MacBook Air(2020)を購入しました。2020年8月26日
iMacをパブリックベータ(Big Sur Beta)にして試行していましたが、「入力できない」という不具合があり、前のCatalinaに戻すことにしました。
結果、失敗したようで立ち上がらなくなってしまいました。
ネットで調べて悪戦苦闘で回復を試みていますがかなり重症のようです。
後日、顛末記を掲載予定です。
そこで、新たにMacBook Air(2020)を購入しました。
セットアップもでき、通常使用できるようになりましたので、初期の感想をお知らせします。
macOSはCatalina(10.15.6)です。
最大のメリットは速い(内蔵ストレージはSSD)ことです。iMacをパブリックベータ(Big Sur Beta 内蔵ストレージはHDD)です。iMacは21.5インチ、Late2015、1.6GHzです。
ちなみに、立上がり(ディスクトップアイコンが表示されるまで)がiMac約5分。これは使用に耐えないものです。
MacBook Airでは、なんとパスワード入力しても約30秒です。
全てのアプリケーションの起動も速くなっています。今使っているPagesでは顕著です。
TouchIDも、立ち上がり時にパスワード入力が必須になりますが、それ以降は快適になります。
最大のデメリットは内蔵ストレージが256GB(経費を抑えると)です。写真や動画の管理をしようとすると1TBは必要です。
今回は、iPadminiとの共用で同じデータファイル(文書)をどこまで管理編集できるかを試しています。さらに、本当にiPadがあればMacは不要になるのかを検証もしてみます。
そのため、まずは、同一アプリで外部記憶が共用できるかを試す環境を整えています。
詳しくは後日お知らせします。
写真は新たなMacBook Air(左)とiCleverの折りたたみ式タッチパッド付きBluetoothキーボードとiPadmini5(右)です。Pagesアプリで文書作成中です。
八田與一を知っていますか 2020年8月25日
韓国の「ありよう」を知りたくて朝鮮史を漁ってきました。特に学校で習ってない近現代史です。歴史認識という強いバイアスが気になり、なかなか腑に落ちるものがありません。
そんな中、李登輝の訃報により氏の業績に触れることができました。迂闊といえば迂闊で、自分の同時代のことなのですがほとんど知りませんでした。
また、台湾史を知ることで同時代の韓国と対比により、より良く韓国を理解できそうな気がしています。かつて日本が関わった台湾、朝鮮、満洲の歴史と、それぞれの戦後の「ありよう」を比較することで、日本・日本人、さらには韓国の理解ももっともっと腑に落ちるのではないかと期待しています。(これは、別の機会に)
本題の「八田與一(はったよいち)」は、李登輝の著書(注記)の中で知ることになりました。「李登輝秘録」河崎眞澄著には 幻の講演原稿「日本人の精神」全文 として掲載されています。これは、2002年11月、慶應義塾大学の学生サークルから招待された講演原稿でした。当時の中国との政治状況により外務省がビザ発給をしなかったため実現しませんでした。
八田與一に強く関心を引かれたのは、氏が「台湾の水利事業に尽くした」と紹介されていることでした。そして出身地が金沢であり、四高(第四高等学校)から東大の土木工学科卒業し、1910年に台湾総督府内務局の技手として就職しています。
(補足)1895年に日清戦争の結果、清から日本に割譲されて、1945年まで台湾総督府が統治する日本領だった。
「李登輝秘録」には、
『台湾では嘉義台南平野15万町歩(1町歩はおよそ1ヘクタール)の農地と60万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭(うざんとう)ダムと共に永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称えられるでしょう。』とあります。
(補足)赴任直後の1921年、石門ダムの前身となる桃園台地を灌漑(3万5千町歩)する農業水路を開発しました。
私の関心事は彼が技術者であったこと、そして金沢出身だったことです。
金沢といえば、江戸初期(1632年)に「辰巳用水」を完成させた板谷平四郎は、和算に優れた技術者でした。加賀藩の財務を管理していた「ご算用者」(「武士の家計簿」磯田道史著)も和算に優れたテクノクラートだったようです。財務から藩政を司ったと言われています。
金沢城への給水で、トンネル工事、サイホン利用の高度な技術が駆使されています。
なお、板谷平四郎は「板谷神社」に祀られています。
水利事業といえば、最近(2019年12月4日)アフガニスタンで遭難した医師でもある中村哲も福岡県の山田堰(1664年完成。三連水車が有名な堀川用水)に代表される筑後川の江戸時代初期の利水事業から学び、2010年にクナール川からガンベリー砂漠まで総延長25Kmを超える用水路を完成に導き、約10万人の農民の生活基盤を作っています。
岡山県では、平安末期(1182年)頃に平家方の妹尾太郎兼康が開発したと伝えられている「備中湛井十二箇郷用水」があります。高梁川の湛井堰(開放堰)から取水し主に農業用水に利用されています。現在は高梁川合同堰(湛井堰)として統合され、受益(水掛)面積は約7000ヘクタールになっています。なお、妹尾太郎兼廉は湛井堰近くの兼康神社に祀られています。
八田與一は15万ヘクタール(畑地も含む)なので、いかに大規模なものかわかります。
また、これらの利水事業は現在も現役で、改良されながら維持されています。現役のため歴史遺産となるような堰や樋、水門等が施設改良のため破壊されていることも残念なことです。
八田與一は1942年5月2日に陸軍の南方派遣要求でフィリピンに向かう途中魚雷攻撃で遭難しています。赴任後、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。烏山頭(うざんとう)ダムのほとりには銅像があります。地べたに座っており、何か思索している姿のようにも感じます。
この銅像について、「新・台湾の主張」李登輝著には、
『八田の精神を後世に伝えるため、工事に携わった人々は彼の銅像をつくり、烏山頭ダムのほとりに置いた。戦後、国民党政府は日本統治時代の銅像や碑文は破壊して回ったが、その魔手から逃れるため、八田の銅像は倉庫に眠ったままになっていた。元の位置に戻されたのは、1981年になってからのことである。』とあります。
(注)1981年は、李登輝が台湾省主席に就任した年です。その後、1988年1月には第7代総統(代行)に昇格し、7月に国民党主席に就任しています。台湾民主化の原点になります。
妹尾兼康や板谷平四郎はその業績から神になりました。八田與一は銅像になって台湾の人々から現在も親しまれています。(台湾の教科書に載っていたそうです。)中村氏もきっとその業績の証となるものが遺されることでしょう。
長くなりましたが最後に関連著書を紹介します。
・新・台湾の主張 李登輝(Kindle本)
・武士道 解題 李登輝 (Kindle本)新渡戸稲造の英文を日本語で解説したものです。
・李登輝 秘録 河崎眞澄(Kindle本)
・台湾を愛した日本人 古川勝三(単行本)入手済みですが未読です。
少し古いものですが、別途ホームページもありますのでご笑覧ください。
・妹尾兼康と板谷平四郎について
・山田堰と堀川用水
2020年8月25日:出稿
現在、ケーブルテレビ会社のインターネット契約をしています。
申し込みが可能になってから何度も申請操作をしましたが、最後の受付完了になりませんでした。