愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

世界津波の日 愛媛の津波被害図

2016年11月05日 | 災害の歴史・伝承


今日は世界津波の日。

前々回の南海トラフ地震。安政南海地震。嘉永7(1854)年11月5日午後4時頃に発生。マグニチュード8.4

ちょうど今(18時)頃、愛媛県の宇和海沿岸部にも津波襲来。

写真は八幡浜市保内町の津波被害図。いまの国道197号付近まで津波到達。


芸予地震誌の編纂の必要性

2016年10月29日 | 災害の歴史・伝承


愛媛県内の某神社。平成13年の芸予地震によって、境内が大きな被害。その復旧のための寄付者を刻む石碑。

今年は芸予地震から15年。改めて、芸予地震に関する記録、文献を探してみると、実に物足りない。いまのままでは、将来に芸予地震の被災状況を伝えられなくなるのではと、危惧している。『芸予地震誌』の編纂が必要ではないかと思うこの頃。


新刊『伊予史談』383号(特集 愛媛の災害)

2016年10月27日 | 災害の歴史・伝承


今月発行の伊予史談会の会誌『伊予史談』383号(平成28年10月号) は、「愛媛の災害」特集号です。

大本敬久「愛媛県の地震史ー昭和南海地震を中心にー」

柴田昌児「考古学から見た愛媛の地震災害」

柚山俊夫「宇和島領御荘組における安政南海地震の地震・津波被害」

参考 伊予史談会について
https://www.ehimetosyokan.jp/contents/iyosidan/iyosidan.htm#zassi



博物館の放射線対策

2016年10月26日 | 災害の歴史・伝承
昨日は松山市内にて原子力防災研修を受講しました。放射線測定機器の取り扱いや防護服の着脱など。

職場も自宅も実家も稼働中の原発から30キロ圏内にある自分としては、頭では理解できるけど、心がなかなか追い付いてこない。そんな一日でした。

そうは言っても、原子力防災の知識や技術を身に着けることは最低限、必要なこと。

博物館資料や文化財の放射線対策についても、福島第一原発の事故後、福島県内の博物館・美術館等施設、そして文化財の放射線被害の現状把握、放射線の計測の手法、そして資料(文化財)の移動、除染方法等が検討、実施されています。

昨日の研修では、GM管式サーベイメータを使いながら、表面線量の計測を行いましたが、事前に「文化財の放射線対策に関する研究会」(2014年2月)の公開資料を入手し、福島で検討、実施されている手法を把握した上で研修に参加しました。やはり参考になりました。事前に読んでおいてよかった。

その公開資料はコチラ。

「文化財の放射線対策に関する研究会」資料の公開について(東京文化財研究所)

愛媛県内では伊方発電所から30キロ圏内の伊方町・八幡浜市・西予市等には多くの博物館、資料館施設、そして多くの文化財があり、万が一の事故の場合、放射線被害の状況を把握すること。そして線量を計測することなどなど。これらは最低限必要な知識と技術になります。

心が追いついてこないから原子力防災には向き合わない、というわけにもいきません。


【お知らせ】第3回全国史料ネット研究交流集会・愛媛の開催

2016年10月25日 | 災害の歴史・伝承
12月17日、18日に、「第3回全国史料ネット研究交流集会・愛媛」が開催されます。

入場無料 事前申し込み不要です。(懇親会は申込必要)

以下、案内文より。

1995年の阪神・淡路大震災を機に設立された歴史資料ネットワークを皮切りに、全国各地で20以上の史料ネットが立ち上がり、災害から歴史資料を保全し、災害の記録を保存する活動に取り組んでいます。

2011年3月の東日本大震災では、国の被災文化財等救援本部の活動とともに、史料ネット同士の連携と協
力によって、地域に伝えられた多くの歴史・文化遺産が救出されました。2014年10月には国立文化財機
構内に「文化財防災ネットワーク推進本部」が設置され、本年4月に発生した熊本地震を経て、歴史・文
化遺産の防災に向けた全国的な連携体制づくりの強化が望まれています。

