだき、宮台真司氏の「終わりなき . . . 本文を読む