1月27日(月)ユーチューブなどネットでは、フジテレビと中居正広らが“袋叩き”に遭っているが、きょうの夕方、フジテレビで注目の記者会見が行なわれる。しかし、日枝久相談役は欠席だという。日枝さんは私の3年先輩だが、若い頃は「労働組合」の結成に大活躍した。のちに書記長も務めている。その頃の日枝先輩が懐かしい。だから今回、フジテレビの労働組合員が、約80人から一挙に500人以上に . . . 本文を読む
宴席ではシベリアの歌や踊りも披露されました。若い男女がかわるがわる歌ったり、みなで踊ったりとマトリョーシカを歓待したのです。スターリン皇帝はますます上機嫌になり、拍手をしたり大笑いしたりとご満悦の様子でした。「マトリョーシカ殿、どうですか。サハリンの歌でも踊りでもやってみませんか」スターリンがそう言うので、せっかくの勧めを断るわけにはいきません。マトリョーシカは歌も得意です。彼女は立ち上がると、サ . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します>
ヒュパティアの想像画
久しぶりに素晴らしい映画・DVDを観た。『アレクサンドリア』という2009年のスペイン映画で、レイチェル・ワイズ(ヴァイス)が知的で美しい女性天文学者を演じる。ヒュパティアという4世紀から5世紀に実在した女性の話だが、彼女は最後にキリスト教徒によってなぶり殺される。熱狂的なキリスト教に批判的なヒュパティアは、学問でもキリスト教の天動説に疑問を . . . 本文を読む
終戦後、最も有名になった曲は『みかんの花咲く丘』だろう。この童謡がNHKラジオで放送された直後に、全国の津々浦々からもの凄い反響があったという。敗戦に打ちひしがれた人々は、きっと心の潤いと慰めを求めていたのだろう。 川田正子さんの歌声が今でも忘れられない。
https://www.youtube.com/watch?v=9JLubaIMfeI . . . 本文を読む
マトリョーシカの一行は南部の旧首都・トヨハラで一泊した後、今の宗谷海峡を越えてヤマト帝国の北海道に入りました。その後も気球は順調に南下していきましたが、彼女やマリアは異国の風景に目を見張るばかりです。ほとんどが山林や田畑などですが、気温がどんどん暖かくなっていくのを実感しました。数日後に、気球はヤマト帝国の首都がある今の奈良盆地に到着しました。ナターシャと夫のスサノオノミコトが出迎えましたが、彼は . . . 本文を読む
マトリョーシカはオオドマリを探訪しながら、父母の思い出をたどっていました。スパシーバ王子には膝の上に乗せられあやされたこと、リューバ妃にはお菓子を貰ったり手を繋いで歩いたことなど、全てが幼い頃の思い出です。 4歳から5歳の頃でしたか、父母が相次いで亡くなった時、泣きじゃくったこともよく覚えています。そうした思い出にマトリョーシカは浸っていました。ナターシャは、夫のスサノオノミコトがこの辺りで戦いを . . . 本文を読む
<以下の記事は、2002年6月にモンゴルを旅行した時のものです。>
モンゴルの草原
1) 大学時代からの友人・Y君の強い誘いがあって、私は6月5日から12日までモンゴルを旅することができた。 Y君は大変なモンゴル通で、彼と国内の旅行会社がコースを企画して、今回の観光旅行となったものである。モンゴルの窓口は首都・ウランバートル(「赤い英雄」という意味)である。 4月から成田とウランバートルの . . . 本文を読む
<最近また、日本と中国の戦争を画策する者がいるようなので、2009年1月14日に書いた以下の記事を復刻します。>
ジョセフ・ナイ氏
世の中は何が起きてもおかしくない。 国際政治というのは、一言で云うと“謀略戦”なのである。それは分かっているつもりだが、今回、アメリカのオバマ次期政権の下で駐日大使に任命される予定のジョセフ・ナイ氏が、過去に恐るべき謀略を画策していたこ . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
きょう(2021年8月10日)、フジテレビの情報番組『バイキング』を見ていたら、兵庫県尼崎市の医師・長尾和宏さんが、新型コロナの感染症について非常に鋭いことを言われていた。こういう医師を知ったのは、不勉強だが初めてである。すぐにネットで調べたら、長尾さんは6月にも「デイリー新潮」で同じようなことをおっしゃっている。とても参考になった。医療にはもちろん素人の私だが、日 . . . 本文を読む
多くの訳詞がある歌の中で、この『ロンドンデリーの歌』ほど様々な歌詞があるのは珍しいだろう。それだけ皆に愛され、歌い継がれてきたと思う。歌詞は野上彰。https://www.youtube.com/watch?v=VMWbXEtjz0Q . . . 本文を読む
クラスノヤルスク攻防戦は大変な激戦になりましたが、結局、スターリン軍が勝利を収めました。この戦いの詳細は省きますが、問題はその後の処置です。スターリンは反対派の息の根を止めるために、ここで“大虐殺”を行なったのです。それは極めて残酷・苛烈なもので、降伏しない者や抵抗する者は次々にその場で殺されました。 また、捕らわれたジノヴィエフやカーメネフら敵の将軍たちは、簡単な裁判の結 . . . 本文を読む