愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

狩浜の棚田1

2008年07月20日 | 生産生業
今日、7月20日は、朝8時から狩江公民館の行事で、ヒヤマにある狼煙台と、マッコロバシという場所の、昔の棚田跡を散策(というより探検?)する行事に参加。車で中腹まで行って降りたところからマッコロバシ付近を撮った写真。竹薮になっているところあたりがマッコロバシ。

城川の棚田

2008年07月07日 | 生産生業
城川には日本棚田百選の一つ「堂の坂の棚田」がある。昨日、城川を通った際に、眺めてみた。この「堂の坂」はまたいずれ紹介したい。

この写真も城川の棚田。場所は遊子川。撮影は、平成18年5月27日。田植えの直後で、棚田の水面が美しい。今の時期(7月)になると、水面が見えなくなるほど株が成長しているので、なかなか棚田の写真は撮りづらい。

蕎麦の花と実

2008年07月07日 | 生産生業
城川にあった小さな蕎麦畑で撮った花の写真。7月上旬の今、実もなっている。周りは棚田に囲まれている。この夏蕎麦、おそらく7月中には収穫するのだろうが、蕎麦畑は、ある程度、栽培面積がないと商品にならない。乾燥や粉ひきなど、手間がかかる。これだけの小規模面積で蕎麦を栽培するのは、休耕田を蕎麦畑としたのだろうかと思ったが、先の予定を急いでいて、地元の人の話を聞くことはできなかった。

カブトエビ

2008年06月30日 | 生産生業

ホウネンエビ、ジャンボタニシに続く田んぼの生き物。
生きた化石「カブトガニ」・・・ではなく、「カブトエビ」。
これは数年前、宇和の石城地区の田んぼで6月に撮影していたもの。
体長は3センチくらい。この時期の田んぼには結構います。
田んぼの雑草の芽を食べてくれるといいます。
子供に以前、田んぼで見せたとき、かなり興味を持った様子。
おたまじゃくしとは違って、捕まえやすいこともあり、
身近な自然を観察してもらう素材として、結構使えます。

ジャンボタニシ1

2008年06月28日 | 生産生業
田植えの季節に、農家を困らせるジャンボタニシ。植え付け後の水稲を食べるし、大量に発生するので、駆除が大変。これを一つ一つ取り除いていく作業も苦労だが、卵を産み付けるので困りもの。もともと外来種で、食用として日本に入ってきたものが野生化したらしい。

田んぼのホウネンエビ

2008年06月28日 | 生産生業
子供が、田植えをしていると「何かおる!」と叫んでいるので、水面を見るとホウネンエビが大量にいる。別に珍しくもないもんだが、それをすくってみて撮った写真。背泳ぎしている不思議なエビ。緑の羽根のようなものをひらひらさせながら動く。このホウネンエビ。昨日のテレビ朝日系の番組で紹介されていたらしい。田んぼがあれば、自然にわいてくる。害もなければ、有益でもない、身近な生き物。娘は学校の生き物係だそうで、珍しそうに観察していた。

いつ迄「わらぐろ」はあるの?

2008年06月24日 | 生産生業

先日、松山から、農業の専門の先生が宇和の「わらぐろ」を見学したいということで、石城公民館に来られたと聞いた。この時期にはわらぐろはもうないぜ~、と思いつつ、写真整理しながら、何月頃まで残っているか、撮影日付を調べてみた。

その結果、この写真。5月18日撮影。宇和の清沢で撮影したもの。

とはいっても、4月29日の「れんげ祭」までは、わらぐろを見ることができるが、5月以降は、ほとんど無理。収穫後の10月まで待たなければいけない。

櫨から養蚕、そして柑橘へ―真穴地方の農業―

2008年06月05日 | 生産生業

 真穴地区は、急傾斜地の畑地がほとんどであり、現在は柑橘が基幹作物になっている。真穴で柑橘栽培が始まったのは、明治24年頃。大円寺に三崎村から松沢住職が赴任した際に、柑橘の有利さを説き、地元の黒田文太郎、大下長太郎等が苗木を購入して、栽培を始めたという。本格的な栽培が始まったのは、明治33年で、阿部大三郎が宇和島に行った際に途中、立間(宇和島市吉田町)で温州みかんの栽培状況を見て、立間村の加賀城金吾から300本の苗木を購入し、阿部庄右エ門、吉川音治等が栽培しはじめた。明治35年には、周囲も柑橘が高値で売れることを理解し、明治40年頃から栽培熱が高まった。

