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店舗専門不動産開業顛末記
「出逢い マッチング」
著者 山田 茂
物語としてもリアルティが胸を刺すと評判です。
一気に読みたい方は 下記キャンドから

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キャンペン中
★2024.5.7 再掲載開始★
「出逢い マッチング」
著者 山田 茂
第7章 2011.3.11以降
33.次の一手
その後も、青図請負業務契約会
社からの仕事は多少の変動はあ
ったが、経費を賄えるだけの売
り上げがあり、有難かった。で
も、いつまで続くか判らないの
で、今のうちに他の売り上げを
確保しないと安心できない。青
図半額サービスは、失敗したけ
れど内容によっては青図ルート
営業は仕事が取れることの確認
が出来た。継続できる提案を発
見出来るかに掛かっている。営
業しながらそのことばかりを考
えるようになった。紙筒は、可
能性があるが消費サイクルが長
いので給料でいえば賞与的なも
のだ。やはり、青図受注を増や
すことが安定し、地味だが確実
に売上を増やすには最適だ。先
日、六本木の美容室に気分転換
で又行った。前回、会計の時に
カードをもらったが忘れてしま
い、再発行してもらった。カー
ドのサービス内容に10回来店で
次回半額サービスという項目が
。ピーンときた。
32.青図半額サービス中止
希望に燃えて、将来の設計図を
描きながら、営業に回る日々が
続いた。青図半額サービス4か
月目も売上55万円になり最高
記録を更新。だが、翌月から、
急に依頼が落ちてきた。担当者
にそれとなく声をかけると、サ
ービス期間、終わったんでしょ
と、そっけなかった。はっと、
した、そうか、半額の時だけ大
口だけを利用したのだ。考え
てみれば当たり前のことだ。誰
だってそうするに決まっている
。案の定、売り上げは30万円に
なり翌月は20万円になった。
翌月も回復しなかった。青図半
額サービスは、新規顧客を回ら
ないと取れない、でも、これ以
上回る件数は増やせないし、結
局、振出しに戻り少し毎月の売
上がかさ上げされた格好だ。で
も、結果が早く出てよかった。
長く続いていれば、本店を契約
していたかもしれない、世の中
そんな甘いもんじゃない。
(次回に続く)
31.青図売上急増
決済待ちの紙筒の受注が決定、
まったくの同質の品質が半額が
決定打になったようだ。協力メ
-カー様様だ。そうしているう
ちに青図半額サービスの反響も
現れ始め、チラシ配布から1カ
月後の月の売り上げが、ついに
30万円を超え翌月は目標の50
万円に近づき成功といえる結果
になった。半額することで大忙
しになると思っていたが、予想
に反して100枚単位の大口の依
頼がほとんどなので青図ルート
営業はいつもと同じペースで回
れた。バイトの作業に隙間がな
くなって、大変かもしれない。
しばらくの間売り上げが順調に
推移し、バイトの待遇改善と、
新しい売上UPの方法を考えて
楽しい時が過ぎた。今の受注企
業からの間借り作業所では、営
業に限界がある、独自に作業所
を借りて、もう一人バイトを増
して本店と今までの作業所を支
店として位置づけて売り上げの
倍増を目指す、そんな発想が脳
裏に映った。
(次回に続く)
30.半額サービス始める
青図ルート営業は、10社増やし
たが効果は上がらなかった。た
だ、紙筒の注文が1社話が進ん
で、決済待ちになっている。注
文300本単位で少し嬉しい話だ
。青図の注文を増やすために価
格を下げないで解決する方法は、
何かあるのか。中々アイデアが
浮かばない。バイトにこのこと
相談すると、新規契約の1カ月
サービスして頼みやすくしたら
どうですかと、笑いながらこち
らの顔を覗き込むように答えた
。ドキンとした、期間を限定し
て、価格を下げ入口を下げる発
想は当時全く出てこなかった。
バイトに参考にするよと、作業
場を後にし、早速ビラを作った。
半額、新規取引から1カ月間
但し、青図に限る
翌日から午前中の青図ルート営
業の時に担当者に声を掛けなが
このビラを手渡しして回った。
原価率30%なので、受注できれ
ば赤字にはならない。1週間毎
日、担当者に声を掛けた。果た
してどうなるか。
(次回に続く)
29.顧客満足
セット台で待っていると、久し
ぶりと、声がかかり簡単にシャ
ンプーをしてカットが始まった
。前髪部分にソフトウェーブを
かけたほうが素敵ですよと勧め
られて、任した。思い出話をし
しているうちに再度シャンプー
が始まりとても気持ちが良かっ
た。後日わかったことだけど、
シャンプーするときの肌触りが
トップクラスで「神の手」と呼
ばれて人気があると聞いた。確
かに強すぎず、弱すぎずでとて
