愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

幕末ガール 楠本イネと 父 シーボルト in 東京築地

2012年09月16日 | 日々雑記
昨日から研究会に参加するため、東京御茶ノ水に行っていたのですが、本日、愛媛への帰りの飛行機の出発までちょっと時間があったので、東京築地界隈を散策してきました。外国人居留地があった近代日本の夜明けを象徴する場所です。

そして、そこは西予市宇和町卯之町ゆかりの幕末ガール おイネさん(楠本イネ)が明治時代になって産院を開業したところ。

その築地におイネさんの父、シーボルト胸像がありました。



そしてシーボルト胸像の説明看板。ちゃんとイネのことも紹介してありました!



ちなみ開業場所は「京橋区築地一番地」とされていて、これはと長崎市のシーボルト記念館に保管されている明治10年代のイネの産婆申請書に、履歴が書かれていて、そこに出てくる地名、住所(だったような記憶・・・)残念ながら、楠本イネが開業した産院が築地のどこかまでは特定されていないようです。

近くには中央区立郷土天文館があり、そこに展示されていた築地居留地界隈を歌川国輝が描いた「東京築地鉄砲洲景」という錦絵があります。明治時代に楠本イネがいた頃の雰囲気が伝わってきて、ちょっと感動しました。

あと、中央区郷土天文館の展示で、明治27年の「築地外国人居留地鳥瞰図」というその界隈を空から鳥瞰したような図がパネル化されていました。もとの原資料は立教大学資料センター蔵とのこと。まさに楠本イネの晩年。明治30年代に麻布で亡くなりますが、この景色の中にイネも過ごしていたと想像してしまいました。

築地界隈。明治時代のおイネさんが活躍した場所。愛媛、西予市、卯之町と東京築地が繋がった感じがして、楽しくお散歩してきました。

ちなみに、イネが開業した近くの明石町に、十数年前まで東京都立築地産院がありました。その跡地にも行ってきました。直接、おイネさんの産院とは繋がらないと思うのですが、何かの縁(えにし)を感じずにはいられませんでした。




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