教育で大事なのは個人の尊重と多様な価値観許容
「こどもの日」に因んで教育に関する考察が行なわれるが、私たちは民主主義の根幹に置かれる個人の尊厳、思想・良心の自由の尊重を改めて重視しておかなければならない。
日本の敗戦後、日本の統治のあり方は根本から修正された。
現行憲法の制定に際してGHQの意向が強く反映されたのは事実である。
しかし、そのことは現行憲法を改正するべきであるとの主要な論拠にはなり得ない。
憲法制定に誰が主導権を持ったのかが大事なのではなく、憲法の内容が良いものかどうかが大事なのだ。
自分たちで決めた憲法でも内容が悪ければ改正するべきだし、自分たちでない人が制定に深くかかわったとしても、内容が良いなら改正する必要はない。
誰が制定に深く関与したかどうかにこだわる姿勢は、形式主義の弊害そのものである。
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民主主義において何よりも重視されなければならないことは、個人の尊厳の尊重、思想・良心の自由、そして政治的自由の尊重である。
伝統や文化を守り、育てることは大事だが、それは国家権力によって上から強制するものではない。
個人の自由な意志によって、自発的に守り、育ててゆくべきものである。
教育基本法は教育における憲法のような存在であるが、現行法は安倍政権下で2006年12月に公布・施行されたものである。
安倍氏によって教育基本法の根幹は著しく改変された。
旧教育基本法と現行法の違いはその前文によく表れている。
旧法の前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
現行法前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
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教育の民主化は戦後民主化の骨格のひとつである。
現行法と旧法の前文の違いは第二段落に明確に表れている。
旧法が
「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」
としているのに対し、現行法では、
「我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」
とされた。
「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」
が
「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」
に書き換えられた。
「真理と平和」が「真理と正義」に変えられ、新たに「公共の精神」が加えられたことが主要な変更点である。
また、
「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」
が
「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」
に書き換えられた。
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同時に、教育の目的を定めた第一条の条文が次のように書き換えられた。
旧法
第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない。
現行法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
「個人の価値をたつとび、自主的精神に充ちた」の具体的記述が削除された点に大きな特徴がある。
要約すると次のことが言える。
第一は、「個人の価値」よりも「公共」が優先される懸念が強まった。
第二は、「普遍的で個性豊かなもの」が排除され、「伝統」が押し付けられる懸念が強まった。