気持ちが良かった。最後のウェ
ーブパーマが決まり、あっとい
うまの2時間だった。会計は安く
ない初めての美容室でのとても
気持ちの時間を過ごし、店を出
てからも、どことなく気分が良
く、別人になったようながした。
折角なので近くのカフェに入り
珈琲を飲んだ。いつもと違う空
間を楽しめた。サービスとは、
価格を下げないで顧客が満足で
きれば一番だ。今回、本当にい
つもの床屋さんの数倍を払った
が満足度は最高である。綺麗に
オシャレする女性の気持ちの一
端が理解できた。
(次回に続く)
28.オシャレを楽しむ
青図や紙筒のルート営業始めて
から4か月目に入った。青図ル
-トの売り上げは、2カ月目12
万円、3カ月目10万円と芳しく
ない。勿論、紙筒は受注無し。
原価率が30%の設定なので、
青図の受注は、近い将来月50
万円を予定している。価格を下
げるか、配達をその日にするす
るか、むしゃくしゃする日が続
いた。でも、振り返ってみると
投資金なしで始めた仕事でバイ
トを雇えるところまで来ている
し、焦ることないかと、思い直
し気分転換に先日開店した六本
木の美容室に行くことにした。
予約をして、前もって買ってお
いた、うすいピンク色のシャツ
とダークグレイのズボンをはい
て(オシャレをしたつもり)颯
爽とワクワクきぶんで六本木に
向かった。美容室は、六本木の
大通りの4階にあった。少し緊
張して入店すると、いらっしゃ
いませと、若い綺麗なお嬢さん
がエスコートしてくれた。ドキ
ドキものである。
(次回に続く)
27.ルート営業、苦戦
オーダー紙筒の納品も順調に納
入されて完了し、メーカーから
の配送も指示通り届き、満足し
た。バイトの評判も良く、従来
の売り上げをクリアーして安心
して任せられた。問題は、車で
のルート営業が予想より芳しく
ない。約1カ月経過したが、青
図の受注が2社で5万円だった。
もちろん紙筒の新たな開拓はな
い。予想よりはるかに悪いのだ
。午前中の青図のルート営業の
会社を10社増やして再度挑戦で
ある。そんなある日、バイト時
代に一緒に働いた人からアパー
トにハガキが届いた。美容室・
六本木に開店のお知らせだった
。そういえば、兄貴と喧嘩して
美容業界からにげてきたと、言
っていたが、どうも仲直りした
らしい。兄貴はその業界ではち
ょっと有名と言っていた。ハガ
キ案内のデザインがとても綺麗
で素敵だった。そうだ、今度一
度連絡して、少しオシャレをし
てもいいなと、思うと、六本木
に早くいきたい気持ちになった。
(次回に続く)
26.本格的な営業開始
明日、車が届くので、今日は久
しぶりに作業場はバイトに任せ
ゆっくりと喫茶店でコーヒーを
飲みながら今後の営業活動の計
画を練った。午前中は作業所の
近くの建築会社等を20社ほどを
新宿のバイトで実行した飛び込
み営業を繰り返し青図をメイン
に受注して一度、作業所に戻り
バイトに夕までに仕上げてもら
い、翌日の午前中に依頼先に配
達する一日サイクルを作る。
午後の1時から5時までは、紙筒
の営業で都内で対象会社20程を
順番に飛び込み営業する。これ
を3カ月繰り返して様子を見る。
今の売り上げの半分を目標とし
大雑把だがあまり自分を追い込
むとよくないので気楽に前に進
もうと思った。車と紙筒の支払
いは、現金なので経費として余
分に掛かるのはガソリン代がほ
とんどだ。
おそらく今の売り上げを維持す
ればどうにかなる。焦らないで
コツコツと実行して、役に立ち
たいと思う。外部の仕事の受注
は、先日総務課長に申請して、
すでに許可を貰っている。夜、
この仕事を紹介してくれた先輩
と新宿でお礼を兼ねて居酒屋で
軽く飲んだ。どうにかなってい
ますと、報告すると、先輩は喜
んでくれた。再会を約束して高
円寺の4畳のアパートに帰って
明日からの営業に備えて早めに
床に就いた。
(次回に続く)
25.紙筒メーカー訪問
新人のバイトに2日間付き添って
任せられっるようになったので、
紙筒のメーカーに先日の依頼書
の件で電話すると、一度お会い
して進めたいと提案があった事
と、見本が欲しかったので、早
速、工場に向かった。草加駅に
昼過ぎに着き、約束の14:00に
は早かったので駅前でニラレバ
-定食を食べた。づーっと配達
弁当ばかり食べていたので、と
てもうまく感じた。タクシー、
自分で負担するのは初めて、で
紙筒メーカーに向かった。先方
の煙突から白い煙が上がってい
るのが複数見えた。工場に着く
と事務員が丁寧に工場長の部屋
迄案内してくれた。どこか懐か
しい雰囲気の事務所だった。挨
拶を交わすと、工場長は、結論
を先に出しておいたらしく、は
っきりした口調で太った体を前
後しながら、年間の管理費は、
サービスします、そのかし営業
で頑張ってもらい、沢山注文下
さいと、笑顔で言った。後で、
