母の七回忌法要をしました。
父と兄妹夫婦と私。
6年前の5月13日が命日です。
あの日もお上人がすぐに来てくださいました。
仏壇前で御題目を唱えていただき、いろいろなことが蘇ります。
母の最後の日。
穏やかな5月でした。
緑が綺麗で、庭の小さなサクランボも実をつけ、水が湧いている畑にはカラーの花。
悲しいという覚えより、人の寿命を感じる1日で、それまで10年近く認知症をいったり来たりの毎日の生活は決して気の休まる時間ではなかったけれど、その日々のジレンマや時にはわかっていてもぶつかった後味の悪さとかは薄れています。
あの時は母の人生の最後に寄り添うために、長女として母の願いを全部叶えたかった。
医師からもう時間がないことを告げられてから、私がやらないとならないことに走り回ったあの数日間が思い出されます。
今日はひときわ御題目と母の戒名が心に響きます。
「南無妙法蓮華経」
NYの最後のライブ、「南無妙法蓮華経」とアメリカ人に挨拶をした日本山妙法寺が胸のあたりによみがえりました。
南無妙法蓮華経を「HELLO」の代わりのように唱えた、あの場所。
ちゃんと意味が言えないとね・・学ばなきゃ。
南無妙法蓮華経・・不思議な響。
私は今立ち止まっている。
悪いことじゃない。
焦らないかと言うと、否定はできない。
如何しようも無いくらい、いろいろな事やアイディアや感情が湧き上がり、もてあましていて、母の命日が過ぎたら、それを整理する時間を過ごすつもり。
母はいつでも身近にいます。
父と兄妹夫婦と私。
6年前の5月13日が命日です。
あの日もお上人がすぐに来てくださいました。
仏壇前で御題目を唱えていただき、いろいろなことが蘇ります。
母の最後の日。
穏やかな5月でした。
緑が綺麗で、庭の小さなサクランボも実をつけ、水が湧いている畑にはカラーの花。
悲しいという覚えより、人の寿命を感じる1日で、それまで10年近く認知症をいったり来たりの毎日の生活は決して気の休まる時間ではなかったけれど、その日々のジレンマや時にはわかっていてもぶつかった後味の悪さとかは薄れています。
あの時は母の人生の最後に寄り添うために、長女として母の願いを全部叶えたかった。
医師からもう時間がないことを告げられてから、私がやらないとならないことに走り回ったあの数日間が思い出されます。
今日はひときわ御題目と母の戒名が心に響きます。
「南無妙法蓮華経」
NYの最後のライブ、「南無妙法蓮華経」とアメリカ人に挨拶をした日本山妙法寺が胸のあたりによみがえりました。
南無妙法蓮華経を「HELLO」の代わりのように唱えた、あの場所。
ちゃんと意味が言えないとね・・学ばなきゃ。
南無妙法蓮華経・・不思議な響。
私は今立ち止まっている。
悪いことじゃない。
焦らないかと言うと、否定はできない。
如何しようも無いくらい、いろいろな事やアイディアや感情が湧き上がり、もてあましていて、母の命日が過ぎたら、それを整理する時間を過ごすつもり。
母はいつでも身近にいます。