
核兵器は民主主義の対極にある。
非民主主義の軍国主義だから、原爆を落とされた。そう思わず言ってしまったのは、核爆発の磁気嵐が、アタマの配線を狂わせたが故。
冷静になって思考をめぐらせてみれば、この兵器使用の狂気が見えてきた。原爆投下から10年が過ぎた1955年8月に人類史上最初の原子爆弾の巨大惨禍・惨劇に見舞われた、その広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開催された。世界各国からの代表も含めて、およそ5,000人が参加して行われた。
その後、ソ連や支那の核実験をめぐって、意見の対立がありこの反核運動は分裂し、紆余曲折を経ることとなる。この運動に絶対的に欠けていたものは、日本の防衛をどうするかという観点であった。日米安保に依拠した「平和」は、原理的には核の存在を前提としている。核の絶対的な威圧力を目の当たりにしたはずなのに、我が日本も核を保有するという大切な選択肢が抜け落ちてしまっている。
世界各国が核兵器を廃絶しないならば、我が国も核兵器を持たざるを得ない。
此処が、実効ある運動の出発点である。
アメリカの保護領として、与えられた「平和」は謂わば「奴隷」の安寧である。
江戸より以前、戦国の世では、戦闘員たる「武士」と非戦闘員の「百姓、町人」は身分の違いがあった。が、実際戦闘が行われれば田畑は荒らされ、食糧も奪われる。命さえ奪われることもあったろう。町は焼き討ちに遇うこともある。整然と武装解除が行われた戦後日本に於いては、平和はほぼ完璧なものではあった。少なくともその様にも見えた。しかし実際は形を変えた戦争が継続されていた。完全に近い形で温存されていた帝国陸軍の指揮系統の破壊のために、東京裁判が凶行された。絞首刑になったのがほとんど帝国陸軍の指導層に身を於いた人物ばかり。帝國海軍は既にほぼ壊滅していた。これでは指揮系統もなにも有ったものではない。
B級C級の裁判も含めて、日本の軍事力は極東裁判によって、麻痺させられてしまった。
広範囲に渡る検閲・情報統制で日本中に流される情報は、アメリカに都合のよいものに限られた。教育も厳しく統制された。これで日本は国全体として、骨の髄までアメリカに従属させられてしまったのである。
この奴隷の平和が完成したのは、丁度この第1回原水爆禁止世界大会が開かれた頃なのか。
戦前の指導者、指導層は国家、経済そして教育、報道から閉め出されて謂わば蟄居の身であった。代わって登用されたのが、戦前では下層に居たものや、反国家思想・信条をもった国家経営に疎い人達であった。言い過ぎを敢えて言えば。ボンクラである。政治においては日本共産党までもが、進駐軍を「解放軍」と賛美するまでに籠絡されてしまっていた。普通選挙、男女平等そして農地解放この他様々な「社会主義的」施策が執行されて、『平和憲法』がその象徴でではある。これで日本国中、平和で丸く収まったかに見えた。ところが是が、世界史から観ると次の戦争の土台作りなのだった。『朝鮮戦争で日本の経済は復興した。』訳知り顔にこう吹聴するものが、今でも多い。このような人心の荒廃は、帝の案じられた、志操の喪失、大儀の忘却である。彼の戦争なかりせば、朝鮮半島も日本国として再出発したならば、どれ程半島が発展したことか。岸壁に括り付けられた古タイヤのように、米ソの板挟みが朝鮮の悲劇であった。その所為で「戦後復興」とは、どれだけ下卑ているのか底が知れぬ。これが日本の戦後歴史学者と自称する奸物の群れである。道議のかけらも持ち合わせていない。
それから半世紀以上経った今も、軍事立国アメリカは数えきれぬほどの、侵略戦争を繰り返している。武器輸出の禁止は言い訳で実際は、戦車用の鋼板を輸出しているのである。
小国ベトナムでは何百万もの死者がでている。インドシナ半島全体では数え切れない。イラク、アフガニスタンには傀儡政権が作られ、実質、兵器の消耗・実験場と化している。バルカン半島の火薬庫は焼かれ、モザイク国家は砕かれて、ゴロツキの住み処となった。ソ連も解体されて、テロリストが送り込まれている。そして何よりも被害を被っているのは、当のアメリカ国民である。若者は戦地で死傷し、心も壊された。文化・精神は紊乱し、あらゆる種類の薬物は蔓延している。
先の大戦で雄々しく闘った英霊に守られて、日本国民は虚偽の平和の下にある。アメリカ支配層は日本の、軍事的・精神的自立を恐れて、一時は日本全体を厚遇したかに見えた。しかし、今となってみれば、豚は肥やしてから喰らう。それだけのことの様でもある。
前置きが長くなったが、『豚には、日本刀は似合わない。』日本の核武装に思いが至らないトウフ頭の日本人は、江戸時代以前の「百姓、町人」のタグイであろう。完成された自由人とは言えぬ。アメリカの従僕の奴隷である。このような境遇に有るからこそ、核兵器廃絶は口には出来ても、日本の核兵器開発には思いが至らない。平和な農業文化の原資共同体そのまんまの理想主義では、世界の中では自立出来ない。
アメリカも、ロシアも支那も全ての核保有国が、核兵器を捨てなければ、日本国は敢然と核武装する。何故こう言えない。憲法九条の護摩の御札を、おでこに貼られて「金縛り」状態。百姓・町人の下郎政治・経済では、日本の核武装など思いも及ばない。
鳩山由紀夫氏はその憲法試案の中で、自衛軍の創設を謳っている。一定の条件下での是等の国権の制限割譲をも併記している。これは近隣諸国の、危惧に配慮したもの。核兵器の不所持も書いてある。
彼の政治家としての、それも政府トップの座を窺う身であるならば、かような物書きになるのは自然ではある。
なれど、我らは一介のブログの物書き。言いたいことを、良いように書けばよい。これが日本の本心であると。日本人の心根、腹の内を見たくば此処に来よ。
日本は東アジアを邪悪の破壊から守るために、核武装を宣言する。それが嫌ならば、疾く核武装の解除を行え。
以下は参照記事です。
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アクセスの記録 2009.12.11(金) 1147 PV 307 IP 2856位 / 1336841ブログ