倉庫を見せてもらったが、なる
ほど余るほどのスペースがあっ
た。来たかいがあった。見本の
紙筒を1本貰い、注文書にサイン
して、振り込み確認後20日以内
に2000本の作成と今回の納品
の社名入り200本の郵送の確認
の但し書きを入れてもらった。
帰りは、先ほどの女子事務員が
駅まで車で送ってくれた。少し、
田舎の香りがする可愛いお嬢
さんだった。駅に着くと、草加
名物の煎餅を土産にと、もらっ
た。お礼をいって、別れた後の
気持ちは、先日見た、スバルの
軽の中古車でいっぱいだった。
(次回に続く)
24、バイト雇用する
最近3カ月の売り上げを改めて確
認してみるとバイトを一人雇って
も支払いできる売り上げがあった。
近い将来、営業で外回りするため
には、バイトがどうしても必要な
のだ。こんな時がチャンスなのか
もしれない。それと車が必要だ。
先日、中古車を見てきたが、スバ
ルの軽自動車で外観の良い車があ
った。紙筒の前払い金も併せてど
うにか手持ち現金で決済が出来そ
うだ。早速、広告代理店に連絡を
とって求人広告を入れてもらった。
3人ほどの問い合わせがあり、一人
が面接に来た。身長の高い色白の
19歳の青年が静かに入ってきた。
高校を卒業して一度就職したが都
合で辞めてしばらく職探しいてい
たという。おとなしいそうで真面
目に見えた。目が歌舞伎役者のよ
うな鋭さを持っていた。一通り、
業務を見てもらい、実際にB0の
青図を回転させで連続作業をやっ
てもらった。案外、簡単にこなし
た。土日祝は休み、平日は9時か
17時までの条件等をメモして渡し
た。すると、お願いしますと、の
返事なので、こちらも十分と思っ
たので即決となり、早速、明日か
らの出勤となった。その日の夕方、
総務の課長から呼び出されて行っ
てみると先日の紙筒の見積もりの
ことだった。1か月後の納品で20
0本間違いなく納入出来るかの確
認と見本を1本早急に持って来い
との発注だった。前向きになって
いるときは、色々、好転するもの
だ。
(次回に続く)
23.初めての営業
紙筒の営業戦略の方針を考えた。
確実に納入するためには、現在の
納入価格の半値が望ましい。その
ためにはメーカーへの一回の注文
が2000本にしないと割が合わな
い、こちらの納入は1回が200本
なので10回分の在庫になる。納入
先を早急に3社契約しない行き詰
まる。それと、残りの在庫をどう
管理するかだ。置き場所つまり倉
庫が必要だ。これが一番の問題だ。
高円寺のアパート生活は、最低限
の生活なので預金が少したまった。
営業の車も必要だし、ここは考え
どころだ。そこで浮かんだアイデ
アが紙筒メーカーに在庫を管理し
てもらう、そうすれば先方も担保
になるしこちらも浮気できない。
そのためには、お土産が必要だ。
毎回2000本の発注で前払い、発
送は200本単位でで費用は当社負
担。在庫管理費として年間10万円
を別途支払う。早速郵便で依頼書
を送ったと、同時に今お世話にな
っている会社に見積書を提出した。
(次回に続く)
22.初めての接客
1週間程で紙筒メーカーからの見
積書が届いた。500本で@980円
1000本で@780円2000本で@
480円だった。納期2週間。支払
い初回発注時半額、納品時半額、
その後は納品後10日以内。社名
印刷(金文字)は、1本50円で
本数に関係なく均一と記されて
いた。今の納入価格が知りたい
思ったので例の課長に相談する
と、総務の課長が担当している
事が分かった。この仕事を習い
に来た時の指導してくれた課長
さんだった。学校が休講の時、
何度か焼き鳥でもと、思い声を
かけたがタイミングが合わなか
った。ある朝、早めに会社に向
かって歩いていると先方に総務
課長が歩いているのを発見、そ
こで追いかけて並んで時、挨拶
といつも協力いただいているお
礼として飲食の誘いをはっきり
と伝えた。ちょっとだけならと
約束が取れた。その夜、納入価
格が分かった。
(次回に続く)
21.売上UPのヒントもらう
だんだん慣れてきて余裕が出てき
たので、複写総合コンサルとして
店名も考え名刺も作った。そんな
ある日担当の課長から紙筒の話を
聞いた。何でもB0サイズの原図
は、作成にかなりの費用が掛かっ
ているので遠方に航空便で送る時
に使う紙筒が特注でわざわざ注文
しているという。見本を預かって
調べた見ると間にベニヤを入れて
強度を上げていた。一本2000円
位するらしい。これを安く作って
売り込めば結構売れるという、ヒ
ントをくれた。仕事の合間に紙筒
メーカーを電話帳で調べると、埼
玉県草加市の地域に工場が結構あ
た。折を見て電話で確認すると一
社だけ興味を示し見本が欲しいと
いうのでヒントをくれた課長に相
談して1本譲ってもらい、早速郵
送した。仕事も切れ目なく受注で
き、収入もかなり増えてきた。ふ
