愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

桜島大正大噴火と愛媛宇和島沖の津波

2019年11月15日 | 災害の歴史・伝承
 大正3(1914)年1月12日、明治以降最大の噴火とされる桜島の大噴火。その降灰範囲は東北地方にまで及んだ。噴火当日の午後6時半頃に鹿児島湾を震源とするM7.1の地震が起こり、小規模な津波も発生している。噴火活動は13日夜まで続き、溶岩も流出した。溶岩は15日に海岸に到達し、月末には対岸の大隅半島の海岸に達し、これにより、桜島は大隅半島と陸続きとなった。
 大正3年1月14日付の大阪毎日新聞には桜島噴火による被害記事が載っているが、愛媛県関係では次のような記事がある。
「伊予沖の海嘯 桜嶋噴火の余波、宇和嶋に及び十二日来地震数回あり、十三日朝灰を降らし霧立ちこめて市内暗憺として闇し、日振嶋(伊予国北宇和郡)に海水押寄せ海嘯起れり、右は豊後水道に何等かの異状を来せるにあらずやと観測せらる(宇和島来電)」
 「海嘯」とは津波のことであり、桜島噴火で誘発された12日夕方の大地震による津波が愛媛県宇和海沿岸部まで到達したと考える向きもあるが、それは実証が難しい。鹿児島湾から宇和海沿岸部に到達したのであれば、大隅半島、宮崎県、大分県南部、高知県西部にも津波到達の記録があってもよいものだが、それは確認できない。単発で日振島が出てくる。
 この大阪毎日新聞の他記事を眺めると、1月11日から13日にかけて紀州、岡山、玉嶋、尾道、広島、善通寺、今治、小倉で複数回、地震を観測していることがわかる。12日夕方の鹿児島湾震源の地震では鹿児島市で震度6 、熊本市、佐賀市、宮崎市で震度3、佐世保市、大分市などで震度1であり、 この中国、四国の地震とは別の地震と判断できる。桜島の大噴火、鹿児島湾震源の地震により、広範囲で誘発されて地震が発生したと考えるのが適当だろう。日振島に海嘯が到達したのは13日であると新聞からは判断でき、13日に宇和海、豊後水道付近を震源とする誘発地震が発生し、津波もしくは海面変動が確認されたのではないだろうか。

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