ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

金州・提督府跡にある正岡子規の句碑

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

お寺のような作りだがお寺ではない。
荒れるままの池のそばに「金州城にて 行く春の酒をたまはる陣屋哉」の句碑が建っている。
子規は、1895年4月、日清戦争の従軍記者で一ヶ月金州、旅順を回っているので、金州で森鴎外を訪問した時の句なのかな。
子規が死去して2年後(1904)に、日露戦争が始まった。
句碑の脇には、古い時代のお偉いさんの石碑が建っていて、清朝末期の光緒二年閏五月と文字も見える。
現在、建物の中で骨董屋さんが店を開いており、門前でも骨董品を広げていた。
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金州・響水寺

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

山の中腹にある道教の寺院。
こじんまりしているが、イチョウの葉も色づき、オシャレな庭園がある。
名前の由来は、境内に胎内巡りのような洞窟があり、一番奥の楽器を持った弁天さまがいるところに滝があり、その音が由来のようだ。
ここの僧(?)は、長い髪をポニーテールのように結っている。
見晴らしの良い所に、模造の派手な「黄金の木」が立っていた。
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大連・旧中央公園、旧日本人街

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

日本時代の中央公園(現在は労働公園)から見たテレビ塔と、市街中心部方面。
公園のメインはこの下に広がっている(そこからテレビ塔の山へのリフトがある)。
やや下って行くと、旧日本人街がある。
残っている建物を見ると、東京の山の手に建っていたような住宅が数件。
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大連港

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

旧満鉄子会社の大連埠頭事務所(8階建)。
この広い屋上(ここにゆかりのある人、団体からの記念品が置いてある)から見学。
いつもガスっている市街地方向と、戦後引き上げ船等頻繁に出入りしていた埠頭。
埠頭は、左手方向にかなり規模拡大していて、ついには向こう岸に新埠頭を建設するそうだ。
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大連・旧満鉄本社

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

旧南満州鉄道株式会社(旅順~ハルピン)の本社、現在大連鉄路事務所。
凹型の建物で、向かって右側の手前に出っ張っている部分の2階に総裁(初代後藤新平)室があった。
社長室への玄関は特に時代を感じさせる。
関東軍とともに、実質満州を支配した特殊会社だ。
一応、歴史を振り返ってみると、1926.JAL、大阪-大連間初海外定期航空路開始。1927.吉田茂奉天総領事、中国に対してゴネる。1928.昭和天皇即位。1929.世界恐慌。1930.日本政府、呼称を支那から中華民国に変更。1931.満州事変。1932.武装移民団416人満州へ。1933.国際連盟脱退。1934.愛新覚羅溥儀、満州帝国皇帝に即位。・・・
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