仙台港中央公園の海べりの遊歩道も津波で損壊していました。
写真の真ん中奥の煙突は火力発電所で、その手前にはあの時火災が発生したJX日鉱日石エネルギー仙台製油所のタンク群があります。
この公園の隣にはキリンビールの工場と花王の倉庫があり、そこから缶ビールやら洗剤やらが流されて散乱していたそうです。
また近くの広場は、流されて被災した車の集積場になっていて、おびただしい数の乗用車で埋まっていました。
ちょうど2ヶ月前の3月11日14:46に起きた大地震、その数十分後に押し寄せた津波の模様を、その時この上空を飛んでいたNHKヘリからのテレビ中継ライブ映像で見た場所がここ、名取川左岸の仙台市若林区。
ちょうどその時、この名取川に架かる閖上大橋のたもとでは、大型トラック事故の実況見分をしていた警察官と事故当事者は、田んぼを飲み込んで押し寄せた津波がその目の前ぎりぎりで止まっって、名取川へ堤防を越えて溢れて行ったために助かった。
その反面、その橋を通る県道10号線上では避難しようと車が右往左往していて、事故検分でふさがれた橋のたもとから降りる道路に入って行った車もあり、その先は行き止まりらしく、助かったのかどうか。
大津波は、海から仙台東部有料道路をくぐって、はるか6㎞先まで到達した。
山(丘)の上には、慰霊塔、花束、それに様々なメッセージが数多く添えられていた。
小山の麓にあった桜の木も倒されており、山の上には新たに桜の植樹がされていた。
見渡す限りの荒涼とした景色に呆然として、言葉も出ません。
ここ閖上小学校では地震当初、小学生、教師とその親は体育館に避難していて、その後駆け込んできた近所のお母さんから津波が押し寄せていると言う情報が入って、急遽校舎の3階に移動して、危機一髪助かったらしい。
その校舎の3階に上がってみると、見晴らしはかなり良く、押し寄せて来る津波とその水位の上昇を、他の逃げ場もない中、ただただ不安げに見守るだけしかない心境は、想像以上に怖かっただろうと、その場に立って実感します。
校庭の隅にあるコンクリート製の小山の上に、その時流されてきた漁船が取り残されています。
そこから海の方向に行くと、ほとんどの建物は流されているか残がいかで、そこから見える小高い山(丘)の上にある日和山富士主姫神社も鳥居は流され、桜の老木も倒れ、頂上に建つお社も流失していた。