2015年2月、阪神・淡路大震災と歴史資料ネットワークの活動開始20年の節目に、神戸市で開催された第1回集会では「『地域歴史遺産』の保全・継承に向けての神戸宣言」が採択されました。東日本大震災5年の節目にあたる2016年3月には、被災地の一つである福島県内で第2回集会が開催され、被災地で取り組まれてきた活動から得られた経験を共有し、大規模災害に対する日常的な備えのあり方を展望しました。

昭和南海地震70周年の本年12月、愛媛県松山市において第3 回集会が開催されるはこびとなりました。本会では「神戸宣言」をふまえ、地域の歴史資料を保全する実践に向けての連携を発展させるとともに、保全した資料を活用して、災害に強い地域社会をどのように創っていくかについても考えてみたいと思います。ご多用中恐縮ではありますが、ぜひ全国から多くの関係者にお集まりいただき、議論と交流を深めていただきますよう、お願いいたします。

【開催日時】 2016年12月17日(土) 13:00~18:00
       2016年12月18日(日) 9:00~13:00

【会場】 愛媛大学南加記念ホール
  〒790-8577 愛媛県松山市文京町3
  *JR松山駅から市内電車環状線(古町方面行き)赤十字病院前下車
  *松山市駅から市内電車環状線(大街道方面行き)赤十字病院前下車

【主催】 愛媛資料ネット、独立行政法人国立文化財機構

【共催】 愛媛大学法文学部、科学研究費補助金基盤研究(S)「災害文化形成を担う地域歴史資料学の確立―東日本大震災を踏まえて―」(研究代表者・奥村弘)研究グループ

【後援】 歴史資料ネットワーク、岩手歴史民俗ネットワーク、茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク、岡山史料ネット、香川県資料館協議会、鹿児島歴史資料防災ネットワーク、神奈川地域資料保全ネットワーク、熊本被災史料レスキューネットワーク、こうちミュージアムネットワーク、四国ミュージアム研究会、地域史料保全有志の会、千葉歴史・自然資料救済ネットワーク、長野被災建物・史料救援ネットワーク、新潟歴史資料救済ネットワーク、福井史料ネットワーク、ふくしま歴史資料保存ネットワーク、NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク、宮崎歴史資料ネットワーク、山形文化遺産防災ネットワーク、NPO 法人歴史資料継承機構じゃんぴん、歴史資料保全ネットワーク・徳島、歴史資料保全ネット・わかやま、伊予史談会、愛媛ミュージアム研究会、愛媛県教育委員会、愛媛県歴史文化博物館、愛媛大学法文学部附属四国遍路・世界の巡礼研究センター


1日目(12月17日)
13:00~13:15 開会
13:15~14:15 基調講演
髙妻洋成 氏(奈良文化財研究所保存修復科学研究室長)
「文化財防災ネットワークの構築について」
森伸一郎 氏(愛媛大学防災情報研究センター准教授)
「南海地震に備える史料学と防災減災学の連携」
14:15~14:30 休憩
14:30~16:30 各地からの報告(1) 報告時間15 分×8 本
「特集 南海地震を伝え、備える」
16:30~16:45 休憩
16:45~17:15 各地からの報告(2) 報告時間15 分×2 本
17:15~18:00 意見交流
18:15~20:00 懇親会*

2日目(12月18日)
9:00~11:00 各地からの報告(3) 報告時間15 分×8 本
11:00~11:15 休憩
11:15~12:00 各地からの報告(4) 報告時間15 分×3 本
12:00~12:45 意見交流
12:45~13:00 閉会

【報告団体】
歴史資料ネットワーク
岩手歴史民俗ネットワーク
茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク
岡山史料ネット
鹿児島歴史資料防災ネットワーク
神奈川地域資料保全ネットワーク
熊本被災史料レスキューネットワーク
こうちミュージアムネットワーク
小豆島史料調査団
地域史料保全有志の会
千葉歴史・自然資料救済ネットワーク
長野被災建物・史料救援ネットワーク
新潟歴史資料救済ネットワーク
ふくしま歴史資料保存ネットワーク
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
宮崎歴史資料ネットワーク
山形文化遺産防災ネットワーク
NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん
歴史資料保全ネットワーク・徳島
歴史資料保全ネット・わかやま
愛媛資料ネット


【懇親会参加申し込み方法】
懇親会は事前申し込みが必要です。参加希望の方は、下記のページよりお申込みください。
http://kokucheese.com/event/index/433489/