 なお、明治39年の耕地及び山林面積に関する統計がある。真穴村では、桑園25万歩、普通畑40万歩、果樹園5万歩、田6万歩、山林60万歩であり、桑園が非常に多い。果樹園の5倍の面積である。当時は養蚕が盛んであり、いまだ柑橘栽培が主流とはなっていない。実際、同時期の物産を見ても、繭が数量6千貫、価格が2万7千円。果樹柑橘類は、数量2万5千貫、価格が5千円となっており、収入でも養蚕が柑橘の5倍以上となっている。この統計の「普通畑」では何が栽培されていたかというと、甘藷と麦である。甘藷は数量13万貫、価格は6千円、麦は800石、8千円。米はというと78石、1560円であり、明治後期には、主要作物が甘藷・麦。そして換金作物として養蚕が主流であったことがわかる。養蚕が主流となったのは明治時代中期。それ以前は、櫨が換金作物の中心であった。養蚕が主流となっても果樹によって櫨が伐採されるまでは、櫨実の収穫は続いた。大正時代頃の統計で、真穴村には櫨樹は930本、栽培者数は163人いた。櫨実は、栽培者の中から世話人を定め、取引関係は世話人に一任し、示談や競売方法で製蝋業者に販売して利益を上げた。

 大正時代には、今後の換金作物をどうするか、各農家が頭を悩ませることになる。つまり、養蚕と柑橘のどちらを主力にするかという問題である。しかし、昭和初期には養蚕不況により、柑橘栽培に傾いていく。実際、愛媛県統計によると、桑園は昭和4年には84haだった面積が4年後の昭和8年には55haに激減している。ちなみに桑園は昭和25年には11ha、昭和35年にはゼロとなる。それに反比例するように、柑橘園は増加していく。

 ただし、太平洋戦争の際には、国の方針で食料増産を推進するため、果樹園を縮小して食料作物(イモ・ムギ類)を栽培させるようになり、この地方でも総面積の10パーセントの果樹を伐採したという。そのうえ、農薬や肥料の入手も難しくなり、戦地に赴く兵士の増加とともに労力も減り、収益は著しく低下した。
 戦後、年ごとに生産量は増え、昭和30年からは県営農地保全事業、昭和38年からは農業構造改善事業により、基盤整備がなされ、また、みかん選果場、共同防除施設が設置され、全国有数のみかん産地へと発展した。

参考文献:『開校百周年記念誌まあな』(真穴小学校百周年記念事業推進委員会、昭和51年発行)

内子町のハゼの木3

2008年05月29日 | 生産生業

今日、5月29日、上芳我邸の庭に行くと、

ハゼの木周辺で、ブ~ン、ブ~ンという小さな音が聞こえる。

音の正体は、ハゼの花に群がる無数の蜂。

ハゼというと、自分の中では冬のイメージが強かったので、

この音には驚かされた。ハゼの四季を感じさせられた瞬間。

「昔の道具」を見学するには?

2006年04月02日 | 生産生業
愛媛県内の主な「昔の道具(民具)」公開施設を紹介しておきます。

●かわのえ高原ふるさと館
799-0101 四国中央市川之江町2217-83
0896-56-2003
古代から現代までの川之江の歴史を辿ることができる歴史資料館です。民具の展示も充実しており、国指定重要文化財「真鍋家住宅」模型も展示されています。

●紙のまち資料館
799-0101 四国中央市川之江町4096-1
0896-28-6257
四国中央市内で生産される紙の生産工程がわかる展示室・紙すきが体験できる手漉き実習室、水引細工や絵手紙などペーパークラフトの楽しめる学習室などがあります。

●「霧の森」いまはむかしミュージアム
799-0301 四国中央市新宮町馬立2番耕地750番地1
0896-72-3111
人形作家・内海清美氏の手になる和紙人形とともに、旧新宮村の民具を展示したコーナーがあり、農耕や機織り、紙漉きなどが紹介されています。

●愛媛県総合科学博物館
792-0060 新居浜市大生院2133番地の2
0897-40-4100
自然・環境・ 生物・天文・産業・技術など、あらゆる科学の知識を体験を通して学べる博物館です。常設展示室には愛媛県内の伝統産業を紹介したコーナーもあります。

●西条市立東予郷土館・図書館
799-1371 西条市周布427番地
0898-65-4797
旧東予市の歴史・考古に関する常設展示のほか、別棟には生活や生産、産業などに使用された数多くの民具が展示されています。またカブトガニ飼育室もあります。

