<瀬戸内寂聴さんは2021年11月9日に他界されました。享年99歳。この記事は2015年6月に書いたものです。>
先日、作家で文化勲章受章者、僧侶の瀬戸内寂聴さんが、新安保法案に反対し「反安部」の強い決意を表明して大きな話題となった。その模様を見て私も感銘し、彼女の小説『夏の終り』などを初めて読んだしだいである。93歳の瀬戸内さんが“反戦”にかける思いは強烈なもので、 . . . 本文を読む
戦後まもなく、最もよく歌われた曲が『異国の丘』だろう。昭和23年(1948年)にNHKの「のど自慢」でシベリアからの復員兵が歌ってから知れ渡ったが、はじめは誰が作詞・作曲したのか分からなかった。やがて、シベリアから帰還した吉田正が自身が作曲したと名乗り出た。作詞者も分かって多くの歌手が歌うようになり、同名の映画『異国の丘』も作られて国民的な曲になったのである。シベリアやモンゴル、北朝鮮などに抑留さ . . . 本文を読む
<以下の記事は2002年4月6日に書いたものです。一部修正>
山上の垂訓(C・H・ブロッホ作)
1) 私はクリスチャンではないので、キリスト教のことはよく知らない。 しかし、「山上の垂訓」といわれるイエス・キリストの言葉(教え)は知っている。 この言葉は、人類が発する言葉の中では、二度と現われることのない高貴なものであろう。 人類が滅亡するまでに、このような言葉は決して現われないだろう。そ . . . 本文を読む
<2021年10月21日に書いた以下の記事を復刻します。>
けさ、テレビを見ていたら「きょう、10月21日はなんの日?」なんてやっていた。答えは“あかりの日”で、アメリカの発明王トーマス・エジソンが世界で初めて実用的な白熱電球を開発した日だそうである(1879年)。それは結構だが、10月21日というと、私のような年寄りはすぐに「学徒出陣の日」と「国際反戦デー」を思い出す。 . . . 本文を読む
<2021年4月4日に書いた以下の記事を復刻します。>
昨夜、TBSテレビを見たら、泰緬(たいめん)鉄道の話を放送していた。これは第2次大戦中に日本軍がタイとミャンマー(旧ビルマ)の間に鉄道を敷設する話だが、多くの外国人捕虜が過酷な労働の末に亡くなった。このため戦後、捕虜虐待の罪でB・C級戦犯が裁かれるドキュメンタリーだった。しかし、1957年になって、これがイギリス・アメリカの合作映画『戦場に . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
マスコミ出身の私がマスコミの“悪口”を言うのは少し気が引けるが、これも日本国民のためにと思えば、何らおかしくはないだろう。 実は高校生の頃に読んだら、とても面白かったので忘れられない話がある。いま手元に詳しい資料はないが、ほぼ覚えているので紹介したい。歴史の事実から、マスゴミ、いやマスコミの正体というものが分かるだろう。 時は181 . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します>
ふと、往年のイタリアの大女優であるシルヴァーナ・マンガーノを思い出した。彼女が初出演した『にがい米』(1949年)は、戦後間もない日本の男性たちに強烈な印象を与え、“原爆女優”などと呼ばれた。当時は衝撃的な映像だったのだろう。
Arroz Amargo (1949) . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
以前、沖縄の「普天間基地をテニアンに移せ!」という記事を書いたが、米国家安全保障会議(NSC)が同じことを検討していたという公文書が明らかになり、ますますその思いを強くした。以下に「琉球新報」の記事を引用するとともに、小生の拙記事も併せて掲載しておきたい。 普天間基地の移設先はテニアンが最適なのだ!http://ryukyushimpo.jp/news/entry- . . . 本文を読む
村田英雄が歌ったあまりにも有名な“演歌”だ。リリースされたのは1961年(昭和36年)で、西條八十が作詞、船村徹が作曲した。累計売り上げ枚数は、最終的に300万枚を超えたと言われる大ヒット曲だ。浪曲で鍛え上げられた村田英雄の声は、なんとも太くて渋みがある。この曲は大阪出身の有名な将棋棋士・坂田三吉をモデルにしており、関西では特に人気があって歌われていた。
王将 村田英雄 . . . 本文を読む
〈以下の記事を復刻します。〉
CSテレビで映画『私は貝になりたい』(2008年)を見たが、実に良かった。主演の中居正広、仲間由紀恵も素晴らしかった。この物語はあまりにも有名だが、何度見ても涙がこぼれてくる。昔、フランキー堺主演のテレビドラマが最初だったが、ドラマ史上で画期的なものだった。あれからテレビそのものが認知されたのではないか。
「生まれ変わるなら人間にはなりたくない。牛や馬にもなりた . . . 本文を読む