<2008年2月1日に書いた記事を復刻します>
1)先日(1月28日)、文化審議会の国語分科会が、「常用漢字」に新たに11の漢字(表外漢字)を加える案を承認した。私が驚いたのは、それらは府県名に出てくる「岡」「阪」「熊」「奈」「埼」「茨」「栃」「鹿」「梨」「阜」「媛」の11の漢字である。
私は不勉強だったので、これらの漢字はとっくの昔に常用漢字に含まれていると思っていた。なぜなら、小学生だって高学年になれば「岡山」「福岡」「大阪」「奈良」「熊本」「埼玉」「栃木」などと、書けて当然だと思っていたからである。
したがって、大いに驚いたのだが、学校で習わないからといって、まさか「おか山」「大さか」「な良」「くま本」「さい玉」「とち木」などと、子供たちが書いているとは考えられない。百歩譲って、他の地域の府県名などを書く時はそういうことがあるとしても、自分が住んでいる府県や市、例えば岡山県(市)や大阪府(市)に住んでいる子供は、小学校の高学年だったらきちんと漢字で書いているはずだ。
これは学校で習わなくても、親や兄や姉、あるいは友達が漢字で書いていれば、自然に覚えて当然のことである。また、誰かに教わることもあるだろう。 私はこれも「ゆとり教育」の弊害なのかと思ったが、当用漢字や常用漢字などの歴史をインターネットで調べてみてびっくりした。
いわゆる「国語国字問題」については戦後間もなく(1946年11月)、政府が“漢字の全廃を目的”にそれを制限する1850字の「当用漢字表」を告示したというのである。(以下「Wikipedia」などの記事を参考にする。)
さらに私が驚いたのは、“小説の神様”と言われる作家の志賀直哉氏が、同じ年に雑誌『改造』に「国語問題」と題して「日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用したらどうか」と提案したというのである。また、読売報知新聞は社説に「漢字を全廃せよ」という記事を掲載したというのだ。
その辺の話を知ると、私もようやく国語国字問題の背景が分かってきた。当時は敗戦直後のことであり、GHQ・連合国軍最高司令部が日本の学校教育でのローマ字化と漢字の撤廃を目指していたのである。漢字は廃止される方向に進んでいたのだ。
しかし、事はそう簡単にはいかない。 日本語から漢字を無くして、ひらがな、カタカナ、ローマ字の3種類に限定しようとしても、日本人は千数百年にわたって「漢字」を使って生きてきたのだ。漢字は日本民族に定着している。ひらがなやカタカナだって漢字から派生したものだ。
したがって、当初の目論見は大きくはずれ、漢字を全廃するどころか逆にそれを補強する動きが出てくる。こうして、1981年10月には、当用漢字に95字を追加した合計1945字の「常用漢字表」が出来上がったのである。 ところが、新聞をはじめとするメディアは、これを上回る漢字を次々に使用してその数は増え続けているのが現状だ。
2) 思えば、漢字を全廃しようというのは無理な話である。 40年以上も昔、私が学生時代だった頃には、全ての日本語を「ひらがな、カタカナ」にしようという運動がまだ残っていた。しかし、今ではそうした動きは影をひそめてしまったようだ。
難しい漢字をやたらに使うのは良くないと思う。そんなことは一部の好事家に任せておけばいいので、テレビの「漢字クイズ」にでも役立てばいいのだ。しかし、日本語に“同音異義語”が多数あるかぎり、実用面から見ても漢字は不可欠であろう。
例えば「こうこう」という言葉には、41もの意味がある(以下、岩波書店の「広辞苑」による)。主なものを挙げてみても「高校」「孝行」「航行」「口腔」「後攻」「後項」「港口」「皓皓」「鉱坑」「膏肓」「硬鋼」などである。 「しょうか」という言葉には39もの意味がある。主なものでも「消化」「消火」「商家」「唱歌」「商科」「昇華」「頌歌」「硝化」「娼家」「消夏」「笑歌」などである。
こうなると、全ての言葉をひらがなやカタカナで表すとなると、文脈や文字の前後の意味が分かっていれば理解できるだろうが、同音異義語が非常に多いため混乱する可能性が極めて高い。 また、ひらがなやカタカナは基本的に表音文字だが、漢字は表意文字だから「読めなくても分かる」という要素がある。中国へ行くと、言葉は通じないがメモ用紙に漢字を書くと分かってもらうことがある。
このように、日本語には漢字の表記が不可欠なのだ。 もとより、難しい漢字は排除していけばいい。例えば「憂鬱」だとか「団欒」などの「鬱」や「欒」の漢字は難しいから、「憂うつ」や「団らん」といった“まぜ書き”で十分である。(まぜ書きは、今や完全に一般化している。)
余談だが、韓国へ行くとほとんどの文字表記がハングルである。ハングルは朝鮮民族固有の素晴らしい文字だと理解しているが、ローマ字がほんの少しあるだけで漢字は滅多にない。 もう少し漢字があれば分かりやすいのにと思ったが、韓国の漢字運動家は「漢字こそ、東洋の英語である」と主張しているそうだ。 私もそう思う。東洋での一般共通語は漢字だろう。それぞれの地域での発音は違っても、漢字表記が適当にあれば相互理解も進むというものだ。
話しが少しそれたが、日本にも「国字」という“和製漢字”がたくさんある。「辻」「込」「畑」「峠」「働」「膣」「凧」「匂」「杜」「笹」などは極めて一般的なもので、全部で1500ぐらいあるそうだ。 いわば、これらの国字も漢字から派生したようなもので、漢字が日本民族にいかに深く浸透しているかの証左と言えるだろう。
それよりも何も、21世紀の現代では、ローマ字表記やローマ字の“短縮語”が当たり前になっている。 SF(空想科学小説)、TC(トラベラーズチェック)、ETC(ノンストップ自動料金支払いシステム)、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、DV(家庭内暴力)、MRI(磁気共鳴画像)、CEO(最高経営責任者)等々・・・これらは、日本語で表記するよりもローマ字の方が一般化していたり、その方が簡略で便利なことが多い。
ローマ字の方がどんどん一般化している今日、最初に述べた「岡」「阪」「熊」「奈」「埼」などの漢字は、一般化していると言うよりも、正に“必要不可欠”なものではないのか! こういった漢字が「常用漢字」に入るのは当然と言うよりも、遅きに失したと言うほかはない。
日本から「漢字」が消えることはないと思う。 難しい漢字は排除するとしても(もちろん、これは一般的な使用の意味で)、必要不可欠な漢字はまだまだ沢山ある。それらに日が当たる時、日本は漢字(国字を含む)の“ルネッサンス”を迎えるだろう。