日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

天高く

2017-11-15 09:36:46 | 日記
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15




見晴らしの良い所へ移動しました。空気も良く晴れて気持ちがいいです。人一人来ないですね。柿はまだ葉をつけています。



昨日は心にしみる事を学びました。我々、つい過去の失敗や、傷ついたこと、人に傷つけたこと、様々な事でくよくよしますが、それらはもう十字架で赦されたことです。何も心配しないで前向きに生きて行きたい。そして天の御国を見上げ希望を持って生きて行きましょう。 その通りですね。くよくよして何になるのでしょう。私なんて天国の希望しかありません。何を思ってるねん、と言われそうですが、真理が解って来るとその希望と赦された大きな神の愛が解るのです。



友人とも話ました。この苦労がもしなかったらイエスを信じなかった、と言われる。まさにその通りです。試練も益なり。その人はその試練を喜んでられ素晴らしいです。我が夫でも癌告知が無ければ救われなかったでしょう。全ての人が自分の弱さを示されてこそと思います。それ程人は賢そうで、本当は羊の様に解ってない愚かな者です。



柿とススキ。この撮影地も柿の多い所で面白い所です。



カキカキしてますが、これも今が見頃でしょう。

上の言葉
神様が私たちに願っていることは、私たちが喜び、感謝し、輝いて日々を生きることです。神様はそのような私たちを見たいと願っているのです。「神の栄光」とはまさにそのような小さなことであって、決して異常現象や人を驚かせるような事ではありません。神様のみこころはご自分の栄光をあらわすことであり、それはまた私たちを幸いにすることでもあります。(KE)

幻影

2017-11-14 08:31:43 | 日記
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」ローマ5:1



今回の宇治田原は霧で思わぬ写真が撮れました。でも気候は寒くなってクリスマスの頃の寒さとか。この前まで暑くて堪らない気温でしたのに。近年爽やかな気候で秋を味わう時期が少ないです。





草いきれも靄って、幻影を見る様です。



何度もこの地へ来ていますが、この柿の木で部分的な霧は初めてです。



宇治市よりは雪が少し積もる日もありますが、この地では雪写真を撮った事がありません。1度撮ってみたいですが、細い道で四駆でゆっくり登れば危なくないかもしれません。



上からですが、この様に山の上ですが、小高い丘?山?が次々と連なっています。



遠くを見れば霧が立ち込めて幻想的です。

上の言葉
神様と平和な関係ができるとき、人ははじめて安心、平安を得ることが出来ます。私達はあからさまに神様と敵対してはいませんが、気がつかないうちに神様に憤っているのです。自分の力や知恵でどうにもならない事態や境遇を受け入れられずにいます。「どうして」と憤慨する相手は神様であることを知るべきです。神様の前に被造物であることを認めて謙りましょう。(KE)

光をあびて

2017-11-13 09:06:34 | 日記
「わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。」申命記30:19bc



昨日は昇天者記念礼拝でした。用事が多くそれらしい服装もせず、慌てて駆け付けた出席でしたが、我々はこの世の旅人。最も大事なのは天に希望を置く事であると、心底から恵みを覚えました。そしてイエスがこの世を照らす光として来て下さり、救われるように呼び掛けて下さってるのを感謝したいものです。



両親のことを覚えます。悲喜交々ありましたが、この世の人の中では最も愛してくれた存在です。幼い信仰ではありましたが、天の御国へ送ったのを幸いに覚えます。



午後はリース作り。私は初めての体験でしたが、庭の木の茎や葉も利用し、松ぼっくりや薔薇の造花、鈴やリボンで私でも素敵なリースが出来ました。庭のハーブの葉を射すと良いにおいです。



相変わらず宇治田原の風景です。こうして光をあびて生きる事も感謝ですね。



宇治田原も霧が多い為か苔が多いのです。信楽は更に多いです。

上の言葉
私たちの日々の生活はたえず選択と決断が迫られます。選択するにあたって、何を基準に選ぶか、それによって結果が違ってきます。損得利害によるのか、義理人情によるのか、自分の好き嫌い、感情によるのか、それとも、命と祝福に至るようにと、神様のみこころに従うのか、自らの思いを吟味したいものです。命に至る道は狭く、行く人もわずかですが、そこにこそ幸があります。(KE)

光と影

2017-11-12 08:39:21 | 日記
「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。」ルカ8:15



今朝は寒いです。京都地方でも紅葉が進むでしょう。

また元へ戻って来ました。ほんの下ですが。こういった天気が移りやすい日は
刻々と違って来ます。影が長くなりました。





霧が濃いのか納屋は殆ど見えません。



光が眩しいですね。





この納屋も撮っておかねば、壊されたら風景が一変するでしょう。



時と共に里山風景も変わるでしょうが、自然を残してほしいと願うのは私だけでしょうか。でも農家の事情も変わるし人の思いだけではいけないですね。



本当にこの日はパチパチとよく撮らせてくれます。

上の言葉
種まきのたとえです。種とはみことばのこと。種は地にまかれて、やがて実を結びます。水や日照り、肥料も必要ですが、何といっても種がまかれた土壌が問題です。こころが素直で、やわらかく、深く耕されたところであれば、みことばは育ち結果がでます。そのために必要なのは忍耐です。あなたの日々聞く聖言が実となるようにしっかり守り、忍耐しましょう。(KE)

場所を変えて

2017-11-11 02:20:00 | 日記
「だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。」第一テサロニケ5:15



宇治田原は小高い山の斜面にお茶が植わり、撮影のポイントを探したり上がり下がりが多いので、殆ど登山靴で行きます。その日その日により風景は違うものですね。四季折々違うし天気により違うのが面白いところでしょうか。



茶畑が面白い形でここへ来たら思わずパチリ。



晴れの日は茶畑の陰影がくっきりします。



奥の方に湯屋谷の集落が少し見えます。



ススキはもう終焉でしょうか。京都の高雄ではもう紅葉が見頃とか。ウカウカしてると季節が移り、チャンスを逃がしますね。別にどうって事もないですが、今迄の習性で何処かへ行かなきゃ、なんて思ってしまいます。
昨日は小さなお茶会があって、よく似た年齢ですが、今青春してるねん、という人ばかり。我々は今の世の様な自由な青春がなかったので、今与えられた自由でしょうか。またいつまでも心は青春でたとえ試練があっても主にあって若くありたいものです。

上の言葉
神様が私たちに求めておられることは、実に小さなことです。みことばのように、日々の生活のなかで、小さな悪に善をもって答えるだけです。ところが、現実ではこれが大変困難です。売り言葉に買い言葉、一言の悪口に非難の応酬へと拡大して収拾がつかなくなります。そうならないために、相手に善いことをしようと「心がける」、心の向きをかえることが大切です。(KE)