き地・空き家は
定借でイノベーションえを起こせ
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コロナ禍のフード new
ビジネス戦略 連載 10
かなり断られた
地方のお店だと、コロナ禍
で東京に行きたくても行け
ない店舗さんもかなりいら
っしゃいましたので、正直
かなり断られてしまいまし
たね。なかなか大変でした。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 9
第 1弾として横浜市戸塚の
名店「支那そばや」が出店
しました。実際に食べてみ
ましたが、本店と変わらな
い味を東京駅でも再現でき
ていると思います。
支那そばやさんに出店いた
だけたことは本当に素晴ら
しいですね。神奈川県は東
京都の隣ではあるものの、
行きたくても行けない人は
たくさんいるので、支那そ
ばやさんが出店できたこと
で喜ばれるお客さまはかな
りいると思います。このご
当地イベントは 2 年間続け
るのですが、最初に注目を
集めるお店が入ることによ
って、全体的に良い流れが
できると期待していますね。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 8
盛り上げたい
地方のお店を含め、ラーメ
ン業界全体を盛り上げたい
意図があったわけですか。
そうですね。逆に地方のお
店のほうも都心からお客さ
んが来てくれないので、な
かなか自社のラーメンをア
ピールできない事情もあり
ます。地方のラーメン店経
営者にとっても、東京駅で
出店できてかつ大勢の人に
提供できるのは、一つのメ
リットだと思います。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 7
東京でご当地ラーメンを
せたが屋は東京ラーメンス
トリートの開業から出店し
続けています。今回は東京
ステーション開発と協働し
て、東京以外のラーメン店
も取り入れる画期的な企画
も始めました。どのような
経緯から始まったのでしょ
うか。
東京にももちろんラーメン
屋さんはありますが、やは
り地方に旅行に行って、そ
の土地特有のご当地ラーメ
ンを食べたいラーメンファ
ンの方々は多くいらっしゃ
います。そういった方々を
ターゲットに、このコロナ
禍の中、交通機関を使って
遠くに行かなくても、東京
でご当地ラーメンを提供し
たいというのが発端でした。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 6
前島 司 せたが屋代表
前島司(まえじま つかさ) 1962年生まれ、高
知県出身。独学で試行錯誤する中2000年に魚介
系醤油(しょうゆ)ラーメン店「せたが屋」を
創業。二毛作と呼ばれる営業形態や独自のオリ
ジナルブランドを次々と世に生み出すことから
「ミスターラーメン」との異名を持つ。08年に
はニューヨーク進出を果たし、世界のラーメン
ブームの先導者的存在(以下、店舗の写真は前
島さん提供)
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 5
ラーメン せたが屋
この「ご当地ラーメンチャ
レンジ by 東京ラーメンス
トリート」の仕掛け人の一
人が、東京を中心にニュー
ヨーク含め15店舗以上を経
営するせたが屋(東京都世
田谷区)の前島司社長だ。
前島さんは東京ラーメンス
トリートが開業した09年か
ら2店舗を出店しており、
この事業に一貫して関わっ
ている。
いったいどのような狙いで
このような企画を発案した
のか。そしてコロナ禍のフ
ードビジネスの現状とは。
前島社長に話を聞いた。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 4
3ヶ月に1店入れ替える
約3カ月ごとに1店舗ずつ
店が入れ替わり、第7弾ま
で予定されている。第1弾
は横浜市の戸塚に本店を構
える有名店「支那そばや」。
TBSの番組「ガチンコ!」
をはじめ数多くのメディア
に出演し、「ラーメンの鬼
」という異名を持つ佐野実
さんが創業したしょうゆラ
ーメンの名店だ(「ラーメ)。
ンの鬼」故・佐野実の「支
那そばや」が東京駅に出店
切り盛りする妻が経営で
守り抜いたものとは「支那
そばや」は11月4日まで出
店する。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 3
ご当地ラーメン誘致
そんな中、東京ラーメンス
トリートを管理するJR東海
グループの東京ステーショ
ン開発は発想を転換し、地
方に行けない首都圏在住者
に向けたプロジェクトを展