っと、近い将来紙筒で営業をする
かもしれない、そうすると青図を
処理し各課に配達するバイトが必
要になる、そうだ、募集してみよ
うと、求人広告を見たり、広告代
理店に電話で相談したりしてみた
。バイトの募集は案外簡単に出来
ることが判った。
(次回に続く)
20.色々な仕事がある
建築会社の青図受注業務を毎日一
生懸命こなし、依頼の部署へ配達
を繰り返してるうちに担当者から
色々相談を受けるようになった。
製本とか、表紙の金文字打ちとか
、事業計画書の印刷とか、結構仕
事があるらしい。ある時、B5で
50ページの印刷を50部作成の見
積もりを提出した。すると、担当
者が作業場まで下りてきて、見積
もり通りでの印刷の発注の依頼を
受けた。納期が2週間後、大変な
のは、原稿をタイプする作業だ。
早速、以前から紹介を受けていた
タイピストに連絡したが、結構時
間的に厳しいと色よい返事はもら
えなかった。どうにかならないか
と、粘ったら仲間に連絡とって半
分引き受けてくれるらしいと。そ
こで半分に関しては単価を上げる
提案をしたら喜んで快諾してもら
った。こちらとしては、初めての
印刷受注なので利益より確実な予
定通りの納品が重要なので、そ
れを重視した。後は、校正と印刷
製本である。その段取りも予定が
立った。
(次回に続く)
19.バイト辞める
翌日、バイト先の会社に早速事情
を説明し退社することを伝えると
思ったより簡単に了承された。飛
び込み営業のルートの引き継ぎを
をして午前中で終了し、その日は
久しぶりにのんびりと歌舞伎町を
散策して楽しんだ。昼間から結構
人がうろうろしている。さすが、
東京の繁華街は一寸ちゅがうと、
改めてて思った。学校が休講だっ
たので、その日は、早めに高円寺
に帰り近くの定食屋でいつものベ
ーコンエッグ定食を食べてアパー
トに戻ると、いつもの学生がすぐ
入ってきて、談笑して過ごした。
明日からは自己責任で仕事を請け
負い夕方5時以降の仕事は、翌朝
早く出勤し処理して各部署に配達
する。結構忙しくなる予定だ。な
にか心がワクワクしてとても素敵
気分だった。
(次回に続く)
18.作業の講習受ける
バイト先の先輩の紹介の建築会社
に約束の10時に着くと、7階建て
の大きな建物だった。入口に黒塗
りの高級車がとまっていて、駐車
スペースも広かった。目的の部屋
へ受付嬢の案内で行くと、担当者
の男性が準備して待機していた。
部屋のアンモニアの匂いが鼻につ
いた。初めてなのできつかった。
当時、建築図面を複写する方法は
図面に光を当て用紙に光の当たら
ないところがアンモニアに反応し
て青色になり青図として普及して
いた。午前中、担当の男性に丁寧
に教えてもらいどうにかこなせる
ようになった。一番大変なのは図
面のサイズB0番で1m×1.5m位
あり、これを50枚とかロールにな
っている用紙に連続で回転させ、
隙間なく(用紙の無駄をなくす)
焼き付ける作業だ。原図も費用が
かかっているので破損できない。
この作業が出来るまで少し時間が
かかった。午後から各課の担当者
が実際の仕事を持ち込み作業が始
まった。時間がかかるので完成し
たら配達する旨をつ伝えると、そ
れぞれ喜んでくれて助かった。
(次回に続く)
17.独立の誘い受ける
学校・仕事もないある日曜日の午
後、同アパートのよく遊びに来る
学生から電話ですと、呼び出され
た。その家族の電話を連絡先にし
てもらっている。本当に有難い事
なのだ。会社の先輩から夕食しま
せんかと、珍しい誘いをもらった。
暇だったので逢うことにした。
高円寺の高架下の喫茶店で待ち合
1時間ぐらい過ごした。その後、
近くの中華屋さんで生ビール・餃
子・ニラレバ―定食をご馳走にな
りアパートに帰った。八百屋さん
で果実を少し買って電話連絡のお
礼としてあげた。アパートで少し
酔ったので寝ころびながら先ほど
先輩の話を思い出していた。新宿
からそう遠くない大手建築会社の
コピー(青図)の仕事を引く受け
て独立しませんかと、いう内容だ
った。その建築会社の片隅にすべ
揃っている部屋があり社内のコピ
ー(青図)を責任をもって処理し
それ以外はフリーだという。一家
族が生活できるぐらいの収入にな
るという。勿論、出来高制である。
飛び込み営業を繰り返して、いつ
の間にか仕事を取ってくる姿を見
ていて推薦できると、いうのだ。
資金もかからなし、面白いかもし
れないと、明日出社したら話そう
とその夜は希望に燃えて床に就い
た。
(次回に続く)
16.浮世の世界
学校が休みのある日、バイト先の
社長から接待を受けた。歌舞伎町
の待ち合わせ場所に行くと、すで
に社長がたっていた。近くの和食
やに入り世間話をしながらおいし
くいただいた。刺身が特にうまか
った。高級料理は始めてだったの
全部がおいしかった。営業に専念
