先日犬の散歩をしていた折、すぐ目の前を
ニワトリが横切っていきました。
ニワトリです。
別にニワトリだって道を横切ってもいいじゃんか。
と、私だってそう思う。
そんなの見たって、
たいしたインパクトではないかもしれない。
これがもし、
先日犬の散歩をしていた折、すぐ目の前を
ガチャピンが横切っていきました。
だったらちょっと困ってしまうかもしれないし、
さらにこれが犬の散歩ではなく、
先日エリマキトカゲの散歩をしていた折、すぐ目の前を
ウーパールーパーが横切っていきました。
だったらもうお手上げかもしれない。
それに較べたらニワトリが横切った衝撃など、
屁のようなものかもしれないぞ。
しかし屁と形容されて、なにも、
「オレもいっぱしの屁野郎だぜ。いっちょかましたろか?」
などといって喜ぶ生き物はそうそういるとは思えないので、
世界総合ニワトリ連合会の鶏さんたちの名誉の為にも
ここで思い切って書いでおきたいのですが、
その時私たちの目の前の道を横切っていったニワトリくんは、
私と愛犬をハニワ化させるほどの強力なインパクトを与えた
スーパーニワトリくんだったのでありました。何故なら、
そのニワトリくんはその時私たちの目の前でやおら、
飛んだ。
それもただ飛んだのではなく、
クワァ!
とか叫びながらいきなり3メートルくらい
垂直飛びをしたのであります。
「えぇぇ~?」
と唖然としている私と愛犬の様子を尻目に、
だったかどうだかその表情はよく見えなかったのですが、
シュタッ!
とそのままヒタ、と
高枝切りバサミでも届きそうにないほどの高さの
木の枝に着地したのですだ。
「みゃぁあ~~?」
余りの驚きに謎の名古屋人みたいな叫び声を
上げてしまった私を尻目に、
かどうかは確認できなかったのだけれど、
そんな私と愛犬を高みから暫く見下ろしていた
ジャンパートリー(←すでに命名)は、
カエェ!
とかまた叫んだかと思うとさらに上方へと飛び上がり、
「再び垂直飛びなるかっ?!」
とオリンピックの解説委員のように叫んだ私の期待に、
ドバ。
と目の前に着地して軽く裏切り、
「おぉ、6.3.惜しい。」
と思わず得点まで出してしまった私を
まるで小バカにするように一瞥したあと、
コ~コッコッコ~~~、クワァ?
などとハミングしながら近くの家の裏庭へと
悠然と入っていきそのまま姿を消したのでありましただ。
スゴイ。
柳生一族系ニワトリかもしれない。
と軽い目眩を感じながら感動さえも覚えた私。
しかし、
一体何処の誰が磯野波平さんちが三軒先にあっても
まるで不思議はないような思いっきり住宅街のど真ん中で、
ニワトリを放し飼いにするのだろう?
というか飼うのかい、ニワトリ?
そりとも彼は全ご近所認定ナチュラル目覚まし時計係なのだろうか?
早起きご近所さん集合住宅地なのですか、この一帯は?
あ、でも待てよ、そうだ~、
きっとこのジャントリーくんは、
秋祭りとかの屋台で、ぴぃ~ぴぃ~なんて小声で鳴いてて、
きゃぃ~ん、可愛い~、パパ~買って~。
う~んしょうがないな~、ははは。
なんてな経由を辿って買われていった
か弱きひよこくんだったのかもしれない。
その後家族の者たちに大切に育てられて立派な鶏となり、
今では垂直飛びまで出来るようになったのだねぇ~。
しみじ~み。
そういえばその愛情の印なのかもしれないけど、
ジャンパートリーは金チックなネックレスを首にはめていたわ・・。
ロッカーのようだ。学校の物入れじゃなくてよ。
歌うロッカーみたいだってことよね、意外とやるよな、
ジャントリーってば。
ということで思い出した友達の話があるのですが、
ある時に、彼女がまだ小学生だった頃、やはりお祭りの屋台で、
二羽のめんこいひよこちゃんたちを親に買ってもらい、
買ってもらって「わ~~い!」と喜んでいる内に
「いきなりもうニワトリですっ!」
ってな迫力で成長してしまいちょっと悲しかった。
らしいのですが、でもまぁそれは自然の法則だからと納得し、
毎日毎日ニワトリズたちの世話をして、そうこうしているうちに
愛情もどんどん溢れる様にふくらんでいき、
彼女は彼らをとても可愛がっていたらしいのですね。
んがしかし、このニワトリズくんたちは
その愛情も大きな悩みに変えさせてしまうほどの
問題を抱えていたというのですだ。
彼女がいうには、何故か彼らは、
どうもせっかちな気性であり、
しかもえらく几帳面だった、と。
コケェーーコッココーーーーーコーーー!!