開した。全国のラーメンの
名店を期間限定で東京ラー
メンストリートに出店する
「ご当地ラーメンチャレン
ジ by 東京ラーメンストリ
ート」という企画だ。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 連載 2
ラーメン店倒産過去最多
この厳しい状況は統計にも
現れている。帝国データバ
ンクの調査によると、20年
のラーメン店の倒産件数は
46件。19年の36件を上回り
過去最多を更新した。倒産
が年間40件を超えたのは調
査開始以降初めてのことだ。
(次回に続く)
コロナ禍のフード
ビジネス戦略 新連載 1
新型コロナウイルスの感染
拡大が猛威を振るう中、思
うように遠方に移動できな
い日々が続いている。ワク
チン接種済みであっても全
体的な制度設計は進んでお
らず、長距離の移動が難し
い状況だ。経済活動の本格
的な再開にはまだ程遠い。
特に飲食・観光業への影響
は大きい。かつてビジネス
パーソンだけでなく、多く
の観光客で賑わっていた東
京駅八重洲口にある「東京
ラーメンストリート」もそ
の一つだ。東京ラーメンス
トリートは2009年に東京駅
の観光スポットの目玉とし
て、東京を中心とした有名
ラーメン店を一堂に集めた
もの。かつては「2時間待
ち」とも言われた東京ラー
メンストリートの名店も、
コロナ禍の現在では、さほ
ど並ばずに入れてしまう状
況が続いている。
河嶌太郎 ITmedia
(今回新連載です)
春華堂うなぎパイ new
コロナ禍の復活 最終回 24
未来を見据えた事業
その未来を見据えた一大プ
ロジェクトが、4月に開業
した複合施設「SWEETS BA
NK(スイーツバンク)」
だ。こだわり尽くした結果、
2年以上もスケジュールを
後ろ倒しした。当然、その
分のコストもかさんだ。そ
うまでしても春華堂や山崎
社長が目指したもの、追求
したものとは何か。
(今回最終回です)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 23
次世代のために
なんとか踏ん張りとどまっ
ているとはいえ、コロナの
爪痕(つめあと)は深い。
春華堂はコロナ前のタイミ
ングで大きな投資もしてお
り、その借金の返済計画が
大幅にずれ込んでいる。こ
こに軌道修正をかけなくて
はならない。「今まではあ
る程度余力を持った上で、
次なる一手を打ってきまし
た。それがカツカツの状態
になってしまった。まずは
戻すことが先決。たとえ1、
2年は売り上げが止まった
としても、どうにか雇用と
会社だけは維持できる体力
に戻して、自分たちの子ど
もの世代にバトンタッチし
ていきたい」
(次回最終回です)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 22
ノブレス・オブリージュ
これを山崎社長の代になっ
て「三笑主義」と変えた。
一、笑顔があふれる会社で
あること(家族)
二、笑顔が交わる地域であ
ること(土地)
三、笑顔を創るお菓子を提
供し続けること(商売)
仕事や人生でつらいときが
あるかもしれないけど、最
後は必ず笑えるように、み
んなで、笑顔で楽しくやり
ましょうというのをメッセ
ージに込めている。「菓子
って、多くの人たちに笑顔
を届けることだと思う」と
山崎社長は断言する。これ
が日々の思考の下地になっ
ているため、コロナ禍の寄
付も特別なことをやるとい
う感覚ではない。地域や人
々への貢献は、浜松で 130
年以上も商いを続けている
春華堂のノブレス・オブリ
ージュなのだろう。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 21
三惚れ主義
春華堂には創業以来、「三
惚(さんぼ)れ主義」とい
う企業理念がある。
一、土地に惚れること
二、商売に惚れること
三、家内に惚れること
地域や周りの人を大事にし
よう、会社も愛そう、家庭
も大切にしないといけない。
どれかがひとつ欠けても駄
目ですよという教えである。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 20
提案を受け入れる
そこまで言ってくれるので
あればと、心意気に感謝し、
提案を受け入れて、販売エ
リア外の病院にうなぎパイ
を送った。この出来事とは
別に、春華堂も自発的に浜
松市内のいくつかの病院や、
首都圏の介護施設、子ども
食堂などにお菓子を寄付し
ていた。自分たちにできる
ことをやる。これは社訓で
もあるからだ。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 19
医師の意思は固かった