させて、よかったと、労をねぎら
ってくれた。こちらは、欲もなく
ただひたすら飛び込みコースを回
って御用聞きをしているだけなの
だ。和食店を出ると綺麗な和服を
着たお姉さんがいる店に入った。
みんなきれいにお化粧をして、和
服姿の人が大勢いて、入れ替わり
隣について浮世の世界みたいな気
分を2時間ぐらいさせてもらい、
店を出た。すべて初めてなのでと
にかく楽しかった。帰りのタクシ
ー代までもらった。そして、社長
を残して高円寺に向かった。大人
の世界なのだ。
(次回に続く)
15.面白くなってきた
出社して名指しされた企業に指定
時間に訪問する。担当者の話を聞
くと東北地方の開発事業で10年間
の予定で図面トレス・青図・印刷
等大量に発生するので、協力企業
として登録依頼の話だった。かな
りの売上と人出を伴うので帰社し
社長に伝えて後は、会社に任せて、
また、飛び込みの営業に専念した。
毎日毎日訪問すると段々信頼され
て色々見積もりの依頼が増えて、
その中のいくつかは受注できた。
噂で売り上げの1/3の仕事を取っ
ていると、聞いた。信じられない
ことだが20社から毎日のように受
注が入るようになり実際の仕事は
他の社員がやるので詳細は聞いて
ないが印刷の仕事で300万円の受
注もあったと聞いた。社長の限ら
れた時間のバイトに営業専門で任
せた戦略が良かったと思う。普通
なら社内業務の簡単な仕事で使う
ところを真面目なところ()を
見抜いて営業に専念させたのだ。
最初はちょっと飛び込み営業は嫌
だったが、仕事を取るつもりがな
く訪問していると飛び込み先の担
当者も警戒心がなくいろいろな会
社を紹介してくれたり、社内のい
ろいろ仕事もお知えてくれた。い
つの間にか飛び込み訪問会社が50
社になっていので2日間で回るル
ートに変更した。だだ飛び込むだ
けの営業なのに面白くなってきた。
(次回に続く)
14.共同炊事場の思い出
高円寺の4畳と共同トイレ・炊事
場のアパートの生活体験で、学校
の専門課程の課題作品で大きなパ
ネル(B0)に香りのイメージを
出すために全体を明るいオレンジ
色で塗って、墨流しを全体に着け
るアイデアが浮かび、共同炊事場
を測ったら丁度、パネルが収まる
サイズだったので許可を得て、水
を溜その上に墨をながし、パネル
を重ねた。素早くパネルを持ち上
げてみると、オレンジ色に墨流し
が生えて思った以上の出来栄えで
感動した。その上に予定のキャッ
チコピーを描き学校に持参した。
クラスの仲間も教官も(名作と)
褒めてくれた。中には、そんな大
きな共同炊事場があったからでき
たんだよと、皮肉をいう人もいた
が、とにかくうれしかった。今、
思い出しても、そう思う。
(次回に続く)
13.4千円のアパート
高円寺の賃貸アパートは、中庭があ
りそれを4畳一間が囲って2階に12室
一階が6室とトイレ・共同炊事場で元
旅館だったみたいでおもむきがあった
。家賃が4000円だが結構高く感じて
いた。なんせ、夕方5時前には学校に
に行くので残業もできず、ぎりぎり
の生活だった。隣の部屋の様子もお
互いに隠せず、家族のような付き合
いになった。休日に窓から中庭を見
ながらぼーっとするのが結構安らぎ
になった。複数の部屋を借りて住ん
でいる家族の息子さんが、帰宅する
といつも蒸しサツマイモやおやつを
持ってきてくれて、ありがたかった
。新宿のバイトの話とか大学の話を
喜んで聞いてくれていた。中野より
住宅街で駅から10分程、高円寺駅は
結構商店街が複数あり、物価も安く
学生も沢山住んでいた。東京での初
めての生活は結構、人情味にあふれ
た青春だった。賃貸契約した時、当
時、保証人を付けた記憶がない。そ
れだけのんびりしていたのかもしれ
ない時代だったのだ。
(次回に続く)
12.色々なバイトする
さすがに東京は、バイト探しには困
らなかった。弁当配達をした時、新
宿の京王プラザの建築現場に配達し
たことを鮮明に思えている。でかい
建物を仰ぎ見て感動したものである。
夜、学校に行きながらいろいろなバ
イトをしているうちに新宿のプリン
ト会社に勤めた時、とにかく営業を
して仕事を取ってこいと言われ、近
くの大きい会社に飛び込み営業して
回った。通学に40分程かかるので夕
方の5時には電車に乗らないと間に
合わないのでそれに合わせて、毎日
飛び込み営業を繰り返した。1カ月
ぐらいすると20社ほど回るルートが
出来上がり、それを一日1回、挨拶
がてら訪問を繰り返した。仕事は、
中々もらえなかったが、いつの間に
か、担当者と親しくなり、道で行き
会ったときも、挨拶するようになっ
た。これが、結構うれしかった。慣
れない東京で心が和んだ。それと、
毎日、歩きなので運動にもなり、お
腹が減って少ない予算の食事も何で
も美味しかった。そんなある日、い
つも通り出社すると、電話が名指し