【問い合わせ】 愛媛資料ネット事務局
胡 光(えべす ひかる/愛媛大学法文学部)
Tel:089-927-9316 E-mail:ebesu.hikaru.me●ehime-u.ac.jp ●を@に変えてください。


八幡浜市保内町の津波被害 安政南海地震

2016年10月24日 | 災害の歴史・伝承


1854年の安政南海地震。愛媛県、とくに南予地方の宇和海沿岸部では津波の被害が大きかった。

その一例として、八幡浜市保内町の津波地図を以前、作っていたので、ここに挙げておく。

安政南海地震では保内町では津波は現在の国道197号付近まで遡上している。

安政の次の南海地震である1946年の昭和南海地震(M8.0)では大きな津波被害は無かったため、地元では過去の南海地震・津波被害に関する伝承、記憶は忘却されている。

将来の南海トラフ地震が、安政南海地震(M8.4)やさらには宝永南海地震(M8.6)と同規模であれば、この地図で示した地点まで津波が遡上してもおかしくはない。

将来の地震・津波への防災意識の啓発のためにも、この地図を掲載しておきたい。


津波到達点を刻む石碑―徳島県の地震・津波碑―

2016年10月19日 | 災害の歴史・伝承


徳島県阿南市福井町浜田の住吉神社の鳥居をくぐってすぐ右側。境内に登る石段の下に「海嘯潮痕標石」と刻まれた石碑が建てられている。



昭和21年12月21日の昭和南海地震の被害の状況が書かれている。

昭和南海地震での最初の津波は、神社の石段の6段目まできたが、一旦退いた。しかしまもなく再来し、次は10段目まで波が来た。

このように、具体的にどの高さまで津波が到達したのか(遡上高)がわかる。

大戸、後戸、赤崎、大原、湊、大西、吉津、大宮、山下、宮宅まで泥海となり、約半時間後に退いたとある。

住吉神社近くだけではなく、広範囲での津波被害が刻まれている。



津波が第一波だけではなく、第二波以降に注意が必要であり、第一波よりも第二波の方が高いということも、この石碑は語っている。

建立年は不詳。


昭和南海地震と地盤沈下―徳島県の地震・津波碑―

2016年10月18日 | 災害の歴史・伝承


徳島県小松島市立江町新開にある八幡神社の境内に「農地災害復旧碑」と刻まれた石碑がある。これも地震碑の一つ。

1946年12月21日の昭和南海地震によってこの付近が地盤沈下し、水田40町歩が悪水が滞留し、不毛の地となった。そして昭和27年から農地改良復旧事業がはじまり、昭和31年竣工した、とある。建立年は昭和42年2月である。



過去の南海地震では海岸近くが地盤沈下し、低地の農地では下流や海に水が排水できず、復旧に時間がかかったり、大がかりな農地改良を実施しないといけなかったりする。これは愛媛県、特に瀬戸内海側でも同様で、同様の石碑は愛媛県西条市禎瑞などにも残る。

地震による揺れ、津波といった発生と同時、もしくは直後の被害が注目されがちであるが、この石碑が示すような、長期的な沈降被害にも目を向ける必要があるだろう。




「先人の知恵や経験」は「絶対」ではない―徳島県の地震・津波碑―

2016年10月17日 | 災害の歴史・伝承


徳島県小松島市赤石町の豊浦神社境内にある地震・津波碑。

神社の入口の鳥居の近くに建てられている。

ここには嘉永7年(1854)の安政南海地震のことが刻まれている。

「この地震による津波により多くの死者が出たが、豊浦近郊の村人は、この神社の庭に避難し、難を逃れた。これは白楽天王(地元ではこの神社を「はくろくさん」というらしい)のおかげ。後世まで忘れないように記した」という内容である。

「安政といふはしめのとし霜月五日、大地おほひに震ひ、高浪にひかれて死る人数をしらさりしに、この豊浦の人々、近き村々の人々は、みな白楽天王のゆにはに、はしり集りて、難をのかれたりしは、偏に神の守り玉ふ恵の深きなれは、後のちまてもわすれさるため、しるすものなりかし」