「ありがたいことに、こん
なタイガーマスクみたいな
人がいるんだ」と山崎社長
は感心したが、好意に甘え
ることはせず、いったんは
断った。「ありがたいお言
葉ですが、われわれではな
くて、お弁当を作っている
会社とか、もっと助かる方
々は大勢いるのでは」と山
崎社長が伝えると、「それ
は違う。春華堂さんがいま
困っているので、助けたい
し、医療従事者も助けたい
」と譲らなかったという。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 18
ある医師の手紙
「コロナが運んできた縁と
いえば、こんなこともあっ
た」と山崎社長は明かす。
3月、工場の操業休止がニ
ュースになった直後、新潟
のある医師から手紙が来た。
そこには「うなぎパイを10
0万円分買いたい。それを、
コロナの患者を受け入れて
いる病院に配っていただけ
ませんか」と書かれていた。
すぐにお礼の電話をして、
医師と話をしたところ、「
通販されていないと聞きま
した。ですので、なるべく
静岡、愛知県以外の地域に
届けてほしい。コロナが明
けたら、うなぎパイを受け
取った医療従事者たちは感
謝の恩返しに、春華堂の工
場に遊びに行ってもらいた
いのです」という。春華堂
が困っているのを知って、
困っている人同士が100万
円でWin-Winになればいい
という考え方だった。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 17
浜松の産業もりあげたい
コロナ禍で浜松の農家も苦
しい。そうした人たちの声
に耳を傾けるにつれ、地域
の生産物を広めたい思いが
日増しに強くなっていると
いう。近隣旅行であるマイ
クロツーリズムのような企
画を検討し、浜松の食を深
く知ってもらう企画も浮上
しつつある。春華堂の担当
者は「一体になって浜松の
産業を盛り上げたい」と意
気込む。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 16
副次的な効果も発生
この取り組みは副次的な効
果も生む。春華堂は地元・
浜松の農業に対するつなが
りも強化することとなった。
例えば、あったか農場と協
同で、遠州落花生を育てて、
調理する “体験型”オーナー
制落花生栽培や、静岡県温
室農業協同組合と静岡クラ
ウンメロンのイベントを開
催するなど、枚挙に暇ない。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 15
コロナで生まれた付き合い
試作品を検討するミーティ
ングの場で、春華堂の和菓
子ブランドである五穀屋の
「山むすび」をだしスープ
とともに食べるスタイルが
JAL の客室乗務員などに好
評だったことを受けて、 2
社共同開発での商品化を決
めた。国際線での機内提
供を始めるとともに、「山
むすび だしゆのこ」とい
う商品名で7月から販売す
ることにもなった。春華堂
としても、新たな販路開拓
やブランディングに結び付
き、ビジネス拡大の絶好の
機会となった。「コロナだ
からこそ生まれた付き合い
だ」と山崎社長は喜びをか
み締める。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 14
サツマイモの共同開発
すぐに意気投合し、具体的
な企画を検討する中で、コ
ロナ禍でも活動できる農業
で何かできないかとなった。
一緒にサツマイモを植えて、
秋に収穫し、コロナが収ま
ったときに共同開発した商
品を出しましょうと、話が
まとまったサツマイモは、
うなぎの骨や頭を肥料にし
た「うなぎいも」という浜
松のブランド野菜を使うこ
とにした。うなぎいも協同
組合に協力を仰ぎながら、
両社の社員が泥だらけにな
って一緒に芋を植えた。協
業はこれだけで終わらなか
った。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 13
渡りに船のタイミングで
ただし、それまでJALと春
華堂の会社同士の接点はな
かった。すると、五百旗頭
氏のチームメンバーの一人
が、以前「浜松パワーフー
ド」という地元の食材をPR
するイベントでつながりを
持っていたことが分かり、
20年4月にそろって春華堂
本社にやって来たそうだ。
ちょうど緊急事態宣言が発
令されたばかりの時期で、
うなぎパイの売り上げも苦
しいときだったため、春華
堂にとっても渡りに船だっ
た。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 12
日本航空(JAL)との協業
そして、コロナのタイミン
グで一気に外向きのスピー
