〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 9

2017-08-30 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
生活としての徳川文明  江戸時代中期以降に一般化した小家族による農業経営は、農民自らの責任のもと、狭小な耕地で不断の労働と改良により生産性向上を実現する「勤勉革命」をもたらし、このことはプロト工業化による非農業的生産の進展と結びつき、農民が富を獲得するチャンスを広げた。こうした状況のもと、庶民の生活の質が着実に改善されたことは、平均寿命の延伸や幼児死亡率の顕著な低下等のデータに示されている。本 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 8

2017-08-30 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 さて、以上のような歴史研究の到達を踏まえ、著者は「庶民は富を、武士は権力を、朝廷は権威を、それぞれ分担して受け持ったのが江戸時代の社会であった」と端的に結論している。これまで「江戸時代の庶民は常に食うや食わずの貧窮状態に置かれていた」とされてきたのとは、文字通り正反対の評価である。そして、そのような「貧農史観=江戸時代暗黒史観」の文脈に沿って、飢えたる民衆の蜂起行動として長らく語られてきた象徴 . . . 本文を読む

講座「『摂大乗論』入門」について

2017-08-28 | サングラハ教育・心理研究所関係
 サングラハ教育・心理研究所の講座について、続いて8/27日曜開催の、岡野守也氏による東京講座「『摂大乗論』入門」の第2回講義について報告したいと思う。  今回のシリーズは10月以降開催予定の大乗仏教・唯識の代表的論書である『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』全巻講読に向けた、入門的概説の第2回目である。  先述の土曜講座で触れたように、仏教の発展形態として日本に伝わった大乗仏教のなかでも、心理 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 7

2017-08-27 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
生活を支えた経済システム  続いて本書は、江戸時代を通じて市場経済が洗練され高度化し、流通の循環構造により全国が統合されていく様子を明らかにする。  そもそも幕藩体制自体が、米納年貢の販売などのために貨幣と市場経済を前提としていたのであり、よく知られているように、江戸時代前期までには、畿内先進地域を背景とした中央市場・大阪を中心に、大消費地の江戸をはじめ各領国が結びついた、海運業による物資の大 . . . 本文を読む

講座「ゼロから始める仏教入門」について

2017-08-26 | サングラハ教育・心理研究所関係
私が現在参加している、岡野守也氏によるサングラハ教育・心理研究所の講座「ゼロから始める仏教入門」の第4回講義について報告したい。 サングラハの講座では常々重要なことが語られていると思ってきたが、自分の主観で妙なまとめ方をしてもしょうがないし恥ずかしいと思い、これまで書かなかった。 しかし拙文ではあっても、せっかくなので今後は参加の都度、片端なりとも紹介していきたいと思う。 講座では前回まで、 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 6

2017-08-23 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 本書のキー・コンセプトは、こうして特に農村において成立した「プロト工業化」にある。市場経済の全国的浸透に伴うプロト工業による生産は、江戸時代後期までに各地で額面上で農業生産に比肩し、さらに凌駕するまでになっていただろうと本書は推測している。例えば、藩の調査に基づく研究で産業各分野の生産価額が確認できる、天保期(十九世紀中頃)の長州藩の状況は次のようであった。  これらのデータからは「藩民総生 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 5

2017-08-23 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 さて、江戸時代前半の人口急増期に、江戸を始めとする都市も急成長を遂げ、全国の都市人口比率は十八世紀半ばまでに平均一三~一四パーセントに達し、その後都市人口も停滞したと本書では推計されている。都市では大規模な用水が順次整備され、ゴミ投棄の取締やゴミ処分も政策的に進められるなど、都市環境の改善が図られ、この結果江戸時代の都市は同時代としては世界的にも清潔な環境な環境が維持されたという。そこには、と . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 4

