月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

そこから、ここへ

2008年12月10日 | 思うコト



なくて七癖。
などという諺がありますが、
確かに、人は気付かぬうちに、
幾つかの癖を抱えながら
日々暮らしているものでございます。

私など目薬をつける時には必ず、
息を止めてしまう。

というへんちくりんな癖がありますだ。

この人間の持つ七癖でありまするが、
コトー先生もやはり人の子、例に漏れず、
無くて七癖を持っているようでございまして、
それを羅列すると、

① コトー先生は薄暗闇で電話を取る。

② コトー先生は玉子焼きをみるとウルウルする。

③ コトー先生は考え事をしている最中は、
背後にいる和田さんに気付かない。

④ コトー先生はすいか畑の前でよく呼びとめられる。

⑤ ついでにいやというほどスイカをご馳走されてしまう。

⑥ それでもお腹が痛くなったりしないらしい。

⑦ やっぱり男らしいわ、五島くんったら。うきゃ

⑧ あ、8までいっちゃった。

ってこれは七癖じゃなくて七不思議だったずら。
⑦と⑧の事実以外は。

そうなのだった。
コトー先生には癖が多いのではなく、
謎が多いのだ。
彼はその家族背景からしても不思議な面が多いけど、
しかし行動面においてでも、
「なぜに?」
と思わせることがどうも多いでございます。
中でも特に不思議に思うのは会話においてであり、
何故か彼の会話の中では、

「・・・、」

「コトー先生っ!」

のように話を途中で、
第三者に遮られてしまうことが多く、
これは特に咲ちゃんとの会話で顕著に見られる
不思議現象のようであります。

2003、8話においてのコトー先生の部屋でおこなわれた
二人の会話では、
「柏木先生と五島君、どちらにするのか迷っているのよ、
はっきりかたをつけてよ、はっきりかたをつけてよ~」
と、百恵ちゃんの絶体絶命的なシチュエーションを
柔らか~なオブラートで包みながら五島くんに答えを
迫っている咲ちゃんの言葉はしかし、

「五島くんは・・、」

「コトー先生っ!」

と肝心な所で遮られてしまう。

五島くんは・・、何なのだ?

五島くんは・・、出前何にする?

とかではあるまいな。もしくは、

五島くんは・・、シャンプー何使ってるの?

とかだったらそれは私も聞きたい。
サラサラ髪の秘訣はなんなのですか、と。
しかしそんなわけはない気がする。

しかしその後に出てくる場面で五島くんは、
東京に帰るとリーチをかけてきた咲ちゃんに、
自分の気持ちを話そうとするらしい。しかし、

「君は僕にとって・・、」

「先生っ!」

とここでもシャットアウトなのだ。

んもーーーーーっ、気になるじゃないかぁ!
君は僕にとって、なんなのでしかーっ?!
謎なのだー。

いやでもこんなことを挙げ出せば、
なにもコトー先生に限らず、
吉岡君の演じてきた人物には、
同じく謎を抱えた人物は他にも沢山いたりする。

例えば四日間の奇蹟の敬輔くんは、
どうしてわざわざ白の手袋をはめているのだろう?
余計に目立ってしまうと思うのだが
どうなのですか、敬輔くんよ。
しかもあんな手袋姿でいたら、
そこいらの酔っ払いのおっちゃんに、
「おい、兄ちゃんちょっとそこまで頼むわ。」
とタクシーの運ちゃんに間違われてしまわないのだろうか?
とそんなことを作品鑑賞中に心配してしまったのだった。
外道な見方だったよぉ、吉岡くん。ごめんなさい。

などなどの謎を生み出す人物は
少なくなかったりするわけで。

でもこの際だから書いちゃうけど、
四日間の奇蹟の場合は、その作品自体が
多くの問い、即ち「ホワ~イ?」な謎に
包まれているような気がするでごわす。
なんというか、
東京ディズニーランドに行こうと思ったのに、
着いたら日光江戸村だった。
みたいな感じがするのでございますので、
どうしましょう?
でもそれは吉岡君のせいじゃないもんねー。
編集段階においての問題なのかもしりないぞなもし。
吉岡君自身はこの作品の中でも美しかったよ~。
特に、以前にここでも書いたけど、
病院の裏庭(?)で、看護婦さんに詰問されるシーンは
絶品の演技だったですばい。
あれはスクリーン上ならではの醍醐味演技だったと。
ここでの吉岡君は、台詞が無かったと思う。
感情論をぶちまけている看護婦の暴言を
じっとその場で静かに受けてとめている敬輔は、
しかし気焔の塊みたいだった。
敬輔の中に消えることなく燻り続けている怒り、
悲哀、痛み、焦燥といった暗い焔が、心の奥底から
ふつふつと沸きあがり、やがてその細い体全体から
めらめらと発散されていく様が、怖いくらいの迫力でもって
スクリーンからこちらに伝わってきて、
もう文句なしにお見事だったでございます。
さすが銀幕の君。
無制限にヘビー級で無敵に素晴らしいのだ、吉岡く~ん、
映画に出てね。

コトー先生でも、敬輔でも、満男くんでも、純君でも、
即ち吉岡産だよ全員集合!なのですが、彼は、
声にならない声を吐かせたら、
天下一品の役者さんだと思うです。

台詞のない場面でも、吉岡君は決して、
作為的な表情で演技を塗り固めたりなどせず、
幾層にも重なり合った繊細な気持ちの襞で、
その場の空気を「揺らす」ことのできる人だと思うです。

吉岡君の繊細さは、ただか弱いだけではなく、
その感受性には、何か生への意志力といったものが、
宿っているような気がするとです。

ナイーブな演技をすることなんて、
それほど難しいことではないのかもしれない。
しかし「観客が」役者のナイーブな演技に呼応することは
意外と難しいことだと思う。

役者から発せられる台詞や表情は、
必ずしもそこに観客との共通性があるわけではなく、
みな人それぞれの言葉を持ち、表情を持っているわけで。
しかし心の内面に渦巻く様々な感情には共通性があり、
そして普遍性が宿っているわけで、
そこに観客は感応するのだと。
それを吉岡君は伝えられる人なのだと。
それが名優なのだと、
そう思いますです。 
コメント (2)
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