でかかってきた。飛び込み営業を始
めて3か月後の事だった。
(次回に続く)
11.上京する
地元の寮ある会社を見つけ希望ある
学生生活が始まった。授業の必須科
目の数学で担当の教官から呼び出し
受け、面会に行くと過去のことを聞
かれた。あまりに数学のレベルが低
いので、その確認だった。経過を話
すと納得してくれ試験の度に追試を
受けた時、協力してくれた。本来は
入学出来なかったのだと、悟った。
神のいたずらなのか、奇跡的に入学
出来た。でも、専門課程の工業意匠
の作品では、みんなの前で作品を褒
められて、少し自信がついた。その
作品は今でも覚えている、傑作だと
思っている。そんな経験からエリー
ト街道の道はあきらめ自分で起業す
る方向で進むことを決めたものだ。
そう決めると考え方がすごく広がり、
何でもチャレンジしてみようと、シ
バリが取れ楽になった。バイトもい
ろいろ変えて、とうとう東京の高円
寺に住まいを移した。初めての東京
生活は、新鮮で夢があった。当時、
働きながら学校に行くのは楽でなか
った。クラスの仲間はほとんどが働
いてない、仕方なく夜間に来ている
人が多かった。当時は、仕事がどこ
にでもあり、経済的にはどうにかつ
ながった。人生のスタート地点に立
った気分だった。
(次回に続く)
10.母、死亡する
受験勉強も終わりずーっと仕事と勉
強で無理した体をリラックスさせな
ら母とのんびりと過ごしている処へ
群馬大から合格の通知が届き、とり
あえず、ほっとした。千葉大の結果
は、変則入試に付、全く予想できな
いので群馬大に入学する手続きと、
昼の仕事を探した。繊維関係で寮付
きの会社が4月からの入社で2カ所あ
った。早速連絡を取り面接等の段取
ろをした。面接の前日、遅刻しない
ように電車の時刻を調べたりしてい
とき、郵便が届いた、千葉大からだ
った。緊張しながら開封してみると
、合格だった。このときは本当に嬉
しかった、母に千葉大に行くよと早
速、声をかけた。嬉しいそうな母の
顔が今でも蘇り、ジーンとくる。定
時制高校の担任の先生に電話して合
格の報告し、その足で学校に向かっ
た。すると、職員室の大きな黒板に
合格おめでとうの文字があった。先
生も一緒になって喜んでくれた。希
望に燃えて進めることは、うれしか
ったが、また、母を一人にして高校
入学した時と同じことを今度は、何
か本当の別れのような気がした。案
の定、2年後に母が、胃がんで死ん
だ。受験勉強の10か月間の母との
生活が、母に夢を与えることができ
たのが、せめての救いである。こう
して新しい生活が始まった。
(次回に続く)
9.入学試験受ける
入学試験は群馬大夜間部が先にあり
ふんわりした感触だがどうにか合格
点に届いたような気持ちで帰宅し、
その後の千葉大夜間部の試験当日、
試験会場に向かうと安保闘争の学生
等で混乱していた。特に夜間部は、
自衛官の通学反対等の看板が大きな
独特の書体でかかれ、記憶に残って
いる。会場の前に着くと張り紙がし
てあり試験会場の変更が提示されて
あった。急いで別の会場に行くと優
秀に見える受験者が集まっていた。
指定席に着き、時間になると担当の
人が事情を説明して試験用紙が配ら
れた。どうも様子がおかしい、試験
用紙がガリ版刷りなのだ。学生の妨
害でこうなったらしい。とにかく問
題集を追っていくと、基本的な問題、
誰でも出来そうな問題がほとんどで
おそらく全員が満点に近い点数だろ
うと思った。終了後、内申書重視の
噂が流れた。その時、ドキンと心臓
が鳴った。千葉大は無理だと思って
いたところ、内申書重視の方向と聞
いて少し希望が出てきたのだ。定時
制の内申書なので抜群によかったの
だ。この年東大は安保闘争で入学試
験が中止だった。1969年の事であ
る。
(次回に続く)
8.受験勉強に集中
午前中は定時制の午前の部に出席し
午後は夕方まで図書館で受験勉強、
夜は母のいる家で受験勉強の日課が
始まった。年内にBの教科書3回、
過去の問題集も3回終了させ、年末
に予想問題3回挑戦して新年に弱点
を補い目標を達成する。本当に集中
して、毎日毎日を過ごし、信じられ
ない位勉強した。時々、何のために
勉強しているんだろう、逢いたい人
もいる、そんな疑問や気持ちも抑え
て悶々とし寝つきの悪い日もあった
。そんな時、母がさ湯をもってきて
慰めてくれる。そのさ湯が心を沈め
くれるのだ、ただの冷めたお湯なの
にとても安らぐのだ、母は愚痴をこ
ぼしたことがない、父が死んで依頼
子供4人を義務教育卒業まで楽でな
かったはずだ。その母が入れてくれ
たさ湯を飲むと心が救われるのだ。
そんなこんなでとうとう新年を迎え
受験の日が近づいた。担任の先生に
挨拶に行った時、がっかりしないで
と、励まされた。不合格が当たり前
のように聞こえた。不安はあったが