ところが、この神社は海からも近い場所。現地を歩いてみても、神社は小高い場所ではない。Mapionで標高を検索すると海抜2m。



石碑に刻まれた内容から解釈すると、「先人の知恵や経験」として、この神社に避難すれば大丈夫、というメッセージにも見えるが、実際に津波からの避難場所としては低すぎる。

過去の地震・津波の歴史を刻む石碑の内容が「絶対的」なものではない、ということを痛感させられる。

この石碑の建立年は不明。

この神社の歴史を確認しないといけないが、過去は小高い場所にあって、明治初期の神仏分離、神社合祀などで社地が移転した可能性もあるし、近代の開発で社地が削られて平地になった可能性もある。実際に安政南海地震ではこの場所に津波は到達しなかったのかもしれない。

神社も、石碑も場所を移転するものであって、この歴史的推移を確認しないといけない。

この石碑だけではなく、地震・津波碑については、単に刻まれた内容を額面通り受け取るのではなく、その周辺調査、確認作業も必須だといえるだろう。

(地元の図書館に行って調べてみようと思ったが、今回は時間切れ。)














愛媛県内に残る「島原大変肥後迷惑」史料

2016年10月14日 | 災害の歴史・伝承
本日10月14日。熊本地震からちょうど半年。

この半年、九州の災害に関する史料が四国側で残っていないか、気に留めながらいろいろ史料を見ていました。これまで調査して撮影していた史料の中にも、改めて確認すると当該記述も見つかったり。これまで九州と四国の災害を広域で見ていなかった自分。見落としがあることを反省した次第です。

今回、確認した史料が以下のとおりです。

江戸時代の寛政4(1792)年の九州島原の雲仙。地震で山体崩壊、そしてその土砂が有明海に流れ込み、対岸の肥後(熊本)に津波が押し寄せて多くの死者が出たいわゆる「島原大変肥後迷惑」。

以前写真撮影していた愛媛県八幡浜市内の庄屋の記録を読み込んでいたら、この寛政の「島原大変肥後迷惑」に関する記述があることを確認しました。(これまでは宝永や安政の南海地震に気をとられて寛政まできちんと読んでいなかったのです・・・。)

「嶋原温泉嶽壊崩」、「当辺迄、七日七夜ノ猛音ス」と書かれている。

つまり、雲仙の山体崩壊、津波の音が、南予(愛媛県八幡浜市)にまで聞こえていた(響き渡っていた)ということがわかります。

災害の歴史は、いまの都道府県単位で考えるのではなく、九州と南予など、県境を越えて災害史料を突き合わせてみることが大切なのだと、熊本、大分地震のあと、改めて考えさせられてるところ。

この「島原大変肥後迷惑」に関する史料が愛媛にあるというのは、いまのところ報告がありません(自分が把握している限り。ただ寛政4年4月の災害記述、探したらまだ出てくるような気もします。)

この「島原大変肥後迷惑」。寛政4年の大災害。雲仙眉山の山体崩壊の原因は噴火によるものではなく、地震によるものとされています。爆発的噴火であれば音が四国まで響き渡っても不思議ではないのですが、地震による崩壊の音が四国まで聞こえていたとすると、かなりの轟音だったはずです。長崎県内の史料に「百千ノ大雷一度ニ落チルガ如ク天地モ崩」とあり、一度に百、千もの雷が落ちたような音。その轟音が四国まで届いていたと思われます。

島原の眉山は、寛政4年の山体崩壊のあとも、明治22年の熊本地震のときも山崩れ、今回の熊本地震でも小規模ですが崩れています。このような史料情報の集積は大事かと思います。愛媛県内の災害史料情報を四国外とも共有しないといけないと思っています。


NPO法人えひめ311

2016年10月12日 | 災害の歴史・伝承


昨日は松山のNPO法人えひめ311の事務所へ。

「えひめ311」は、東日本大震災による愛媛県内への避難者の支援のための情報提供、相談、各種イベントを開催。

代表の渡部さんたちと、12月4日に松山市内で行う予定のイベント(講演&ワークショップ)内容についての打ち合わせでした。

詳細は後日アップします。


阿蘇山噴火と愛媛県ー江戸時代 伊予国での降灰ー

2016年10月10日 | 災害の歴史・伝承
今年6月に調査、撮影した愛媛県八幡浜市の某庄屋記録に、寛永8年(1631)4月14日から、空の雲が赤くなって、灰が降ってきた。そして「諸穀大不作」となった。このような記述がある。