●かわら館
799-2303 今治市菊間町浜3067
0898-54-5755
菊間瓦の歴史や、昔の瓦づくりの道具や瓦づくりの行程がわかりやすく展示・紹介されています。隣接する「実習館」では実際に菊間瓦を使って粘土細工ができます。

●懐古館
791-4507 松山市熊田
089-997-1181
中島の歴史民俗資料館です。正賢寺境内にあり、古い民家、土蔵、木造平屋建ての収蔵庫からなり、農具、漁具、生活物資、日用品など3000点余りが展示されています。

●松山市北条ふるさと館
799-2436 松山市河野別府995
089-993-3266
旧北条市の遺跡等から出土した土器や、石器類、民俗資料などを紹介した展示室や、北条出身画家である安藤義茂氏の作品が多数展示されている美術展示室が常設されています。

●松山市考古館
791-8032 松山市南斎院町乙67-6
089-923-8777
松山市内の遺跡から出土した考古資料を旧石器時代から平安時代まで、時代別に展示しています。農具なども展示されており、現代に残るの民具との比較が可能です。

●民芸伊予かすり会館
791-8016 松山市久万ノ台1165番地
089-922-0405
伊予絣は藍染めした木綿の糸と染め分けた後、井桁などの柄を織り上げた織物です。その昔ながらの製造工程や機織りの実演が見学でき、伊予絣に関する民具も展示されています。

●東温市立歴史民俗資料館
791-0211 東温市重信町見奈良509-3
089-964-0701
東温市の考古・歴史資料のほか、民具を多数展示しています。松山市内に残る民具と類似したものが多く、松山近辺では最も充実した民俗資料館です。

●砥部焼伝統産業会館
791-2132 伊予郡砥部町大南335
089-962-6600
江戸時代から続く砥部焼の歴史を物語る資料を展示した施設です。歴史的価値を持つ古砥部や、国の伝統工芸士による名作などが鑑賞できます。

●久万町立山村歴史館
791-1212 上浮穴郡久万高原町下畑野川乙488(ふるさと旅行村)
0892-41-0711
旧久万町内に残っていた生活道具を中心に展示しています。ふるさと旅行村の中には、移築したかや葺き民家が残っており、民具とともに民家についての学習が可能です。

●面河山岳博物館
791-1710 上浮穴郡久万高原町若山650番地
0892-58-2130
石鎚山系とその周辺の自然と人文を網羅した博物館です。石鎚山の山岳信仰の歴史や、林業の盛んな旧面河村ならではの山村生活用具なども紹介しています。

●木蝋資料館上芳我邸
791-3301 喜多郡内子町内子2696
0893-44-2771
明治27年に建てられた建物の見学のほか、国の重要有形民俗文化財に指定されている製蝋用具を中心に、木蝋生産や内子の晒蝋について紹介する展示棟が見学できます。

●五十崎凧博物館
795-0301 喜多郡内子町古田甲1437
0893-44-5200
凧合戦で有名な五十崎ですが、日本各地の凧はもちろん、世界中から収集した珍しい凧やユニークな凧を多数展示し、凧の歴史や地域性を学ぶことができます。

●町見郷土館
796-0422 西宇和郡伊方町二見甲813-1
0894-39-0241
佐田岬半島の生活道具を中心に展示しています。裂織りの仕事着や唐箕など、実際に使用体験できるコーナーもあります。民具に関する企画展を積極的に行っています。

●愛媛県歴史文化博物館
797-8511 西予市宇和町卯之町4丁目11番地2
0894-62-6222
愛媛県内の歴史系総合博物館です。「祭りと芸能」、「くらし」、「四国遍路」の3つの民俗展示室があり、体験学習室では昔の遊びを体験することができます。

●西予市立宇和民具館
797-0015 西予市宇和町卯之町3丁目106番地
0894-62-1334
衣食住、生業資料を中心に、5000点に及ぶ膨大な民具コレクションがところ狭しと並び、旧宇和町ばかりでなく、日本の生活文化史を学習上で参考になる資料館です。

●西予市立宇和米博物館
797-0015 西予市宇和町卯之町2丁目24番地
0894-62-5843
昭和3年に建築された旧宇和町小学校を移築し活用して、米作りの流れを紹介した博物館です。109mある木造廊下は日本一の長さといわれています。

●西予市立野村シルク博物館
797-1212 西予市野村町野村8号177-1
0894-72-3710
野村町の近代化を産業・経済の両面から支えてきた蚕糸業等にかかわる歴史的資料、まゆ・生糸の生産に使用された道具類、衣類の資料を展示しています。