一生懸命自分なりに計画を立て実行
出来たので満足はしている。結果は
誰にもわからない。
(次回に続く)
7.母に頼る
定時制高校の4年生になる時、大学
は当然夜間だが行くことに決めてい
た。先生に相談したり調べてみると
学費の安い国立大学で千葉大と群馬
大に夜間部があった。千葉大は工業
意匠科、群馬大は繊維意匠科があり
願書を取り寄せた。過去の問題集も
取り寄せ試験勉強の予定を立てた。
その過程で驚いたことを発見した。
高校の教科書にAとBがあって普通
はBを使っているのだ。勉強の範囲
全然違うのだ。まったく知らない数
学の問題もあった。定時制ではAを
使っている。愕然とした。先生に相
談してBの教科書をより寄せ予定を
立て直した。Bの教科書と過去の
問題集に集中して実行に移した。仕
事しながらの勉強は、進まない、眠
い、学友の誘惑等で中々予定を消化
出来なかった。ここで初めて母に頼
ることを決め、3年間でためたお金
を全額解約して母に渡して10か月間
生活費として渡した。厳しい経済状
体だっと思うが母は一つ返事で受け
てくれた。一人住まいで寂しい生活
をしている母のもとに兄弟誰も寄り
付かなかった。母は嬉しそうに近所
に触れ回った。恥ずかしかったが自
慢そうに話している姿を見ると何も
言えなかった。
(次回に続く)
6.楽しかった定時制時代
羽生へ出発の当日、同級生6人が
久喜駅まで送ってくれた。住む世
界が違うのでもう会えないかもし
れないと、思うと、切なかった。
工場の入社式で歓迎会が行われ、
初めて口にした日本酒で酔いが
回り周りにいきなり迷惑をかけた
。三食つきで午前中は学校に行き
仕事は遅番なので、14時から17
時食事休憩語18時か22時までと
記憶している。入学式の時、うれ
しいことがあった。式が終わると
担任の先生に声を掛けられて、中
学の先生の中に同級生がいて、優
秀(?)な生徒なのでよろしくと、
連絡があったと、聞いた。その時
懐かしさと思いやりで目頭が潤ん
だ。定時制生活4年のうち3年が、
学校・仕事・恋愛・会社の慰安旅
行であっという間に過ぎた。そし
て4年になると卒業後をどうする
かが、問われる時期になった。
(次回に続く)
5.3部制定時制高校
いろいろあったが、結果的には定
時制高校への進学が決まった。寂
しかったが案外素直に受け入れら
れた。どうしてと、周りから聞か
れるが一番嫌だった。不動ヶ岡高
校の羽生分校に寮付きの撚糸工場
に勤勤務しながらの高校生活だ。
今朝ドラで放映している「ひよっ
こ」の世界だ。団塊世代と言われ
戦後の第一次ベビーブームの生ま
れで、山形・福島・茨木各県から
入社している。近くの、ブレー
キ工場、染め物工場等などから沢
山の男女が定時制に通ってくる。
この定時制は単独で独立していて
午前部・午後部・夜間部と珍しい
3部制をとっている。午前部は二
部制の生産工場、撚糸・ブレーキ
工場から、午後部は早朝出勤の組
が夜間部では朝がきついので午後
部に夜間部は近くの一部制の会社
や商店から通っている。午前・午
後部は一学年で50人中男性が4人
程度になる。女性天国なのだ。こ
の話をすると、羨ましいと、よく
言われたが、結構たいへんな面も
あるものだ。一年目は午前部、二
年目は午後部、三年目は待望の夜
間部へそして四年目は午前部へと
一巡した。
(次回に続く)
4.人生を辿る
空がスク―リーンになって、そこ
に思い出の映像が次々映写される
。小3の時に死んだ親父との思い
出は、祭りの時、肩車してもらい
5円の団子を買ってもらったこと
しかない、それとクラスの担任の
先生が全員を連れて参拝してくれ
たこと、今思うと担任の先生の思
いやりが胸を打つ。先生はその後
いろいろな能力を指摘してくれ、
親代わりになってくれたのかもし
れない。その先生の訃報を昨年の
暮れの同窓会で知った。小6の時
遠足費用が用意できない母に泣き
ついて困らせたことがあった。経
済的には貧しかったが中学へと健
康な体で進めた。学業は平均位で、
ただ、中1の三学期ころから数学
が面白くなりクラスで一番になっ
たのがうれしかった。それにつれ
て他の教科も成績が上がり、卒業
する頃は学年全体でベスト10に入
っていた。
(次回に続く)
3.一茶と歩く
南千住駅で降りると大勢の人が北
に向かって、つまり北千住の方向
にほとんどの人が歩いている。そ
の流れに載ってついていった。空
は晴れているがどことなくどんよ
りしている。今のところ暑くはな
かった。周りの景色を見ながら黙
々と歩いている。結局、隅田川と
荒川の大橋を渡るしかないのだ。
そのころになると歩く速度に差が
あり少しずつマラソンみたいに小
集団ができその間隔も大きくなっ
ていった。電車が動いた情報はと
れない。歩くしかないのだ。頑張
ってと、水を補給してくれる場所
も設置されてあり本当にうれしか
