12)1963年・昭和38年
新しい年・昭和38年を迎えた。 行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。
彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け . . . 本文を読む
11)艶・・・妄想
11月も半ばに差しかかると、歌舞伎研究会は早稲田祭の準備に追われていた。百合子は長唄の発表会があるのでその練習に余念がなかったようだが、行雄はまだ“新入り”なので大したことをやるわけでもなく、展示会場の手伝いをする程度だった。
そんなある日、徳田誠一郎が久しぶりに行雄に声をかけてきたので、二人は仏文科の講義が終ったあとS喫茶店に入った。「家庭教師 . . . 本文を読む
10) 1周年
行雄が歌舞伎研究会に入ってから半月ほど経った日曜日、浦和の自宅に森戸敦子の母である敏子が訪ねてきた。 埼玉県・川口市の知人に用があったついでに立ち寄ったものだが、彼女は村上家を久しぶりに訪れたこともあって、行雄の父や母と歓談していった。
敏子は最近の森戸家の写真も持ってきたが、特に娘の敦子のものを見せたかったらしい。同席した行雄が驚いたのは、敦子が大学の先輩とすでに婚約して . . . 本文を読む
8)屈辱
それから一週間ほど経っただろうか、春の陽光がまぶしく輝くある日の午後、行雄は文学部の生協食堂で軽食をとった後、たまには演劇博物館でも覗いてみようと本校舎の方へ歩いていった。 学生会館の前を通り過ぎてキャンパスに入ってすぐ、20メートルほど前方から歩いてくる男女3人の姿を見て、彼はハッとして立ちすくんだ。
徳田が中野百合子ともう一人の女子大生と連れ立って、こちらの方へ向ってくるとこ . . . 本文を読む
6)呪い
学生会館で百合子と会ってから、行雄は彼女への想いが“重圧”として感じられてくるようになった。 彼はそういう自分の心境変化を不思議に思うのだが、どうしようもないことなのだ。なぜ重圧なのかと自問自答する。
お前は百合子の肉体に魅惑されているだけではないのか。 オスがメスを欲しがるように、お前は獣のように彼女の肉体を求めているのではないのか。お前が望んでいるのは . . . 本文を読む
5)恋文
冬休みに入ると、行雄は百合子との関係をなんとか打開しなければと焦ってきた。しかし、妙案があるわけではない。 電話で話しても、自分の気持を十分に伝えることは極めて難しい。 思い切って彼女の自宅を訪れようかと考えたが、そうする勇気もないし、彼女だって自宅に来られるのは断るに違いない。
どうしてよいか分からず、行雄は悶々たる気持で数日を過ごしたが、そのうちにある考えが固まってきた。 百 . . . 本文を読む
4)白昼夢
十一月下旬の早稲田祭が近づいた頃、行雄は、中野百合子が歌舞伎研究会のサークル活動をしていることを思い出した。 彼女は入学した時からサークル活動をしていたようで、教室でも時々、歌舞伎の話しをしていたことを行雄は覚えている。
彼は歌舞伎にそれほど興味はなかったが、歌舞研(歌舞伎研究会)ももちろん早稲田祭に参加しているので、それを縁にぜひ百合子に接近したいと考えた。 早稲田祭が始まる . . . 本文を読む
3)中野百合子
九月の二学期が始まって一週間ほど経ったある日、行雄は授業に出た後、甘泉園の方へ散歩してみることになった。 大学の裏門を通り抜けて商店街に出たが、夏の蒸し暑さが残っていて、歩いていると汗がにじみ出てくる。
商店街から路地に入ると人通りもほとんどなくなり、日影になったので行雄はほっとした。 いつまでこの蒸し暑さが続くのだろうかと思いながら、彼は狭い路地から甘泉園前の広い通りに出 . . . 本文を読む
2)新学年
新学期。桜の花の満開と同時に新しい学年が始まる。 学生達が集まってくると、大学のキャンパスはおのずと活気がみなぎってくるが、一年前の安保反対闘争が盛り上がっていた頃に比べれば、平穏なたたずまいを見せていた。
ただ、大隈侯の銅像前などには、相変らず全学連の立て看板が並べられ、数人の活動家が演説をしたりビラを配っていた。 行雄が何気なく立て看板を見ると「マル学同、全学連執行部を掌握 . . . 本文を読む
第2部
1)安らぎ
三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。 最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。
学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。 どんな出 . . . 本文を読む