またね~
あ~よくしゃべった!
また会おうね~
朝食は大広間で
あっ!たえこさ~ん
今朝もやっぱり・・・飲んでる?
まずはお雑煮が出て、その後納豆餅・あんこ餅・おろし餅、
お替り自由
もちろん白米もお粥もあります
この旅館、食事も大したことなかったけど、
このお餅と、夕飯に出た芋煮はたいそう美味しかったです
そうそう小ナスの漬物を買いに行かなくっちゃ
八百屋さんの若旦那、たえこさん同様、小ナスの漬物を熱く語る
どれだけ愛されてるんだ小ナス君
せっかくなので他のも購入
赤カブや青菜漬は、生活クラブでも購入できるのでパス
もちろん保冷剤付き
それにしても、この包装にも愛を感じる~
日本三熊野
熊野信仰の中心となっている熊野三山、熊野皇大神社、宮内熊野神社の神社
立派な本殿
素晴らしい茅葺屋根
本殿の裏に、見つけると幸せになれるという「三匹のうさぎ」が・・・
三人、2匹しか見つけられず
私達の後から大型バスが何台も到着
追われるように気もそぞろでの拝観となりました
米沢ラーメンを食べた後は
ジョン・F・ケネディさんが
政治家で最も尊敬する人と述懐した上杉廬山公
なせば成る なさねば成らぬ何事も
成らぬは人のなさぬなりけり
肝に銘じます
撮り忘れのリンゴ 福島で
こんなに近くで見るの初めてだぁ
きれいだね~美味しそうだね~
大姉・大兄 来年の旅も山形にして~~
=完=
山寺まで
道沿いにはリンゴや柿がたわわに生っている
いい季節だなぁ・・・
空腹では参拝できぬ
ふもとで昼食
私は山菜うどん
美味しいんだけど、うどんの量が多い~
それは山形のおもてなしの心らしい
大姉・兄はゲソ天そば
この辺りではてんぷらはエビじゃなく「ゲソ」なんだって
さぁ満腹状態で登りますよ
ゆっくり、自分のペースで登りましょう
仁王門に到着~
1848年再建
膝痛の大姉、だいぶハァハァ
登り始めには
「膝が痛くなったら途中で待ってるから、二人で行ってきてね」
な~んて言ってたけど、頑張ってますよ~
弥陀洞
山内支院
江戸時代までには12の塔中支院があり、多くの僧が修行に励んでいた
今は4つの院 ( 性相院、金乗院、中性院、華蔵院 ) がその面影を残している
こんなところにポスト
このあたりで大姉 ギブアップ
下ることを考えたら、無理は禁物
先に戻っててね~
私は一人で奥の院まで行きますよ~
右が奥の院、左は大仏殿
奥の院までの石段を一段一段昇ることによって、煩悩が消滅し、幸せになれるそうだ
これで煩悩は消滅したか?
修行の岩場
出世や欲望のための修行者が転落したんだって
怖~い
三重小塔
開山堂
右に曲がれば五大堂
五大堂からの眺め
芭蕉さんもここで一休みしたのかなぁ
大姉は、家族(山寺に来たことがある)から
「絶対無理だよ登れないよ」と言われていたそうだけど
やったね!登れたね!
今日のお宿、赤湯温泉へ
経費削減、昭和の香りプンプンのお宿
部屋からの眺めは
ちょっとな旅館だけど、ここの温泉は最高!
なぜなら・・・
赤湯温泉は、開湯920年を迎えた歴史ある温泉
戦で傷ついた家来たちを湯に入れると、たちまちのうちに傷が治り、
傷口から出た血によって温泉は深紅に染まったため、「赤湯」と呼ばれるようになったといわれています。
「長湯はしてはいけない」と書かれているように
長く入らなくても体はポッカポカ
部屋に帰っても汗が止まらず、
食事はお部屋で
ここで登場、4~50代?の仲居の「たえこさん」
酔っぱらってます?(飲んでません)の話し方
3人はその雰囲気にハマってしまい、ついつい4人でおしゃべり
その流れで食べ始め、気が付いたらも撮り忘れ
メニューにあった「小ナスの漬物 時価」
漬物の時価って何?初めて見た
たえこさんに質問すると・・・
各家庭で漬け方が違うし味も違うそうで・・・今はもう時期が過ぎた・・・と熱く語るたえこさん
たかが漬物、されど漬物
漬物の世界も奥深いんだなぁ
近くの八百屋さんで売ってるかもしれない・・・
明日寄る事に決定
今晩の はお開き~
今日も良くおしゃべりしました
なんでこんなに話すことがあるんだろうねぇ
今日は晴天
部屋に置いてあった酒田のガイドブックを見て、無料の観光用自転車があるのを発見!
