原口 一博(はらぐち かずひろ、1959年7月2日 - ) は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)。
総務大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)、佐賀県議会議員(2期)などを歴任した。
生年月日 1959年7月2日(52歳)
出生地 佐賀県佐賀市
出身校 東京大学文学部
現職 佐賀県総支部連合会代表
所属政党 (無所属→)
(自由民主党→)
(新生党→)
(新進党→)
(旧民主党→)
民主党(羽田グループ)
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2011 09 22 尖閣視察のため自費で民間機チャーターした 【NWSポストセブン】
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略歴 [編集]佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀西高等学校、東京大学文学部心理学科を卒業。大学卒業後、松下政経塾(第4期生)を経て佐賀県議会議員選挙に出馬し、当選。県議時代は自民党系の会派に所属しており、河本派幹部・山下徳夫の系列だった。1990年、第39回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し落選した、佐賀県全県区選出の大坪健一郎が引退を表明し、佐賀県議会議員だった原口を後継指名。1993年の第40回衆議院議員総選挙に原口は県議を辞職して無所属で佐賀県全県区から出馬するが、同区最下位の5位で当選した坂井隆憲の得票数55242票を549票下回る僅差で落選した。1994年、自民党を離党した愛野興一郎衆院議員に従い新生党に入党し、同年末の新進党結党に参画した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では佐賀県第1区から新進党公認で出馬し、93年の選挙で敗れた坂井を下し、初当選した(坂井も比例復活)。
1999年8月、衆院本会議での国旗及び国歌に関する法律では反対票を投じた。
2002年から、鈴木宗男事件の追及により徐々に知名度を上げる。衆議院予算委員会で行われた鈴木宗男の証人喚問において、「モザンビーク共和国洪水被害への国際緊急援助隊の派遣に反対・異議を唱えた事実があるか」「島田建設株式会社による秘書給与の肩代わりの事実関係を承知していたか」の2点について鈴木に質問し、鈴木はいずれも否定したが、後にこの証言が偽証である事実が判明し、原口のこの質問がきっかけで鈴木は議院証言法違反により告発された。同年9月、予算委員会で鈴木を議院証言法違反で告発する事が決議された際も、原口は賛成した。
北朝鮮による日本人拉致問題にも早くから関心を示していた。自民党の石破茂や中川昭一らが中心になって立ち上げた拉致議連にも設立時から関わっており、拉致議連副会長を務めた他、常にブルーリボンを胸に付けている。国会議員の靖国神社参拝にも前向きで、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会のメンバーでもある。2005年「諸君!」8月号には論文「小泉首相、靖國で会いましょう。岡田代表、私は参拝します」を寄稿した(当時の民主党代表岡田克也は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に強く反対し、民主党内でも西村眞悟から批判されていた)。しかし、総務大臣であった2010年の終戦記念日には菅内閣で閣僚の靖国神社参拝を自粛する申し合わせがなされたため、参拝しなかった[1]。
2007年9月から民主党の次の内閣(Next Cabinet)総務大臣を務めた。2009年9月16日に成立した鳩山由紀夫内閣においてNCの閣僚中で唯一、実際に総務大臣に就任している。併せて地域主権推進担当大臣も務める。鳩山内閣退陣を受け、2010年6月8日に発足した菅内閣でも総務大臣に再任された。
2010年9月の民主党代表選挙では、菅内閣の閣僚ながら小沢一郎を支持することを表明したが[1]、小沢は菅に大差で敗れた。その後、9月17日発足の菅改造内閣では再任されず、総務大臣を退任。
9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件における政府の対応を批判し、超党派の議員連盟「国家主権と国益を守るために行動する議員連盟」の結成(10月1日設立)に参加し、自民党の岩屋毅と共に共同座長に就任。岩屋や民主党の藤田幸久、みんなの党の柿沢未途衆議院議員らと共に、ヘリコプターで尖閣諸島を上空から視察した。