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うどんの研究
連載中
(47) 小麦について
(つまり収穫の前年)に生
産者団体から販売予定数量
が提示され、実需者(製粉
企業等)団体からは購入希
望数量が提示されます。こ
の情報に基づき、産地銘柄
ごとに 、販売予定数量の約
3~4割について入札(通
常年2回)が行われ、残り
の約6~7割については、
入札で形成された価格を基
本とした相対取引が行われ
ています。この結果に基づ
き、生産者と実需者(製粉
企業等)の間で、取引数量
と取引価格について契約を
結び、その契約に基づいて
取引が行われます。 こうし
た入札の仕組みについては、
生産者団体と実需者で構成
する「民間流通連絡協議会
」において協議・決定され
ています。また、入札の結
果は、入札の実務を行って
いる(一社)全国米麦改良
協会のサイト内に公表され
ています。
(次回に続く)
(1)国内産小麦の流通と制度
の法律の一部改正により、
政府無制限買入制度が廃止
され、平成 19( 2007 )年
産からは、麦の政府買入が
制度として無くなり、全量
民間流通となっています。
することなく、需要に応じ
た生産を計画的に促進する
ために、生産者及びその団
体と製粉企業等の実需者が
売買契約をして流通する取
引方法です。
(次回に続く)
1 小麦(国内産・外国産)
の流通と制度
割を外国産小麦の輸入で賄
っています。外国産小麦に
ついては、国内産小麦では
量的又は質的に満たすこと
が出来ない需要分について、
政府が国家貿易により、ア
メリカ、カナダ、オースト
ラリアといった生産国から、
商社を通じて計画的に輸入
し、製粉企業などの実需者
に売り渡しています。政府
が大口の購入者となること
で、より安定的に小麦を買
い付けることが出来る制度
となっています。このよう
な小麦の制度は、「主要食
糧の需給及び価格の安定に
関する法律」の一部改正に
より、平成19(2007)年4
月1日から以下のように変
わりました。すなわち、国
内産小麦については、全量
民間流通により取引される
ようになり、外国産小麦に
ついては、それまでの輸入
方式(一般輸入)に加えて
売買同時契約(SBS)方式 が
新たに導入されました。
これらのことについて、以
下の項目でもう少し詳しく
説明します。
(次回に続く)
(46) 小麦の栄養
大麦から小麦へ 7/7 new
ある時、小麦の粉を水で捏
ねた生地を放っておいたと
ころ、大きく膨らみ、表面
から泡が吹き出して腐った
ようになりました。いたず
ら心にこれをオーブンで焼
きますと、それまでよりも
香ばしく、軟らかくておい
しいパンになりました。こ
れが「発酵パン」の始まり
です。発酵してパンをつく
るようになりますと、小麦
の粉のよく膨らむ性質が生
かされますので、小麦がだ
んぜん有利になって、大麦
との主役の交代は決定的に
なりました。この時から現
在まで、「小麦の時代」が
続いています。パンを発酵
でつくるようになってから
興ったギリシャ、ローマ、
西ヨーロッパなどの文明に
は大麦の時代はなく、いき
なり小麦を食べるところか
ら始まりました。
(今回最終回です)
大麦から小麦へ 6/7
その粉に水を加えて捏ねる
と弾力と粘りのある塊にな
り、オーブンで焼くと、比
較的軟らかくて、おいしい
ものが出来ました。おかゆ
と共に食べていた大麦の粉
で焼いた硬いパンとは、大
違いでした。石臼が改良さ
れ、比較的きれいな粉が出
来るようになりますと、小
麦の粉の方がいつもおいし
いパンになり、その他にも
いろいろな食べ方ができる
ことも分かりました。エジ
プト、インド、中国などで、
ある時期から大麦でなく小
麦を食べるようになります。
おいしさを求めて、大麦と
小麦の位置が逆転していき
ました。
(次回に続く)
大麦から小麦へ 5/7
紀元前3000年ころの古代エ
ジプト時代に、「サドルカ
ーン」と呼ばれる粉挽き専
用の石が作られました。そ
の上に人がひざをついて座
り、全体の3分の2くらいの
ところに小麦をのせて、細
長い棒状の別の石を両手で
握って体重をかけながら前
後運動を繰り返します。手
前にすり残しが、向こうに
挽いた粉がたまります。麦
に少し水を加えて湿り気を
持たせ、サドルカーンです
りつぶしますと、麦の外皮
は比較的粗いまま取れ、内
部は細かい粉になります。
ふるい分けや風選によって、
外皮を大まかに分けていた
と思われます。
(次回に続く)
大麦から小麦へ 4/7
大麦を臼でついて粗挽きし、
土器で煮て「おかゆ」とし
て食べました。小麦のおか
ゆはグルテンが固まってボ
タボタの感じですので、大
麦の方がさらっとしたおい
しいおかゆになりました。
中国でも先秦(しん)時代
までは、主に大麦のおかゆ
が食べられていました。「
麦」という字は、漢の時代
に大麦と小麦に分けられた
ようです。穂の大きさでは
なく、主なものを「大」、
そうでないものを「小」と
区別したと言われています。
大麦は中国でも大事な麦だ
ったことが分かります。
(次回に続く)
大麦から小麦へ 3/7
土器が使われ始めた紀元前
6500年ごろには、小麦でな
く、大麦が選ばれて栽培さ
れるようになりました。そ
の理由は、乾燥していて肥
沃でない土地には、大麦が
向いており、収量が多かっ
たことと、小麦より収穫が
1~2週間早いので、雨が降
らないうちに食糧を確保で
きたことが考えられます。
(次回に続く)
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