愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

おたふくかぜ

2008年07月10日 | 口頭伝承
今「おたふくかぜ」がはやっている。下の娘の通う園では、今日は、なんと三分の一近くが耳下腺炎。そろそろウチも発症するか?と様子を見ているが、今のところ元気。この「おたふくかぜ」(流行性耳下腺炎)は、耳下腺が腫れて「おたふく」のような顔になることに由来するのは間違いないが、いつも悩むのが「お多福」と「おかめ」と「乙御前(おとごぜ)」の関係。同一なのか、違うのか、芸能の仮面等を見ていて、すっきりしない。谷崎潤一郎の『卍』に「お多福風にかかった」という記述があるが、これが発表されたのが昭和3年。それ以前に「お多福風」「阿多福風」「阿多福風邪」等の記述は見つけていない。注目しているのは幸田露伴の『五重塔』(明治24年発表)の「顔は子供の福笑戯に眼を付け歪めた多福面(オカメ)の如き」という記述。「多福面」と表記してルビをふって「オカメ」と読ませている。「おかめ」は江戸時代、『東海道中膝栗毛』など数多くの文献に出てくる。「お亀」と表記されるが、『日本国語大辞典』に掲載される語源説では「両頬の張り出した形がカメ(瓶)に似るところから〔俗語考〕」となっていて、「亀」は当て字のようだ。同じく『日本国語大辞典』によると、文化・文政年間に、江戸の飯倉片町で「お亀団子」という名物団子があって、店の女房が「おかめ」に似ていたことが理由らしい。となれば、大まかにいえば「お多福」は近代以降に定着し、それ以前は「おかめ」が一般的だったと推察できるのではないか。ただし、狂言の女面である「乙御前」との関係性はよく調べていないので、まだまだ頭の中がすっきりしない。


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