令和4年5月26日(木)
最近、少し暑くなってきたね。今朝は、少し曇り模様だ。
遠方から「姫のかぐや」に会うために広島駅に、通勤時と重なり人の多いこと。
姫のかぐや行きのバスに乗車。
「姫のかぐや」が誕生したのは、昨年の年末ごろでコロナ感染拡大時期だった。
なかなか家族すら面会できない状況。仕方ないと思うしかない。
今となっては、40日間爺が子育て支援していたことが本当になつかしい。
嫁は、仕事に行っている。爺は、高齢者1年生で孫の「姫のかぐや」が誕生する2か月前
長く勤務した会社を無事滞りなく定年退職している。
良いタイミングで子育て支援ができる。最初の孫(長女の娘)では、勤務中なのでなかなか
子育て支援ができなかった。その分少し大きくなってから頻繁に交流するようになる。
「姫のかぐや」は、爺から離れて何度か会いに行っているがその殆どは「子守」なのだ。
現在は、6か月目に入り首も据わりハイハイ直前状態。手の握る力も強くなり髪を引っ張る
耳を引っ張る。視力も上がって、もうこのころになると「ぼんやり」ではなくかなりはっきりと
視力もあり(最初から近いところは良く見えるようになっている)遠いところも目で追うことも多い。
抱くことは、すごく重たく感じ長くは抱けない。寝ていてもクルリと寝返りする。首をあげて
辺りキョロキョロするが首が頭の重さに耐えなければ力尽きて。(この時が一番危険頭を横に
向ければ良いが正面では呼吸困難。タオルなどがあればなおさら危険)その動作は補助して
やらないと元の姿勢には戻れない。
母親が長時間家事する時は、必らず目が届く範囲か、可能であれば「背負う」か
「抱っこひも」で対処してね。
この時期に圧倒的に母親の不注意やもう少しの用事でと安易な考えで乳児を犠牲にする
ことも多いのです。這い廻るようになると異物を口に入れる。(母親にとっては何を入れた
かは把握できない)置いてあった小さなものが無くなったでは済まない。
無くなったということは口の中に入れた可能性も否定できない。
これを避けるためには、母親が身につけるしかない。
ぐずっても泣いても死にはしない。
本当に危ない状況が沢山ある。
「何をどうしたらどうなる」といつも結果を自身に問いかけてね。
「姫のかぐや」は、時々寂しそうな可愛らしい声を発してコミュニケーションを取る。
イィ~、イィ~と泣く。これが「抱け」という合図だ。少し抱いて降ろすがまた同じ仕草。
これが母親だったり、父親だったり、爺、婆だったり身近にいる人とのふれあいを求めて
いるということだ。新生児の時は、特定の匂いで母親を認識しているようでそれ以外の
身内でもなかなか泣き止まない。それが声でコミュニケーションをとるようになる。
人とのふれあいは、一層強い「絆」となり特に母親にとっては最も愛情豊な「絆」となる
ことでしょう。大切な時期を見過ごさないようにね。
母親が抱く乳児を胸で何回接してあげたかで(愛情の温かみ)「絆」は更に強くなり
その時、優しい言葉をかけてやれば「健やかさ」が倍増。
泣くことは何かのサインだ。
乳児の気持ち訴えは、
本当に異常な時は、全身で火が着くぐらい興奮状態で泣く。
心当たりがないのに心配になるが小さくても過呼吸に陥り苦しがる時もある。
(顎で大きく呼吸するが病気ではない)
抱っこして、声を掛け○○ちゃん大丈夫よ、落ち着いて
と母親が直接声を掛けてあげる。
背中をさすってあげる。恐怖心を除いてあげる。(4~5か月の時)
安心すれば興奮状態も段々覚めてくるはずだ。
このころは、もう母親の声を認識している。
これが一番大切なんだ。一生懸命に生きている証なんだ。
こういう日の夜は、大変寝つきが悪い。深い眠りに入れないのだね。
乳児は、眠れないないということはない。大人と違って寝たいときに寝るように
なっている。母親の負担は多くなるが寝しつけることが大変。
本当に短時間でも眠りは深いと起きた時の「さっぱり顔」は格別だ。
微笑む時もあるね。
ここまで大きく育ったね。もっと大きくなってね。いつもありがとうという気持ちは大切。
こういう乳児の気持ちを知らないでいる父親多いのではないでしょうか。
3歳ぐらいまではしっかりと愛情、絆を実感しながら子育てして欲しい。
4歳前ぐらいからはっきりした「自律」が現れこのころから「躾け=しつけ」を行う。
最も人間として生きて行く道理を徐々に教える。
躾けしないと「我がまま」や、「自己中心的」な人になってしまう可能性。
大人になって「協調性」がなく「状況判断」が苦手な人になるかもしれない。
「孤立」から「引きこもり」になる可能性だってある。
父親がよくいうことに乳児に対して「泣かせるな」、「うるさい」、「寝られん」
「明日は仕事なんだ」と連発する近所の若い父親がいるようで、
全く乳児には関係ありません。乳児は、泣くものです。
泣かなければコミュニケーションはできません。泣かなくなったら体の異常だよ。
父親には、乳児が何を訴えっているか分かりますか?
