私と歌語りと駿台甲府中学校
いろいろな偶然がつながって、明日という日をむかえます。
それは、どこがはじまりかわからない・・・自分が生まれて来たことがはじまりなのだけれど、私のルーツはどこまでたどれるのだろう。そんな思いが重なる中、この歌語りが駿台甲府中学校で7年目をむかえさせていただく事になったはじまりを思い起こしてみました。
歌語りをはじめて最初の年に活動が山梨放送のニュース番組で紹介されました。
それを偶然、目に留めて下さったのが、昨年までの校長山口博伸先生(現:駿台甲府学園教育顧問)でした。
翌日に、現校長の河崎哲郎先生がお電話を下さり、とてもうれしかったのを思い出します。
私にとって学校は「聖域」。
生意気にも「まず先生が納得していただける活動か実際にご覧になってから企画をして下さい」とお願いしたところ、後日、長坂の教会で行われた12回目の歌語り「おばぁちゃんの手紙」にお二人の先生は参加して下さいました。
その誠実で迅速な対応に驚き、恐縮いたしました。
14回、33回、50回、64回の「おばぁちゃんの手紙」、「万歳峠初演」から今日まで三年の月日がたちました。
講演は皆さんに暖かく迎えいれて下さるものの、何もかもが順風でなく、ここでの「万歳峠」初演が、ライブ演奏として大失敗だったこと・・・その日は、きっとこれが最後だろうと責任の重さにずいぶん落ち込み、思い出しては自己嫌悪に胸が痛み、他の場所の公演でもひきずる日々・・・そして一年経ち、再び講演依頼の連絡をいただいた時、涙がこぼれたことを思い出します。駿台中の先生方は歌語りをただのパフォーマンスとして受け入れてくれたわけではなく、活動の「真理」に共感して下さっていた。
昨年8月の「おばぁちゃんの手紙」100回記念コンサートも我が事のように喜んでいただき、私の歌語りのルーツを語る時に駿台甲府中は主軸となる学校になりました。
おかげさまで昨年からの一年、そして今年、私にとって人生の新しいステップの時をむかえました。
昨年の駿台中からはじまる、山梨放送局の半年間のドキュメンタリーの撮影、「いのち・平和」~歌語りに込めた思い~「この瞬間を生きる」の放映。
「万歳峠」の舞台ともなる九州鹿屋、特攻隊員の宿舎となった野里小学校での初コンサート。
この春4月にはフランス、パリで4回のコンサートが決まりました。
いよいよ世界への一歩です。
私に特別なちからやコネクションがあるとは思いません。
しかも決して早いスタートではありません。
自分の生き方に誠実でありたい思いを実現するよう、この足で歩き、学び、いただいたチャンスをいかすべく準備をし、明日も皆様の前に立たせていただきます。
たくさんの失敗を許してもらい、恥をかいては落ち込み、課題が生まれ、よい出会いがあり、時間を慈しむようになり・・・とてもしあわせな人生です。
じつは「万歳峠」はまだまだ未完成。
なぜならば、これでよしと思い表現しても戦争を体験された方からの指摘はまだあります。
この不安定さは辛いのですが、ありがたく受け入れなければなりません。
事実と真実の検証は戦争体験者がいなくなってからでは遅いのです。
明日も私はこの瞬間のベストを準備し、語ります。
この「歌語り」が「いのち」を慈しみ、この瞬間を生きること、あなたの「今」を見つめるきっかけとなりますように。
心より感謝を込めて
山本晴美
いろいろな偶然がつながって、明日という日をむかえます。
それは、どこがはじまりかわからない・・・自分が生まれて来たことがはじまりなのだけれど、私のルーツはどこまでたどれるのだろう。そんな思いが重なる中、この歌語りが駿台甲府中学校で7年目をむかえさせていただく事になったはじまりを思い起こしてみました。
歌語りをはじめて最初の年に活動が山梨放送のニュース番組で紹介されました。
それを偶然、目に留めて下さったのが、昨年までの校長山口博伸先生(現:駿台甲府学園教育顧問)でした。
翌日に、現校長の河崎哲郎先生がお電話を下さり、とてもうれしかったのを思い出します。
私にとって学校は「聖域」。
生意気にも「まず先生が納得していただける活動か実際にご覧になってから企画をして下さい」とお願いしたところ、後日、長坂の教会で行われた12回目の歌語り「おばぁちゃんの手紙」にお二人の先生は参加して下さいました。
その誠実で迅速な対応に驚き、恐縮いたしました。
14回、33回、50回、64回の「おばぁちゃんの手紙」、「万歳峠初演」から今日まで三年の月日がたちました。
講演は皆さんに暖かく迎えいれて下さるものの、何もかもが順風でなく、ここでの「万歳峠」初演が、ライブ演奏として大失敗だったこと・・・その日は、きっとこれが最後だろうと責任の重さにずいぶん落ち込み、思い出しては自己嫌悪に胸が痛み、他の場所の公演でもひきずる日々・・・そして一年経ち、再び講演依頼の連絡をいただいた時、涙がこぼれたことを思い出します。駿台中の先生方は歌語りをただのパフォーマンスとして受け入れてくれたわけではなく、活動の「真理」に共感して下さっていた。
昨年8月の「おばぁちゃんの手紙」100回記念コンサートも我が事のように喜んでいただき、私の歌語りのルーツを語る時に駿台甲府中は主軸となる学校になりました。
おかげさまで昨年からの一年、そして今年、私にとって人生の新しいステップの時をむかえました。
昨年の駿台中からはじまる、山梨放送局の半年間のドキュメンタリーの撮影、「いのち・平和」~歌語りに込めた思い~「この瞬間を生きる」の放映。
「万歳峠」の舞台ともなる九州鹿屋、特攻隊員の宿舎となった野里小学校での初コンサート。
この春4月にはフランス、パリで4回のコンサートが決まりました。
いよいよ世界への一歩です。
私に特別なちからやコネクションがあるとは思いません。
しかも決して早いスタートではありません。
自分の生き方に誠実でありたい思いを実現するよう、この足で歩き、学び、いただいたチャンスをいかすべく準備をし、明日も皆様の前に立たせていただきます。
たくさんの失敗を許してもらい、恥をかいては落ち込み、課題が生まれ、よい出会いがあり、時間を慈しむようになり・・・とてもしあわせな人生です。
じつは「万歳峠」はまだまだ未完成。
なぜならば、これでよしと思い表現しても戦争を体験された方からの指摘はまだあります。
この不安定さは辛いのですが、ありがたく受け入れなければなりません。
事実と真実の検証は戦争体験者がいなくなってからでは遅いのです。
明日も私はこの瞬間のベストを準備し、語ります。
この「歌語り」が「いのち」を慈しみ、この瞬間を生きること、あなたの「今」を見つめるきっかけとなりますように。
心より感謝を込めて
山本晴美