「ケネディ暗殺はCIAを主体とする陰謀だった」とのジョンソンの生前の推測は、あまり知られていないが、実は後年の民事裁判で真実性が裏付けている。それは長年この事件を追った弁護士マーク・レーンの弁護活動によるものである。
詳しくは、この陰謀の核心部分を裁判の過程で白日のもとに曝し、勝訴を勝ち取ったレーンの記録、『Plausible Denial』(邦題『大がかりな嘘』、不適切な邦題である)をぜひ参 . . . 本文を読む
以下、サングラハ教育・心理研究所のホームページから転載します。
特に仏教や心理学に興味のある方はぜひご購読いただければ幸いです。
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隔月刊の会報『サングラハ』について、159号(2018年5月号)の発行をお知らせします。
各会員には6月上旬に到着予定です。
会員以外の一般の方でもご購読いただけます。当HPフ . . . 本文を読む
ケネディ政権の副大統領にして、ケネディの暗殺によって後任の大統領となったリンドン・ジョンソンは、後年にいたって彼自身によるこの公式の証言を覆す言葉を語っている。
※暗殺当日、エアフォース・ワン機上で就任の宣誓をするジョンソン新大統領 夫の死亡直後のジャクリーン夫人を脇に就任の宣誓をする(上)。ジャクリーンと対照的に、ジョンソンの妻・レディバード夫人は早くも夫の思わぬ栄進に笑みを隠せない( . . . 本文を読む
かくも疑惑にまみれたウォーレン委員会報告書。
そこに関わった政府関係者のうち、最も重要な人物は誰か? それは、ウォーレン報告を受け承認した、後任のジョンソン大統領その人であろう。
※委員会メンバーから報告書を受け取った際のジョンソン大統領。先の写真で背後に尊大なそぶりで構えていたアレン・ダレスを振り返り、意味ありげな目配せをしている。このように、ウォーレンから報告書を受け取って、ジョ . . . 本文を読む
公式説による限り、オズワルドの銃弾はここまでで後方から2発のみでなければならないが、フィルムから読み取れる銃撃はすでに後方からの3発、前方からの1発の、少なくとも計4発となっている(後述するが、さらに発砲があった可能性が高い)。
とくに最低3発が関わっていることが明白な大統領の上背部及び喉仏下の2ヶ所の銃創とコナリー知事の右胸の銃創を、わずか1発の銃弾で片付けようとしたウォーレン報告の結論が . . . 本文を読む
本書の目的と叙述の枠組みについて
本書は一般に「欧米人のすぐれた日本論」(岩波文庫版表紙の短評)、「日本の近代化をめぐる歴史社会学的な学際的研究」(訳者解説)の一つと目されているようだが、一読すれば明らかにように、著者の関心は特定日本よりも、むしろ人類一般の近代化というより広く普遍的な目的にこそあると見るのが適切である。そのように本書の研究の前提には「社会・経済の近代合理化をもたらすこととな . . . 本文を読む
こうした現在圧倒的な主流を占める外面還元主義の根底には、自覚されざる「言葉への不信」があると見えてならない。言葉はただ世界を表現し報告するだけで、それ以上の「力」はない。だから言葉が担う価値とは結局幻想にすぎない――しかしその判断もまた、どこまでも言葉に依っているのである。自己矛盾の迷路に嵌まり込み、盲点と化した根深い信念がここにある。
価値そのものの存在を疑わない本書の叙述から逆算することで . . . 本文を読む
研究方法について(承前)
ところで先に触れたように、本書では過去の日本人の中に生きていた内面的諸価値が値引きなく扱われている。つまり著者は人間にとっての価値の実在を疑ってはいない。今一つ押さえておきたいのは、価値相対主義が自明化した現代にあって、その点を再検討しなければ、本書の洞察の核心部分の理解を妨げられかねないことである。価値の存在が結局相対的で最終的に無意味な幻想にすぎないのなら、本書 . . . 本文を読む
(承前)
その「戦果」は、劣等文化として自国を語らないではいられなかった戦後の日本知識人の強度の条件反応に、ストレートに結び付くと見える。それについて、例えば先に見た渡辺京二氏がその偽善性を繰り返し強調し、批判して止まないところであった。徳川時代とは抑圧的で差別的で貧窮の極みにあったはずだと決めつけた、奇怪な「江戸時代暗黒史観」の淵源はそこにあったのだろう。これは今なお私たちの社会心理の根深いコ . . . 本文を読む
(承前)
一方、本書はまさにその点で、日本人の勤勉のエートスを形づくったのが、日本宗教が営々と形成してきた中心価値体系にほかならなかったと、幾多の根拠を挙げて論証している。かくして、なぜ徳川時代に「文明としての江戸システム」が成立しえたのか、そして何がいかにして近代に連続したのか、鬼頭氏の歴史観ではブラックボックスとされていた歴史の動因が、本書によって初めて見えてくる。反対に、一九五〇年代の段階 . . . 本文を読む
私たちにとっての本書の意義
日本人にとっての本書の意義を考えるにあたり、解説として奇妙にもまるで意味をなしていない巻末の「訳者解説」に注目したい。詳しくは述べるまでもない。かつて本書を批判した丸山眞男の視点を奉じて(それ自体が忠誠―献身の「中心価値」の表明となっているのは何とも皮肉である)ヴェーバーの概念の「誤用」を論い、結局自説の宣伝に終わるその文章は、著者の示している洞察に対し、なんと小さ . . . 本文を読む