何も分からず、けしからん!
大人の立場で怒らないで、乳児は何も分かりません。
乳児は、不安になり心を閉ざしてしまうかもしれません。
お父さん、10分でも良いから抱っこして胸に当ててごらん。
小さなお目目は微笑むことでしょう。
子供から「父さん嫌い」といわれないために。
爺の経験や体験より
今晩から、可愛い我が子を暖かな目で一息おいて様子を観ていただければ。
子供は、幼児期になれば、良いことより強烈な悪いことを良く覚えているものです。
喜怒哀楽を記憶する脳(潜在意識)にイメージして焼きつき忘れることはなかなか
できない。その悪いイメージを取り除くためにはそれ以上の良いことの連続
子供ながらに楽しかったこと、うれしかったこと、お父さんに褒めてもらったこと
なども覚えているはずです。もう少し大きくなればこの悪いイメージ取り除く方法を
教えてあげます。長く続けば「ストレス」暗い人になりマイナス思考へとなる。
良いことを考えて行なえば、楽しく明るい人になり周りから沢山の人が寄ってくる。
大抵は、社会人になって気がつくが性格上もう遅すぎる。
とは言っても救いはあるのです。プラス思考になるためにはマイナス思考をできる限り
少なくする。要は、「割り切り」自分の意志で割り切ることも大切。考えを変える。
これができる人は、「躁鬱病」には無縁といえる。人には言えない心の奥に深い深いワケが
あるんだ。自分で自分自身を閉ざしてしまう。人は、だれも元気になれるエネルギーを
持っているがそれに気づかないだけだ。
しかし、そう簡単にはいきませんが段々プラス思考に傾き性格も明るくなる。
人生においても明るい未来、希望がきっと訪れるはずです。
生きている間は、だれも「ストレス」から無にはなれませんが軽減はできるものです。
生きる喜びのある方は非常に明るく積極的でストレスを殆ど感じていませんね。
自分で、実現できない欲望(夢)を追い続けないことも大切。
ここに記載していることも自分だけの知識でもない。
ほんの少し違う能力とご先祖様が私を動かす○○
時間があるときに、人が生きている間は「諸行無常」を大切にしないと。
「姫のかぐや」の爺の子育て支援の爺は何者なのか。得体の知れない爺なのか。
人とは、ほんの少し違う能力とご先祖様が私を動かす○○
偶然は、存在しない最初からの必然である。私の体は何と高齢者1年生であるが
血管年齢28歳ドクターもびっくり仰天する体。偶然人が出会うのではなく最初から
出会うようになっているこれが「必然」というものだ。偶然とは、必然の反対で科学や
高度な技術でも解決できない時に「偶然○○になった」と言われる。
それも必然で起因するものである。自分自身が知らないだけで時や時間が過ぎると
いうことなのです。未来に向けた必然がほんの少し分かれば人生は天地ひっくり返り
幸せを呼び込むことになるといえるでしょう。(人とは、ほんの少し違う能力が)
今日は、この辺で。