しかも、このホテルも自転車ポイント~
朝食時に大姉大兄にその話をしたら
大姉は「膝痛」で自転車には乗れないという
んじゃ別行動にしましょ
大姉大兄は歩いて「さかた海鮮市場」へ
私は一人で 観光出発~
まずは「山王くらぶ」
明治28年建築の元料亭で、北前船の寄港地として栄えた時代を垣間見られる
国登録の有形文化財
あっ!私の愛車 も写ってる~
階段を上がると
大広間
ここで毎夜にぎやかな酒宴が開かれていたのかな?
吊るし雛を常設してある間
辻村寿三郎さん作の「さかたの雛遊びと舞妓」を展示
残念ながら写真禁止
これがとても妖艶で素晴らしかったのになぁ
明治時代にタイムスリッ~~プ
密談はここで?
「相馬楼」
江戸時代からの「相馬屋」を修復し「相馬楼」として開楼
2階の大広間で酒田舞娘と食事を楽しめる
こちらは現役 料亭かな?
ガイドブックを持って無くても心配無用
要所要所に
「旧鐙(あぶみ)屋」
酒田を代表する廻船問屋で江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たした
酒田36人衆として町政にも参画
現在の家屋は1845年の火事の被災直後に再建
通り庭に面して十間余の座敷と板の間が並んでいる
屋根には石
石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)っていうんだって
「本間家旧本邸」
200坪の平屋建てだそうで・・・さすが豪商
内部は
書院造りの武家屋敷と商家造りが一体となる珍しい建築様式
樹齢400年の臥竜の松
あ~本間美術館には行く時間は無いか・・・
戻りながらの~
別アングルからの~
もう一度 山居倉庫
大姉は市場で生鮮品を「プチ爆買い」で
私はもう少ししたかったけど
山寺へ向かうから・・・
また来るよ~酒田
夕飯は、予約してある魚屋さんがやっているお店へ
「コース料理ではなく、単品で頼みたいのでメニューをお願いします」と言うと
「あのう・・・うちはメニューが無いんですよ」とのお答え
で
実は観光中に、店から確認の電話があり、同じことを言ったはずなのに・・・
「コースで頼むと鍋とか入るし、そんなにたくさん食べられないよね」と3人ブツブツ
結局
今日出せる料理を書いた「手書きのメモ」をもらい注文
まずはお通し
かぼちゃのプリンやイチジクのコンポート・・・デザート?
でもお味は
少し手を付け 思い出し・・・
カニと茄子のステーキ
ズワイとかはまだ解禁前なので
名前忘れた・・・香箱カニのようなカニ
剥いてあるので食べやすい
「焼き」や「揚げ」ではなく、お店の人が一押しの「ハタハタの湯上げ」
大姉・大兄は「ハタハタ食べたことある~卵のヌルヌルがいやだからいらな~い」と言う
でも私は未経験
食べるっきゃないでしょう~
手前はメス 卵がプッチプチ ヌルヌルしてないよ
奥のオスは白子が美味しかった~
臭みは一切なく、白身の上品な味だった
そうそう忘れちゃいけない 飛島沖で獲れた「刺身盛り合わせ」
ボタンエビと左はホッケ
奥は・・・名前忘れたけど
どれもコリッコリのプリップリ
その後も芋煮やご飯物を何品も頼んだのに 忘れた~
岩ノリを巻いたおにぎりも、のど黒の煮つけも・・・
山形の食材 最高~
あ~~よく飲んでよく食べてよくおしゃべりして
楽しかった~
一緒に働いていたのは30年以上前なんだよなぁ・・・
翌日の朝食
いろんな物を少しづつ・・・
見た目は悪いけど、どれも美味しゅうございました
大姉と東北新幹線で福島へ
福島在住の大兄とは1年半ぶりの再会
ここでいう大姉・大兄とは こちらをどうぞ
今回4回目の人類みな兄弟の旅
運転も、企画もすべて大兄の旅 楽チ~ン ありがとう!
そして、今回の旅は「食べる事・買い物大好き大姉」の希望をかなえ、『道の駅巡り』と相成った
福島駅から、数件の道の駅に寄りつつ酒田へ
月山で「たまこんにゃく」を食べてるうちに
せっかくの紅葉も も撮れず・・・
酒田といえば
「おしん」のロケ地
そして、酒田といえばここでしょうの・・・
山居倉庫
明治26年(1893)に旧庄内藩主酒井家が、米の保存と集積を目的に建造した倉庫
江戸の人口増加により米の需要が増した当時、河村瑞賢は港湾の利便性調査をもとに
酒田から下関を廻り、瀬戸内海から大阪を経由して江戸に城米を直送できるようにした
ここはJRのCM ( 吉永小百合さん ) のロケ場所だって
そして、この倉庫の素晴らしいところは
現役だってとこ
今はトラック搬送だけど、昔は最上川を通りここから荷揚げしたのね
今回は、宿泊費削減らしく ビジネスホテル
部屋からの眺め
部屋は狭いが、ベッドは大きい
お風呂も十分
工夫も
大姉に付き合い、隣のスーパーへ
そこで発見
山形 バンザイ~