2017-08-21 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
 このように、本書のテーマである江戸時代を通じての持続的な経済成長と、特に中後期の「豊かな成熟社会」の実現とは、何より生存環境の改善を示す人口動態面の明らかな指標によって基礎的に裏付けられているのである。  また、「明治十九年(一八六六年)に初めて作られた一歳ごとの人口統計(日本帝国民籍戸口表)によって出生数を遡及推計してみると、出生率は明治になってから急に上昇したのではなく、一八二〇年代以降、 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 3

2017-08-19 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
  人口に見る江戸システム  一方マクロで見ると、江戸時代前半の百年間で、全国の総人口は当初の千二百万人程度(著者推計)から三千万人超に達する急成長を遂げた。この人口増加率はエリザベス朝時代のイングランドを格段に上回り(人口規模では数倍も上回る)、前近代としては世界的にも異例の人口急増であり、かつ市場経済の浸透と経済発展、大規模な国土開発を通じた生産増大と相互に呼応するものであった。  しかし、 . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 2

2017-08-18 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
江戸時代に生きた人々  本書は、日本が強力な人口記録が緻密に整備され史料として多数が残存する世界的に稀有な「人口史料の宝島」であることを紹介し、特に第二章と第三章でその近年の研究成果をもとに、各村々から全国に至るミクロとマクロの人口動態と、そこから浮き彫りになる社会の実態を明らかにしている。  ミクロな面では、特にある村の複数の農民家族の人生を長期にわたり追っているのが興味深い。後で見るように . . . 本文を読む

書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 1

2017-08-17 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)
(以下、サングラハ教育・心理研究所会報『サングラハ』148~150号より転載) はじめに  本書は経済史・歴史人口学を専門とする歴史学者の、江戸時代の経済社会的な達成を主題に学術的な研究成果を俯瞰した緻密な著作であり、戦後長く主流を占めた史観から自由になった歴史学の到達水準を示しているものと思われる(初版刊行は二〇〇二年)。ここには初期的な近代化というべき市場経済化と経済発展を通じて、農業社会 . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)14 (了)

2017-08-16 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
 それを考える上で踏まえるべきは、純粋・客観的な「正しい」歴史などとというものはそもそも存在しないという事実だと思われる。「歴史観」という用語が示すとおり、言葉で現実を認識する私たち人間は、真実性や包括度の相対的な差はあるにせよ、必ずある特定の視点と文脈から、つまりは物語としてしか歴史を見ることができない。最近まで真実だと信じられてきた江戸時代暗黒史観とは、往時に支配的だった政治思想から歴史を読み . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)13

2017-08-15 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
 私たちの歴史的なアイデンティティ形成を阻害する分厚い「壁」としてこれまで立ちふさがってきたのが、暗部のみが異様に誇張された「卑小な江戸時代」観であることは先に述べた。そして本書の意義とは、著者自身が意図したところではないにしても、まさにその点において、日本人が自己のルーツを取り戻す突破口を開いたことにある。そして著者が繰り返し言及している「前近代の実像を明らかにすることで近代の意味を問う」とい . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)12

2017-08-14 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
 特に終章の末尾、本書の締め括りにおいて『東海道中膝栗毛』を取り上げ、近代ヒューマニズムからすれば眉をひそめざるを得ないようなその猥雑さとアナーキーぶりに、人生や世界を軽妙なものと割り切った「明るいニヒリズム」があり、それが当時の日本人、ひいては前近代人の前個的な心性の特徴だったと、短く結論していることが注目される。それは、合理的な個的段階の前に自他未分離な前個的段階、いわば幼少期の心性が人間集 . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)11

2017-08-13 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
③日本近代の「謎」の解明について  そして第三に、著者が目的としていた日本近代史の意味の解明に関し、本書自身が日本近代の最大の「謎」に明快な解を与えていると見えるにもかかわらず、前項の問題が障壁となって、それに全く触れられていないことが挙げられる。すなわち、近代西洋文明から遙かに隔たった極東の「まことに小さい国」(司馬遼太郎)が、なぜ短期間に近代化を実現し、その壊滅の後になお経済的な躍進をなし得 . . . 本文を読む