この年、阿蘇山が噴火しているので、この降灰は阿蘇山からのものと思われる。今回の阿蘇山噴火により降灰が愛媛県でも確認されたが、農作物に影響が出るほどではない。

「諸穀大不作」となるほどの降灰があったという記録。これが八幡浜市に残っている。


中央構造線と寛永2年の連続地震

2016年10月09日 | 災害の歴史・伝承


2016年10月1日付で発行された『一遍会報』381号に拙稿「過去の南海地震と道後温泉不出(一)」が掲載されました。

その原稿の中で、寛永2年(1625)に広島県、愛媛県、熊本県で連続して発生した地震に触れてみました。中央構造線断層帯を震源とする連続地震の可能性があるのではないか。その検討が必要なのではないかという指摘です。

熊本地震以降、慶長地震は中央構造線断層帯の地震のとして注目されていますが、今後、寛永2年地震も検討、注目すべきかと思っています。

以下、一遍会報381号からの引用です。

次に『松山叢談』に記されている寛永二(一六二五)年の地震である。『久米八幡宮記記録抜書』に「一、寛永二年御先代様之時分、大地震之時、道後温泉不出、湯之岡ニ仮社ヲ建」とある(『道後温泉』一〇二頁)。この地震は三月一八日に発生したものの詳細な記録がなく、どのような地震だったのかは不明な点が多い。しかしその三ヶ月前には安芸国(広島県)にて、三ヶ月後に熊本で地震被害の記録が残り、西日本で連続して地震被害が出ている。この約三〇年前には文禄五(一五九六)年七月に中央構造線断層帯を震源として、いわゆる慶長伊予地震、豊後地震、伏見地震が連続して発生しているが、この寛永二年の地震も中央構造線断層帯に沿って広島、松山、熊本と連続して発生している可能性もある。文禄五年(慶長地震)から約三〇年しか経過していないことから、余震もしくは誘発地震に該当するかどうかも検討対象となってくる。平成二八年四月の熊本地震以来、中央構造線断層帯を震源とする地震の歴史が注目され、特に慶長地震は取り上げられる機会が増えたが、寛永二年の地震についても愛媛県、道後温泉と中央構造線断層帯関連で無視することはできない。同様記事は『予陽郡郷俚諺集』、『道後明王院旧記』、『小松邑志』にも記載があるなど史料が比較的豊富なので、今後、検証が必要となる地震だと思われる。


【追記】
香川県高松市国分寺町の国分八幡宮では、寛永2年の地震により、本殿が損壊し、翌年新しく造営されたという。

「讃岐国大日記」、「高松藩記」に、寛永2年(1625)11月上旬に大きな地震があったという記録もある。

寛永2年地震は、広島、愛媛、熊本、香川の連続地震の可能性もあり、広域の詳細史料調査が必要である。




昭和南海地震から70年

2016年09月14日 | 災害の歴史・伝承
巨大地震に備えよ 古代から昭和、被害の伝承を 松山/愛媛
毎日新聞 2016年9月14日 地方版

http://mainichi.jp/articles/20160914/ddl/k38/040/600000c

先般9月11日の道後の一遍会でお話しした「南海地震と道後温泉」の様子が毎日新聞に掲載されました。

今年12月で昭和南海地震から70年。年末にかけて、次第にこのような記事が多くなって来るのではないかと思っています。

大分県の史料からみた大分・愛媛の地震

2016年09月02日 | 災害の歴史・伝承
400年前の慶長伊予地震、豊後地震を考える

隣り合う大分県と愛媛県。災害の歴史については県を越えて広域で情報共有すべし、ということで「愛媛・大分交流講座」を開催することになりました。

その第一弾。決定。開催日はだいぶ先ですが。

1月15日(日)13:30~15:00
「大分県側の史料から見た大分・愛媛の地震史―慶長地震を中心に―」
講師;櫻井 成昭さん(大分県立先哲史料館)
会場:愛媛県歴史文化博物館

http://www.i-rekihaku.jp/learn/rekikouza02.html