と鳴いて家族の者全員を
一斉に起こしてはくれるのだけれど、
それが真夜中の二時だったと。
毎日、きっかり、休むことなく、
NTTの時報のように
正確に鳴き出すニワトリズたち。
まさに丑三つ時の恐怖。
幸い彼女は大きい敷地をもった農家のお家に住んでおり、
周りもそういった家が殆どで真横に隣接する家もなく、
そのニワトリズの鳴き声自体は
近所迷惑にはならなかったらしいのですか、
しかし当の家族一同がひどい迷惑を被って寝不足になってしまい、
結局どうしようもなくなって、ある日、彼女のおじいちゃんが
そのニワトリくんたちを近くの川原岸にそっと
「放してやった」そうであります。
「狭い小屋の中に入れられて、彼らもずっと
精神的にまいってしまっていたんだよ。これからは
自然の中で自然に生きて自然に朝に鳴くだろう。」
とおじいちゃんは悲しんでいる彼女のことを、
その時そう優しく諭してくれたらしいですだ。
無くしてしまった愛情は大きい。
無くしたままじゃ辛すぎる・・・。
そんな人生の悲哀をおそらく生まれて初めて噛み締めながら
その夜彼女は眠りについたらしいですだ。
さよなら、ニワトリくんたち。さようなら・・・。
しかし起きてしまった。
夜中の二時に。
微かにニワトリズの鳴き声を聞いたような気がするけど、
でも長年それを習慣として聞いてきたせいで、ただ習慣として
また目が醒めてしまっただけなのかもしれない。
そう気を取り直して彼女は寝なおし、そして次の夜、
やはり起きてしまった。
夜中の二時に。
昨晩と同じくニワトリズの鳴き声を聞いたような気がして
やっぱりとても気になったのだけれど、でも気のせいだと
自分に言い聞かせて寝なおし、そして次の夜、
しかし起きてしまった。
夜中の二時に。
どうしてだろう?
と思い悩んだ彼女は次の日の朝食の席で
家族にそのことを話そうとしたのだけれど、しかし見ると、
お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、
寝不足っぽい。しかも、
「話しちゃいけない、“あの”ことは。」
といった暗黙の了解の雰囲気が全員の体から
発散していて、結局彼女は話を切りだせず、横を見ると
おじいちゃんが元気そうにご飯を食べていたらしい。
おじいちゃんが元気ならそれでいい。
なんだか自分でもよく理解できない結論を抱えて
その夜寝入った彼女は、
しかし起きてしまった。
気のせいじゃない。
その時そう確信した彼女はそこでじっと耳を澄ますと、
クェココッコーーーーーッ、コーーーーッ!
と、遠~~~~~~~~くの方で、
鳴いているニワトリくんたちの声が。
やっぱりそうだぁ、ニワトリたちだ。
元気なんだぁ、よかった。
と思ったら急に涙が出てきちゃったそうですだ。
そしてそのとき時計は
やっぱり夜中の二時を指していたらしく。
その日から彼女は、その川原に掛かる橋に行って、
元気そうなニワトリくんたちの姿を確かめるのが
日課になったそうなのですが、暫くすると、
最初は二羽だったニワトリくんたちは、
一羽、二羽とだんだんとその数を増していき、
気付くと彼らはいつの間にか大家族に成長していったそうですだ。
でもそんな彼らの姿を見て、
もう大丈夫だ~。
と彼女は思ったらしく、そう思えた以降は、
もうその川原に行くのはやめたそうです。
でもそれからも彼らの鳴き声は、
彼女がお嫁に行くため実家を出るその日の朝まで
ずっと聞こえつづけていたらしく。
いつの頃からか彼女の中で、
その声たちは自然の中の音の一部となり、
それを微かに聞くことで、
気持ちがとても安心するようになっていったそうでぃす。
今ではその彼女も二児のお母さん。
やがて彼女の子供達にも、あのニワトリくんたちに
会いにいく日がくるのかもしれない。
昔彼女がそうしたように。