先日、ある出版社から携帯に電話がかかってきた。家でゆっくり休んでいたので、急な電話で少々驚いた。電話の内容は、パワースポットを教えて欲しいという問い合わせ。私が以前、妖怪の展示を担当していたため、問い合わせてきたようだ。
そもそも、パワースポットとはどういうものか、定義がはっきりしない。昨今、マスコミで取り上げられているのを見るが・・・。問い返すと、愛媛で強烈な御利益や霊験があるものを探しているという。しかも、妖怪に関するパワースポットも探しているとのこと。
神仏に御利益を求めるのはよく聞くが、妖怪に御利益・霊験を求めるとは、こはいかに?
自分ではこの問いがよく咀嚼できす、即答できなかった。鳥取境港の妖怪神社くらいしか思い浮かばなかったのだ。
妖怪に御利益を求めるのは、本来の怪異伝承のリアリティからは程遠く、何やら消費社会での新たな妖怪像の一形態?
信心、信仰心とも無縁に感じられるパワースポットと御利益と妖怪という連関。神仏を「畏れ」、妖怪を「怖れ」るというような人間の畏怖の対象として、神仏と妖怪を等距離に感じるものではなく、「自分に利益をもたらす」前提で存在する、という意味で神仏・妖怪を一括りにしている。
パワースポットに出向いて、パワーを得る?それにしても、テレビを見ただけの感想だが、報謝は、おそらく若干の賽銭?長時間、行列に並んで参詣・参拝し、パワーを得ることを強制祈願するには、ちょっと身勝手なような気もする。これも一種の消費社会的ツーリズムなのか?
今回の問い合わせ、少しばかり困惑しました。妖怪にそこまで求めるのは酷?自分の中でいろんな「違和感」が交錯しています。
そもそも、パワースポットとはどういうものか、定義がはっきりしない。昨今、マスコミで取り上げられているのを見るが・・・。問い返すと、愛媛で強烈な御利益や霊験があるものを探しているという。しかも、妖怪に関するパワースポットも探しているとのこと。
神仏に御利益を求めるのはよく聞くが、妖怪に御利益・霊験を求めるとは、こはいかに?
自分ではこの問いがよく咀嚼できす、即答できなかった。鳥取境港の妖怪神社くらいしか思い浮かばなかったのだ。
妖怪に御利益を求めるのは、本来の怪異伝承のリアリティからは程遠く、何やら消費社会での新たな妖怪像の一形態?
信心、信仰心とも無縁に感じられるパワースポットと御利益と妖怪という連関。神仏を「畏れ」、妖怪を「怖れ」るというような人間の畏怖の対象として、神仏と妖怪を等距離に感じるものではなく、「自分に利益をもたらす」前提で存在する、という意味で神仏・妖怪を一括りにしている。
パワースポットに出向いて、パワーを得る?それにしても、テレビを見ただけの感想だが、報謝は、おそらく若干の賽銭?長時間、行列に並んで参詣・参拝し、パワーを得ることを強制祈願するには、ちょっと身勝手なような気もする。これも一種の消費社会的ツーリズムなのか?
今回の問い合わせ、少しばかり困惑しました。妖怪にそこまで求めるのは酷?自分の中でいろんな「違和感」が交錯しています。