った、これもマラソンと一緒だっ
た。だんだん人が少なくなり小林
一茶が江戸時代東北に向かって俳
句の旅をしていたのをふと、思い
出した。そこで一句読んでみた。
「震災が人の営みよく見てる」
空を仰ぎながら歩いているうちに、
いつの間にかスーと意識が人生を
たどっていた。
(次回に続く)
2.会社で雑魚寝
その日、散らかった書類等をどう
にか整理し家族全員の無事が確認
出来ると、急にお腹かがすいてき
て近くのコンビニ行くと人でいっ
ぱだった。ほとんどの食品がない
ので、煎餅とかどうにか確保し、
事務所に戻り食べながら、交通機
関の状況を確認するとどうも帰宅
は難しいので会社で雑魚寝した。
椅子を3つ並べて座布団を枕に上
着を掛け冷えないように暖房を弱
めに設定し目を閉じると、疲れた
のか間もなく寝てしまった。案外
図々しいのである。翌朝、目が覚
めたのが6時過ぎだった。やはり
体のあちこちが痛い、寝返りでき
ない分どこかにしわ寄せが生じ痛
くなったのかもしれない。昨夜の
残りの缶珈琲を飲みながら交通機
関を調べてみると南千住迄地下鉄
でいけそうなので早速準備にかか
り事務所を出た。大勢の人が方向
は違うけど黙々と歩いていた。
(次回に続く)
1.東日本大震災発生
昨日の電気街の一棟賃貸の契約の
余韻が覚めない午後、JR御茶ノ
水聖橋口から線路沿いに秋葉原の
昌平橋に向かう坂道、通称淡路坂
を下りかけた時である。キャーと
いう悲鳴とともに地面が揺れ始め
周りのビルが音を立てて揺れてい
る、一瞬何が起きたか理解できな
かった。間もなく音が聞こえなく
なり、丘の上からビル群の揺れが
、ゆらりゆらりと見えて幻想の世
界に入った。はっと、気が付くと
昌平橋に近くにいた。事務所近く
着くと人が大勢あわただしく会話
していた。事務所に戻ると電子レ
ンジが落ちて、幅広の厚みのある
書棚がずれていた。何よりも事務
員が無事だったのでほっとした。
すぐに家族と連絡を取ってもらい
帰宅の段取りを取ってもらった。
どうにか連絡が取れたらしく直に
帰ってもらった。事務所内は地震
の大きさが想像できる、散らかり
状態だった。
(次回に続く)
第6章 通信革命起こる
78.結果は散々
今のところ毎月物件を計算したよ
うに依頼を受ける。結構安定した
年月が続いている。このまま変化
がないことを祈るばかりだが、内
心は不安がいっぱいである。なぜ
か、第二・第三のHPの成果がほ
とんど出てないのだ。半年がたっ
ても変化がないのである。同業か
らどうですかと、よく電話がはい
るし、飛び込みで様子を見に来
る社長さんも多い。あれは遊び感
覚でやってますのでと、はぐらか
すが、真剣にまじめにやって、期
待しているのだが、そんなに簡単
にはいかない。
(次回に続く)
77.第二・第三のHPは
最近の契約物件の内容を確認して
みるとほとんどが専任物件で業者
紹介の物件とか指定流通機構(レ
インズ)の物件は皆無に近い。そ
れは各社がHP(消費者媒体)を
持ち、集客方法に差がなくなり何
処が物件の依頼を受けるかが生命
線になっていて非常に明確になっ
てきた。だから専任物件だけの営
業になるとそんなにバタバタと営
業しなくとも時間たてば契約にな
るので今までのように忙しいとい
う雰囲気はない。それでいて売上
だけは予定以上になる。よく言え
ば、一軒一軒の内容が濃くなてい
るのだ。
(次回に続く)
76.信頼2
内装業者にも、これからはそうし
ますのお願いしますと、言葉で確
認した。内装業者は仕事が減る交
渉なのに黙って耐えていた。その
後、この内装業者の評判が良かっ
たのと、協力してくれた縁から、
複数の内装業務を紹介し、上手に
請け負ってもらいお互いに良い関
係が続いた。それと地下のメイド
カフェの仲介も家主から依頼を受
け一般媒介だが早いもの勝ちの仲
介業務に狂奔して地元の有利さも
あって、色々あったが、契約に至
り、その後もテナント募集では相
談が入り専任状態になった。
(次回に続く)
75.信頼
数日後、家主さんが内装業者と一
諸に来社した。少し足が悪いらし
く階段がきつかったと笑いながら
入ってきた。先日よりも若く素敵
に見えた。隣の内装業者はづっと
不機嫌な顔をしていた。当たり前
である、今までテナントが変わる
たびの原状回復工事がなくなる話
なので面白いわけがない。家主も
いろいろ調べてきたらしく、造作
売買は禁止と確約できれば、お世
話になったテナントに負担をかけ
させないのはいいことだと思いま
すと、柔軟になってきた。内装業
者の顔をのぞきながらさらに、但
し次のテナントがいない場合は3
か月前の解約通告と原状回復は、
従来通りですよと、念を押してき
た。
(次回に続く)
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