ドが加速した。その一例が、
日本航空(JAL)との協業だ。
きっかけは、JALの中部地区
支配人の五百旗頭(いほき
べ)義高氏のうなぎパイに
対する懐旧だった。コロナ
禍でJALも大打撃を受けた
ことで、中部エリアの企業
と連携し、新しいビジネス
交流を図るべきだという案
が浮上した。では、どこと
タッグを組むかという話に
なったとき、五百旗頭氏は
迷わず「うなぎパイの会社
とやりたい」と声を上げた
という。大阪出身の五百旗
頭氏は幼少期、父親が出張
するたびにうなぎパイを買
ってきてくれたことが、思
い出として深く印象に残っ
ていたのだった。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 11
コロナ禍で殻を破れた
コロナがもたらしたプラス
の変化は社内だけではない。
外部とのつながりも深まっ
た。 実は、これまで春華
堂はあまり社外との連携を
してこなかった。「もとも
とは、全てを自分たちだけ
でやろうという意識があり
ました」と山崎社長は語る。
浜松を代表する老舗企業と
してのプライドもあっただ
ろう。潮目が変わったのが
数年前。ずっと閉じこもっ
ていた殻をひと破りした。
「五穀屋、nicoe(ニコエ)
、coneri(こねり)といっ
た新しいブランドを立ち上
げた際に、外の力も借りま
した。それによって成功し
たときの喜びや、できるも
ののクオリティーの高さは
代え難いものだと学んだの
です。結果的に、それが地
域や顧客にとっても良いこ
とになればいいのではと思
いました」
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 10
アドバイスを送りあう
ハロウィーンをテーマに、
和菓子、洋菓子の職人が25
人参加。従来ならば各自が
コンクールの作品づくりに
黙々と取り組むところ、今
回は参加者同士がアドバイ
スを送り合うなど、お互い
に技術力を向上しようとす
る姿勢が見受けられた。こ
れが特に若手職人の刺激と
なり、次の社外コンクール
に向けてモチベーションが
高まったという。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 9
モチベ―ションアップ
3つ目が「社員のモチベー
ションアップ」である。例
年、国内最大の洋菓子コン
クール「ジャパン・ケーキ
ショー東京」や、「静岡県
洋菓子作品展」に職人が出
場していたが、20年はコロ
ナで大会が中止となった。
このコンクールを目標にし
ていた職人は多かったため、
急きょ、社内でコンテスト
を開いた。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 8
店舗も1つの工場
「工場で一括にすると全部
動かさないといけないので、
人件費も光熱費もかかりま
す。そこで大きな在庫を持
つ必要があるものは工場で
作って、生菓子など当日仕
上げられるものは、店舗で
まかなうようにしました。
店も1つの工場に見立てて、
製造兼販売の機能を持たせ
たのです」また、生産量が
減ると、原料のロスが問題
になる。春華堂もこれに直
面した。本来うなぎパイで
使うバターが数十万トンも
余って、工場の冷蔵庫に金
塊のように積まれていた。
無駄にしないためにはどう
すればいいかを考え、新た
に生まれた商品が「バター
3℃」というフローズンバ
ターサンドである。店舗で
は個数限定販売ということ
もあり、すぐに売り切れる
こともあるそうだ。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 7
生産の効率化
例えば、うなぎパイファク
トリーは、コロナ前は年間
70万人が訪れていて、平日
も土日・祝日も多忙を極め
ていた。コロナを契機に、
制度として社員のワークラ
イフバランスを促すことと
なったのである。
2つ目は「生産の効率化」
だ。これまでは工場であら
ゆる商品を一括生産してい
たが、一部を店舗で仕上げ
するように変えた。
(次回に続く)
春華堂うなぎパイ
コロナ禍の復活 連載 6
コロナ禍での社内改革
いまだコロナは落ち着く気
配がない。「当初は 1年で
終わると思っていましたが
…」と山崎社長は悔しさを
滲ませるが、けがの功名も
あった。
1つ目は「働き方改革」だ。
今まで直営店は年中無休で
営業していた。しかし、工
場は減産し、県外の客もそ
う来なくなった。そこで20
年 5月14 日から営業時間を
短縮するとともに、週に 2
日、定休日を設けた。
(次回に続く)
プロフィール
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