ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

ガックシ・・・

2010年08月12日 | よしなしごと( ̄- ̄)ボー.・゜

今までも散々打ちのめされました。
今日もかなりの下落で、今年の収支もかなりのマイナスになりそう。
傍からは、しばらくおとなしくしていたほうがいいんじゃないかと、その都度言われるけど、意地になって深追いしてしまうんです、この世界では。
当たり前だけど、リスクを取らないとリターンは無いし。
結局市場は、理屈なしの付和雷同で動くものと理解はしていますけど、一応どうなります?円相場と株式市場は。
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羅須地人協会

2010年08月07日 | うろうろシテ(国内編)います。

宮沢賢治が独身生活をしていた家(祖父の隠居所だった)。
農学校の教師を退職してから、ここに羅須地人協会を設立(1年未満で解散したようだ)して農業指導等を行っていた。
ほぼ元のままの建物で内部を見学でき、黒板と火鉢のある板の間の部屋等、その頃の情景が浮かんできます。
本来建てられていた場所からかなり離れているので、「下ノ畑」まではかなり遠いです。
花巻農学校の教師になる前に上京して8ヶ月間ほど間借りしていた、菊坂町稲垣方跡(2階中央の6畳)、ここで童話集「注文の多い料理店」の主な作品を執筆したそうです。
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成島毘沙門堂には

2010年08月06日 | うろうろシテ(国内編)います。

「毘」マークの旗印は上杉謙信ですね。
ここ成島の旧国宝「兜跋毘沙門天立像」(西域兜跋国に現れた時の姿らしい)は、どでかい木像(4.7m)で、見るだけでパワーがもらえそうに力強く、美しく、思わず手を合わせてしまうほどです。
鉄筋コンクリートの収蔵館に収められていて、入館者があるときに照明を灯けるので、その時オオ!ってな登場のしかたです。
さらにこの像は、邪鬼を踏みつけておらず、むしろ地天女と言う地の神が両手で支えている姿になっていて、宮沢賢治も「・・・踏まるる天の邪鬼四方につつどり鳴きどよむなり」と詠んでいます。
写真は撮れませんが、何年か前にNHKで「日本の仏像100選」と言う番組で紹介されていました。
その毘沙門天が納められていた毘沙門堂は、普通の高さで不思議だったので聞いてみたら、建物内で床を掘り下げて収めていたそうです。
納得しました。
以前訪問した秋田の赤田にある日本一の観音様の覆堂は、3階建て位の高さはありましたよ。
ここはまた、泣き相撲で有名なんですね。
毎年5月に、全国から選抜された赤ちゃんが集結して勝負するんですね。
かなり急坂な高台にありますが、すぐ近くまでマイカーで登れます。
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北国の夜・・・歌

2010年08月04日 | うろうろシテ(国内編)います。

たま~に、お邪魔するスナック。
歌手'観音めぐみ'さんがいらっしゃって、気さくに歌ってくださる。
「夢ごよみ」と言う歌は、すごくいい歌なのに、「海峡恋しぐれ」のカップリング曲のため、CDを聞いていない人には、知られていなくて残念(もっとも、この店に来れば生で聞かせてくれる)。
千昌夫の「北国の春」のように郷愁を誘う曲で、童謡の雰囲気を持った、懐かしげで好きな曲です。
アッシの好みはチト直球すぎるかな。
そう言えば、どの店に行っても忌野清志郎の「毎日がブランニュー・ディ」のカラオケが無いけど。

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石川啄木記念館

2010年08月03日 | うろうろシテ(国内編)います。


旧渋民村にある石川啄木記念館。
敷地内には、渋民尋常小学校と、代用教員時代に間借りしていた斉藤家が移築されて建っている。
ここのすぐ脇に少年時代を過ごした宝徳寺(人生で一番長く暮らしていた場所)があり、さらに10㎞離れて生誕の地、常光寺(玉山村)がある。
啄木は生活苦のため住まいを転々とせざるを得ず、落ち着けないままの26歳の生涯は悲しい(尾崎豊も駆け抜けた26年だった)。
歌集「一握の砂」の内容も寂しげで、そのせいかいまいち人気が薄い気がする。
石をもて追はるるごとく・・・函館へ向かったものの、北海道でも不運続きで、再度上京して住んだ赤心館の跡には案内板があった。
家賃滞納で次に住んだ場所、蓋平館(大栄館に改称)前には石碑が建っていた。
最後の住まいは宇津木家の貸家で、今は宇津木マンションになっており、その外壁に終焉の地のプレートが掛かっていた。
今、石川啄木記念館では、啄木の父一禎の終焉の地が高知の縁で、企画展「啄木と龍馬~二人の目線」が開催されていて、龍馬のブーツ、拳銃、刀(いずれもレプリカ)、自筆の手紙等を展示していた。

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